勇者はまだ見ぬ魔王に思いを馳せる。
勇者視点です。
生まれた瞬間から私は救世を背負いし勇者だった。
周囲から求められたのは魔を屠る勇者としての私。でも、私はそれ以外に価値が無い。
与えられた聖剣を振るい、柄に伝播する生々しい肉の感触に震えながら日々を過ごし、やがて周囲の子供が羨むのも止めていた。
それが当然の事なのだと、足元の血だまりに心を沈めていった。老人達はそんな私を見て、愉快気だった――何度殺してやろうかと思った――けれど、私は一線を越えられなかった。怖かったのだ。
腕の廃れた老人の実力が、ではなく。自らの居場所が無くなってしまう事が。
『勇者』である私が勇者であることを辞めてしまえば、実は山頂の大気のように薄い存在なのではないかと、そう思い始めるようになっていた。
何故なら、私が褒められるのは村に攻め入る魔の軍勢を一切の反撃も許さず屠った時だけなのだから。勉強をしても、剣を振るえと親に罵られ、子供の輪に入ろうとすれば遠ざけられた。
誰も子供の私を見ていない、皆、勇者である私しか見ていない。人は何も持たずに生まれる事を嘆く、でも、それは実の所、幸福な事なのだ。
何にでもなれる。でも、私は勇者にしかなれない。それ以外を周りが求めていない。
実は私は人形が好きだった。でも、皆の幸福の為に必死に剣に打ち込んでいた。
両親も誇らしげだった、私が勇者として剣を振るっている間は二人は仲が良かったから。やさぐれた父の暴力に怯えていた母もすっかり気色を良くし、いつしか私が二人の心の均衡を保つ秤になっていた。
二人は優しかった、まるで神様みたいに私を崇拝した。頼み事をすれば必ず応えてくれた。でも、私は我侭を言うなと言って貰いたかった。
普通の子供のように扱って貰いたかった。
でも、そうして貰えなかった。
ただの人間の子供としての私の居場所は、生まれた瞬間から無かった。それを理解した途端、まるで体が透明になったみたいだった、自然の風が空っぽの体をすり抜けていく。それでも柄を握る感覚はとても現実的だった
老人達が恐れていた予言の日が訪れると、魔界からはぐれた魔物ではなく、統率の取れた群れが列挙し、人里を蹂躙した。それを私は勇者として蹴散らし、大地に血飛沫を散らせる。やけくそで磨いた外道の技の前に全てを屈服させた。
老人達は満足気に眺めていた――心に募る怒りは腐敗して悪臭を放つ憎悪になっていた。それでも私は不必要を恐れ、無理解を嘆いていた。
しかし、魔王軍の血潮にて奔流を築く内に、私はある事柄が気になるようになった。それは魔物達が何を思い、剣を取り、命を散らしているのだろうか、という事だ。
その疑問は思索をすればするほど気球のように膨らみ、頭を内側から軋ませる。
それでも老人を始めとする周囲には語れなかった。都合のいい『調整』されるのはごめんだ。
だから、空いた時間に木や地に短刀で即席の文字を描いて、情報を整理しながら考えていた。それが私の出来る精一杯の勉強だったのかもしれない。
やがて、戦いは激化し、私は何時しか世界中の期待を背負わされた、その頃には最早、勇者である事だけが頭にあって、その義務さえ果たせれば、ほかは特に気にも留めなかった。
周囲も都合のいい解釈をしてくれたお陰で、特に何の問題も起きる事は無く、とうとう、魔王軍四天王の本拠地へと単身、切り込むことになった。
理性的かつ、実力も普遍的な魔物とは桁違いの四天王の前に私は苦戦を強いられた。当然の話だ、私には力しかない。その意義も子供の駄々と大して変わらない。
四天王はそのそれぞれが、魔王に絶対の忠誠を誓いながらも、確固とした価値観を抱き、自らの意思を持ち合わせていた。
そんな四天王達に言われた言葉がある。
「勇者でなければ貴様は何も出来ないのだろう?」
「剣を取る意義も見出さず戦地に赴くとは、戦士への侮辱も甚だしい」
