霊的初出勤
元日から一週間が過ぎても年賀状は一枚も届かなかった。
ボクは一週間、ポストの前に立ってそれが来るのを楽しみに待っていたのだが、届いたのはバイトの雇用契約書だけである。
そうだ、ボクには友だちがいなかったんだ。
ふだんはエア友だちと過ごしているので意識しないが、ボクに年賀状を送るリアル友だちは一人たりともいないのだった。
新年早々、心にぽっかりと穴の空いた孤独を感じながら、ボクはバイト先から届いた契約書に適当に判子を押して、送り返した。
一月六日が初出勤のそのバイトは、ゴーストライターの仕事だった。
通常、ゴーストライターというのは在宅ワークが中心で、会社との契約も業務委託契約が多い。
いわゆるWEBライター案件は、企業としてもアウトソーシング(外部委託)して、報酬も出来高制とするのが低コストとなる。
しかし勤務先のバイトは、時給制で会社出勤型のライター仕事だった。
珍しい求人だったので興味本位で応募したのが去年の十二月のこと。
採用担当者の話によると、どうやら他のアルバイターが続々と辞めてしまったらしく人手が足りないらしい。14卒無い内定ぼっちの手も借りたい忙しさなようだ。
おおよそこのような経緯があって、ボクはゴーストライターのバイトを始めることになった。
自分は霊感もあるし、幽体離脱もできるし、エア友だちもいるし、おまけに文章もちょっとは書けるので適任だと思ったのだ。うまくいけばバイト先から正社員登用してもらって、本物の幽霊になれるかもしれなかった。
1月6日月曜日、初出勤の日。
大阪郊外某所にある廃れたビルの一角、バイト先事務所のドアを開ける。
ボクも必要最小限のコミュニケーション能力は持っているので「おはようございます」と挨拶しようとしたのだが、うまく発音できずに「あ、おは、……さす」みたいになってしまった。
「おはようございます」だなんて、一音ごとに全て母音が変わるじゃないか! 発音難しすぎだろ!! と心の中でツッコミを入れた。
事務所内には机と椅子、そしてデスクトップ型パソコンが30台ほど並べられていて、私服の若者たちがモニターを見つめてキーボードをただひたすらに叩いていた。
挨拶をしたのに誰も反応しなかったのは、ボクの声が小さすぎたからかもしれない。誰一人、ドアの前にいるボクに見向きもしない。まさか自分は本当に幽霊になってしまったのだろうか。
初めての勤務先への自己紹介をどうしようかと悩んで立ち尽くしたまま戸惑っていると、白髭を生やした鋭い目つきのおじいさんが別の部屋からやってきて、無言のままひとつの箇所を指した。
指の示す方を見ると、ちょうど一席だけ空席だったので、嗚呼ここがボクの席なんだ。居場所があるってこんなに嬉しいことなんだと感激した。
それにしても、どうして他のみんなはもう席についているんだろう、と思って何気なく腕時計に目をやると、時刻は9時15分を回っていた。
特に会話という会話もないまま、ボクは指示されたとおりに席につき、デスクトップパソコンの電源を入れる。隣では自分と同じくらいの若い男性が、無言でキーボードをタイピングし続けていた。
白髭のおじいさんはパソコンを立ち上げるのを見届けると、無言で部屋を出て行ってしまった。
職場は、30人ほどのアルバイターのみで構成される。皆、自分と同じ年頃で、私服姿だった。パジャマやジャージ姿の人や、寝癖の立っている人もちらほら居た。服装には無頓着な会社らしかった。
ボクは場違いにもリクルートスーツで来てしまっていたので、次回からはコスプレで行ってみようかと妄想してにやけた。
パソコンを立ち上げる。
デスクトップ画面には業務マニュアルのPDFファイルが用意されており、それを見て作業を進めるようだった。
ちなみにパソコンのOSはWin8で、慣れない操作性に四苦八苦した。てっきりタッチパネルかと思い、目の前のモニターを指で突いてみたが反応しなかった。ずんずん突いていると、隣の人に横目で睨まれた。
まあこんな感じで、通勤初日は難なく職場に溶け込み、そして待ちかねたライターの仕事がはじまったのだった。
ちなみにこの記事を書く今日までに4人のアルバイターが職場から「消えた」
(続く)
※追記:「ゴーストライター」と表現すると、小説家や有名人の代筆だと誤解されるかもしれない。ここで云うゴーストライターとは、「企業に著作権を譲り渡す文章作成者」のことを指す。
詳しい業務内容については次回以降の記事に書こうと思う。