復活
目を開けると、辺りは何もかも死に絶えたかのように静かだった。あの雑音と騒音が嘘のようだ。顔に当たる空気がひんやりと心地よい。身体は、熱が出た時のような気だるさに包まれていて、身じろぎするだけで歯ぎしりしたくなるような鈍い痛みが、あちこちに走る。思わず呻いた。
天井は薄手の茶色い布で覆われていて、日の光が透けて見えた。どうやら、テントの中だ。
言うことを聞かない身体を無理に起こすと、突然、内部から突き上げるような頭痛に襲われた。
デイルには、このような頭痛に心当たりがあった。そしてこの後必ず、ひどい吐き気に見舞われることもよく知っていた。
身体がきしむのも無視して、テントの外に飛び出す。
最初に目に入った木の根元に飛びついて、胃の中身を思い切りぶちまけた。だが、出てくるのは唾液や胃液ばかり。吐くと言うより、むせて咳き込む。胃がひねり上げられているように痛み、吐しゃ物に少し血が混じった。
いつの間にか、アンナがやって来て背中をさすってくれていた。「しっかりしろ」とルロイも側で声をかけてくれている。向こうからはリンとランが走ってくるのがちらりと見えた。
一通り吐けるものを吐きつくすと、地面にばったり横になってしばらく肩で息をした。早く状況を聞きたかったが、口を開くとまた吐き気がこみ上げそうでどうにも話せない。息も絶え絶えにやっとのことで、「あれから……なにが、どう……なった?」とだけ絞り出した。
「ああ、死んだらどうしようかと思った」アンナが心底ほっとしたような顔で言った。
デイルが力なく笑うと、「おい、冗談じゃないんだぞ」とルロイも深刻な表情で言った。
「ああ、気持ち悪い。最悪だ……」
デイルは起きあがって、息をついた。唾液の飛んだ口元をぬぐう。大分落ち着いてきていたが、あまりにも情けなくて、笑える。
「大丈夫?」と、ランが顔を覗き込みながらおずおずと尋ねてくる。
デイルは、
「大丈夫じゃない」
と苦笑した。
こんなにひどい状態になったのは何年振りだろう。もしかしたら小さいころに、うっかり蚊をたたいてショックで気絶した時以来かもしれない。
「丸二日も起きないから、本当に死んでしまうかと思った。こんなところで、医療施設もないし」
「本当よ。あんた、こうなることが分かってたんじゃないの。いい、よく覚えておきなさい。リーダーは絶対に、無理をしてはいけないの。リーダーが倒れたら、チーム全体が崩れることになるんだからね」
デイルは、ルロイとアンナの言葉をぼんやり聞いていたが、急にはっと息をのんだ。
「丸二日?」
聞き返すと、二人は顔を見合わせて肩をすくめた。どうやら本当のようであった。
デイルの頭はだんだん本来の機能を取り戻し始めており、丸二日経った影響がどんなものかを想像するのはさして難しくなかった。
まず、食糧の問題があった。一応余裕をみて用意してきたので、三日の行程に対し、六日分は残っていた。しかし、樹海初日と併せて三日弱が経過しているため、もうあまり余裕が無い。しかも、現在の自分の体力を考えるに、今までと同じスピードで進めるとは思えなかった。
それに、予定の遅延を衛星通信で本部に連絡しなければならなかった。が、樹海の中はなぜか電波状況が悪く、つながりそうにないことは入ってすぐ確認していた。木ぐらいしか障害物は無いはずなので不思議な話だが、とにかくどこか開けた場所を探さなくてはならない。
そこまでは良かった。だがそこで、そもそもこんな状況に陥った原因に考えが及び、デイルはあっと声をあげた。
「あれはどうなった?」
息せき切って尋ねると、「あれ」が何を指すのか分からなかったのか、二人はまた顔を見合わせた。
「あれだよ、例の……」デイルは一瞬迷ったが、結局、
「ミイラ!」
と単刀直入に言ってみた。
だがそれでも、二人は困ったように顔を見合わせたままだった。どうも、一言では説明できない状況にあるらしい。
「うん、まあ、ね」
アンナがあいまいな返事をして、立ち上がった。
手を差し伸べ、こちらにも立つように促す。
振り返ってみれば、テントは木々の間の僅かなスペースに、すっぽりと収まるように建てられていた。良い場所を見つけたものだ。
水の流れる音がする。近くに川があるのだ。あのミイラを投げ込んだ川だろうか。(いや、そもそもきちんと投げ込めたのか?)