「孤独であることを背負えずして、勇者を気取るか」
「確かに強い、が、ひどく不細工だな」
その一言が的確に私の童心を射抜いていた、やがて私は剣を取ることすら困難になり始めていた。
期待に囲われ、その中で勇者を演じていただけの私に歴戦の戦士たる四天王の言葉は余りにも辛辣であり、ある意味待ち望んでいた真実だったのかもしれない。
そんな四天王達が畏敬する、未だ顔も会わせた事の無い魔王という存在に興味を抱き始めるのも時間の問題で、一目でも彼に会いたいと願うようになっていたのだ。
だが、私は勇者でなくてはならない。
何故なら、勇者ではない私は必要とされていないからだ。
それでも、勇者である限りは私は求められているはずだった。四天王達に打ちのめされ、足を引きずり、近くの町まで逃げ帰ったあの日までは。
「逃げてきただと、それでもお前は勇者か!?」
「もう、何もかも全ておしまいよ!」
「ああ、やはり予言の通り、破滅する運命だったというのか?」
「どうしてあんたは帰ってきたのよ!? 魔王を倒しなさいよ!」
「四天王如きに負けるお前など勇者ではない!」
「さあ、戦え!?」
口々に人々は私に罵声を吐きつけた。
どうして? どうしてっ? 私、頑張ったよ? 言われたとおり一生懸命、頑張って魔物を倒したよ。だから、褒めてよ、何で褒めてくれないの? 褒めろよっ!
何で、皆五月蝿く嘆いているの? バジリスクだってもっと綺麗に鳴くよ。
勇者という枷が無ければ、私は彼らを汚く罵れたかもしれない。思えば、人の鳴き声というのは存外不快なものだと思えた。彼等が嫌う魔物よりよっぽど耳障りで、ハーピーが口ずさむ口笛が恋しかった。
何時しか、嘆くばかりで無力な彼等が哀れに思え始めていた、そしてそんな彼等が私に救世を求めていたと理解すると、途端に私は後悔した。
私は勇者で、それでいて彼らはそれに縋るしかない。なら、悪い子で居ても良かったんだな、と。自分の心に亀裂が入る音を聞いた。
でも私は勇者失格、なら、もう皆を救わなくてもいい。
だから、私は私を求めてくれる場所に行かなきゃならない。
勇者ではない、私を求めてくれそうな、あの暗がりに。
誰も居ない送迎も気にはならなかった、足は既に四天王達が屯う城砦へと向かっていた。道中の魔物に滅多打ちにされようと、それは私の罰、だから気にはならなかった。
そして、辿り着いた四天王達の前で私は彼らと契約を結ぶことにした、天から与えられし勇者としての超人的な力、知識を莫大な魔力に還元した上で全て捧げ、ただの少女に戻る。
代わりに一芝居打って、魔王と会わせて欲しいと。それは事実上の人類側の降伏宣言に等しい。何故なら人間の戦力は実質、私一人だけだったのだから。
それに対し、四天王達は戸惑いはすれど、私への哀れみ半分でその契約を締結した。
勇者としての私の力は知性の無い魔物に対しては存分に発揮されていたお陰で、その悪名は轟き渡り、魔王は既に力を蓄える為に眠りに入っていたとのこと。
それを利用し、各地の軍が壊滅したなどという情報を流して魔王を城で孤立させ、その上で勇者としての力を失った私と出会う、という脚本が出来上がった。
それに私も納得し、そして喜んで全てを差し出した。
魔方陣に囲われ勇者としての力が体から剥がれていく、それが嬉しくて堪らない。これで私はただの女の子、つらい過去も無い、だって勇者である私なんていないんだから。
ああ、魔王、貴方に会いたい。大軍を率い、理性的な四天王を従えた貴方に私は惹かれているのだ。
人間――ああ、そんなのは、もうどうでもいいや。だって、勇者じゃない私は人間なんて反吐が出るほど嫌いだったもの。
そして全部終わった。
そして、始まる。
私は全部捨てた。魔王、お願い、この私を受け入れて。愛して。
じゃないと、私は壊れてしまうから。