第七話 魍魎の憂鬱 その五
そうして階段を上って案内されたのは、屋敷の二階にあるとある部屋だった。ブロウ氏はその部屋の前まで来ると、どこか緊張したような面持ちをして、
トントントン
恐らくそこにいるのだろう少女に伝えるよう、扉を軽くノックした。そして「父さんだよ」と、中の者に声をかけると、
「はい……どうぞ」
という澄んだ声が聞こえてくる。その促しにゆっくり扉を開け中に入ってみれば……白塗りの衣装ダンス、机、豪華なドレッサー、そしてカバーにレースをふんだんにあしらった天蓋つきの白いベッド等など……。そう、白で統一されたいかにも女の子のものと分かる愛らしい部屋が、そこには広がっていたのだった。どうやらここがブロウ氏のお嬢さんの部屋らしい。
そして、部屋の中央にあるそのベッドには、ぽつんと一人少女が腰掛けており……。そう、抜けるような白い肌、艶やかな金髪、まつげの長い大きくクリッとした目。全く、あのイラストそのまま抜け出してきたかのような、人形の如き愛らしい少女が。
予想以上の美少女。そのあまりに透明すぎる美しさにエミリアは思わず見惚れていると、
「じゃあシェーラ、お客様にご挨拶しなさい」
やはり緊張の面持ちで、ブロウ氏はそう少女に促してくる。そして少女はそれに従い、
「はい……」
そう返事をして立ち上がると、そこからエミリア達へと向かって二、三歩前へ進んできた。そう、それは実に静々とした……いや、恐る恐るといった足取りであり……そして、
コケッ
あ、あれっ
どうやら足を挫いたらしい、思いっきり体が右方向へ傾く。それにエミリア達も思わずガクッとくるが、それより少女は体を立て直すことの方が大事らしい、周りには目もくれず、何とかそれを為して、更にこちらへと近づいてくる。そして、
「こ……この家の娘の、シェーラと申します……これから、ど、どうぞ……よろしくお願いいたします」
奥ゆかしいのか何なのか、随分と自信なさげなぼそぼそとした喋りであった。その不自然さに、エミリアは「もしかして照れ屋さん?」などと勝手にそんなことを思っていると……ドレスの襞をつまんで膝を曲げるという形式通りの挨拶、そう、最後のこの締めにきて少女シェーラは……、
か、固い?
緊張しているのだろうか何なのか、どこかカクカクした動きでそれをしていったのであった。それは、なんだか印象と行動がちぐはぐというか、とらえどころがないというか、なんともいえない不思議な感覚で……。それにエミリアもさすがに困惑するが、まだほとんど初対面と言ってもいい状態、すぐに彼女の人となりがわかる訳がないだろうと、
「エミリアです、どうぞよろしくお願いします!」
疑問はとりあえず脇に置き、エミリアもドレスの襞をつかんで膝を曲げ、にっこり微笑んで挨拶をしていった。
そして、続けて魔法使いもそつなく形式通りの挨拶を済ませてゆくと、一通り自己紹介が終わり、さて……という感じで、
「少しお嬢さんに質問したいことがあるのですが、いいでしょうか?」
早速依頼の件に入るべく、魔法使いは傍らのブロウ氏にそう尋ねる。そう、依頼がこの少女にかかわることなら、それは当然やらねばならない必要なこと、なので取り敢えずといった感じで依頼人に了承を求めたのだが……だがそれに、何故かブロウ氏は顔を引きつらせているように見え……。そう、これをあまり好ましく思ってない、とでもいうかのように。だが、
「あ、ああいいとも。いいとも。何でも聞いてくれ」
どもりながらも平気なように頷いて、ブロウ氏は質問の許可を出す。何となくそこには動揺が見え隠れしているようなのが気になるが、今はそれに構わず魔法使いは頷くと、
「シェーラさん。何故魍魎に狙われるか、あなたに心当たりはありますか?」
すると、
「……」
その問いに考えを巡らしているのだろうか、少女はしばし沈黙する。そして、
「……」
「……」
「……」
どこをどうすればそんなに返事が延びるのか、それとも自分の言葉は伝わっているのかどうか、不安になるほどの長い沈黙が続くと、
「……ありま……せん」
待ちに待たされた末のこの一言、何となくテンポが崩されるような気分を味わいながら、少女の言葉に魔法使いはなるほどと頷く。そして続けて、
「では、狙っているその魍魎をあなたは知っていますか?」
「……」
再びの沈黙。
「……」
「……」
「……」
知っているか、知っていないのか、ただそれを答えるだけなのに、どうしてそんな長い時間が必要なのだろうか、誰もが疑問に思う程の、はなはだしくももどかしい時が過ぎゆき、
「知りま……せん」
相変わらずのテンポ。遅すぎるテンポ。そう、全くこうもテンポが悪いと、流石の魔法使いも段々イライラとしてきて……。そして、そのイライラのまま魔法使いは、
「どんな姿をしているかも?」
「……はい……」
「では、魍魎もあなたをよく知っている訳ではないということに?」
変装して囮になるなら、それが囮である事がばれないようにせねばならない。どう頑張っても顔を変えることは出来ないから、あまりよくシェーラのことを知っているとなると、この計画は上手くないことになる。なので、それが気になってこういった質問をしたのだったが……まさか質問ごときでこんな思いをするとは。見遣れば、シェーラはやはり相変わらずの沈黙を続けている。それに魔法使いは頭が痛いように額に手を当てると、ようやく、
「多分……いえ、あの……よく分かりませんが……多分」
質問は遅々として進まず、煮え切らない少女の態度に魔法使いはひたすら困り果てる。そして、ならば他の質問をと魔法使いは再び口を開きかけると、
「さあさあ、もういいだろう。シェーラはまだこの家に慣れていないのでね、質問はここまでにしよう」
突然ブロウ氏がシェーラ嬢との間に割って入ってきて、そんな言葉を発してくる。そしてどこか必死の表情で、何が何でも中止とでもいわんばかりに無理やり会話を中断させてきて……。
するとそれに魔法使いは……家に慣れてないから質問は中止? 家への慣れと質問が一体どう関わってくるんだ……と、どうにもこうにも疑問にしか思えないブロウ氏の言葉につい眉をひそめる。だが依頼主がここまでと言うのだから仕方がない、取りあえず今はその要求を呑むしかないと、グッと気持ちを堪えてゆくと、珍しく素直に引いてゆく魔法使いなのであった。
そう、ここで知ることができたのは、どうやら魍魎と少女は知ったもの同士という訳ではないらしいということ。そうなると何故魍魎は少女を付け狙うのかが疑問だったが……。
だがこれ以上の質問が出来ないのなら情報はこれまでだった。ならばと仕方がないと、魔法使いはここで質問を断念してゆくしかないのだった。