ともかくそこへ行けば開けているだろうから、あるいは通信が回復するかもしれない、などと、ミイラを差し置いて、現実的な話へ考えが飛ぶ。
そのまま、テントの裏手に案内された。リンとランが「こっち、こっち」と言いながら、先に走って行く。
最初に目に飛び込んだのは、化け物をくるんでいた白い布だった。
その布は、今もまた、何かをくるんでそこにあった。
デイルが近くまで来ると、リンとランは彼の腕をつかみ、「めくってみて!」と布の方へぐいぐい引っ張る。
二人の目にはいたずらっぽい光が見え隠れしている。まるで、珍しいものを見つけた子供が、それを親に見せびらかしたいのをこらえているといった感じ。だが今、ほんの指の先にあるそれは、そんな微笑ましいものとは思えない。
アンナとルロイを振り返る。するとアンナが黙ってうなずき、
「まあ、見てみなよ。驚くから」
とだけ言った。
デイルは恐る恐る、その布を持ち上げて中を覗き込んだ。だが、目に飛び込んだものが何なのか認識する前に、待ちかねていたリンとランが勢いよく布を半分ほどはがした。
デイルはそれを見た瞬間、予想していたものとの食い違いに面喰って、一瞬思考が停止した。
布の下には、ただの「人間」がいた。
男だ。まだ若い。だが、痛々しいほどにやつれていて、布がめくれて露わになった胸にはアバラがくっきり浮き出ている。腕も首も、骨に皮がくっついただけというほどに、細い。皮膚の色が異様に白く、まるで人形のようだった。髪は短い。ほとんど坊主に近く、淡い色の毛が申し訳程度に頭皮を覆っている。
行き倒れの人間を拾ったのか。そう思った。
説明を求めて振り返ると、二人は何とも言えない表情でこちらを見ていた。
やがてルロイがぽつりと、「信じられないだろ?」と言った。
デイルはまた、男に視線を戻した。よく見ると男の身体には、あちこち茶色い汚れがこびりついていた。その一つに軽く触れると、汚れはぺろりとはがれ、地面に落ちた。それは、日焼けした時にはがれてくる皮に似ていた。
「そう、そんな感じで皮がはがれてきて、そうなった」
ルロイが相変わらず、背後に突っ立ったまま言った。
「これが、あのミイラ?」
「そうだよ」
そう、はっきり言われても、デイルはまだ半信半疑であった。首を振って、「信じられない」とつぶやいてみる。頬をつねってみたい衝動に駆られる。
「事実なんだもの。仕方ないじゃない。」
アンナがデイルの横にしゃがみこみながら言った。そして、なぜか頭をげんこつで殴ってきた。ごんっと威勢の良い音がした。
「いてっ!……何するんだ!」
「ほら見ろ、夢じゃないだろが?」
なぜこうも唐突な行動をとるのか。彼女の行動が予測できないせいで、ひやひやしたことが何度かあった。彼女は絶対にこの仕事に向いてない。
そう思って、彼女が気づくようにわざと少し反抗的な目で見上げたら、腹立たしいことに彼女はにやにや笑っていた。が、すぐに真面目な顔に戻ると、再び口を開いた。
「川に全員で飛び込んだ後、ちょっと流されてね。すぐに回収したんだけれど、その時にはもう、こうして皮がはがれてきていたよ」
ああ、最後に聞いたあの騒音は水に飛び込んだときのものか、と全くどうでも良い方へ思考が飛ぶ。考えても答えが浮かばない難しい問題より、手近に転がっているすぐに解決できそうな疑問を優先してしまうのは、悪い癖だ。
リンとランが面白がって、男の身体についた茶色い皮をはがしている。
ミイラだった証が無くなっていくにつれ、彼は果たして「人間」に近づいていくのだろうか。
デイルはその様子を、歴史的瞬間を目の当たりにしたような気分で、しばらくじっと見守っていた。




