第七話 魍魎の憂鬱 その四
それから誰の心も知らぬよう時は淡々と流れてゆき、あっという間に出発の日がやってきた。場所はウィンソープ、ご近所の町フォーリックからひたすら北へ北へと八時間程馬車に揺られた所にあるのだ。だが幸いなことに今回は送迎付き、なので朝起きて準備を整え出発すると、小道の入り口で依頼主の馬車が待っているというなんとも楽ちんな行程であった。
そしてその行程に、二人は眠い目をこすりながら朝起きると、身支度を整え、荷物を担いで早速その場所へと向かっていった。するとそこには、二日前屋敷に訪れた依頼人の代理人が、にこやかな笑顔でエミリア達を迎えてきて……。そしておはようの挨拶を済ませて、エミリアの自己紹介も済ませて、御者の手によって荷物が馬車に収められてゆくと、二人は開けられた扉からその中へと乗り込んでいった。
早速、馬車の座席へと腰を落ち着けてゆく二人。すると、
「では出発します。今からだと、恐らく到着は夕方ごろになると思います」
御者側の小窓が不意にノックされて開き、御者の助手席に陣取っていた依頼人の代理人が、そこから顔を覗かせてそう言ってくる。
そして小窓が閉まると、その出発の言葉を示すように、馬車はゆっくりと動き出してゆき……。
それは魔法使いとエミリア、二人だけの車内。なので、やはり緊迫の沈黙が待っているのかと思いきや、意外にもゆったりとした穏やかな沈黙が流れてゆき……そう、唯ひたすらそれに包まれながら、心地よい揺れに身を任せてゆく時が……。すると、
しばし、そんな静かなる時が、二人の間に過ぎゆく。進んで身を浸すその時に、二人は流れるままに流されてゆく。そう、それは逆にいうと、何かモノを言うことがしづらいといった雰囲気であり……。だが、エミリアは破った。そう、いとも簡単にそれを破り、タイミングを見計らったかのようエミリアは、
「ところで、その依頼内容って何なんです?」
そういえばまだ詳しい内容は聞いてなかったと、それを思い出して傍らの魔法使いに尋ねる。するとそれに、
「ああ、なんだか依頼主のお嬢さんが魍魎に狙われているらしくてね。その警護に雇われたという訳だ」
「警護?」
「そう、そのお嬢さんとやらを魍魎から守ってくれと」
ふむふむなるほどと、依頼の内容を理解してエミリアは頷く。だが、そうなると疑問になってくるのは肝心のあれで……なので何故にとエミリアは、
「で、何で私の変装が必要なんです?」
「ああ、そのお嬢さんとやらは依頼主の脇腹らしくって、正妻とその子供が亡くなったことを切っ掛けに跡継ぎとして新たに屋敷に迎え入れられたそうだ。なので、まだ周囲に紹介が済んでないらしく、そのお披露目のパーティーが明日行われることになっている。そしてそのパーティーでお嬢さんをいただくと、魍魎から屋敷宛にカードが届いたという訳だ。つまり……」
そこでエミリアはピンときた。まだ言葉は途中であったが、魔法使いが何を言おうとしているのかを、自分がそこで何をするのかを。なので、納得したようにうんうん頷くと、
「なるほど。で、そのパーティーに私がお嬢さんの代わりに出席して魍魎の目をくらまし、その隙を突いてお師匠様が撃退するってことですね」
「そういう訳だ」
どうやらエミリアの推理は当たっていたらしい、正解を示して魔法使いも頷く。
そうか、自分がお嬢さんの身代わりになるのか……身代わりに……。
納得のからくりに、またもやなるほどと頷くエミリア。だが……、
ん? となると。
そこでエミリアはとんでもなく大事なことにはたと気がついた。そう、それは、
「あ、あれ、でも……もしお師匠様が撃退に失敗したら私……」
「魍魎の餌食だな」
いとも簡単にそう言う魔法使い。それは本当にあっさりとしていたが、よくよくその内容を考えてみれば……なんと命を張っての初仕事、それを感じ取ってエミリアは泣きそうな気持ちになると、
「そ……そんな、殺生な」
「まあ、心配するな。私に失敗という文字はない。万が一ということがあってもすぐに助けに行ってやろう」
いつもの如く自信満々な魔法使い。だが、エミリアは不安だった。確かにその自信通りの実力を兼ね備えている魔法使いではある。この身を委ねるに足る能力を十分に持った。だがしかし……たまに抜けている時もあるのだ。この前は転移魔法で帰り道を確認するのを忘れるという失態を犯したし。そう、どんなに優秀な者であっても完璧という言葉は絶対には存在しないのだ。勿論それは、この自信満々な師匠にだって言えることで……。
「ゆ……指きりげんまんですよぉ……」
どうにも消せない嫌な予感。まるでそれを紛らわすかのよう、気休めにそんなことにすがってみたりするエミリアなのであった。
※ ※ ※
そして日は天上高く上り、次第に西へと傾いていって、やがて夕方と呼ばれる刻になった頃、馬車はどちらかといえば大きいのではないかと思われるとある村に入っていった。そこで、長い間狭い空間に閉じ込められ、いい加減窮屈さを感じていた二人、時間からしてそろそろ到着かと、うずうずし始めた気持ちに、様子もどこかそわそわしたものになる。そして、早く到着の言葉が聞こえないかなぁと、そんなことを二人は思っていると、まるでそれを読み取ったかのよう、不意に、
「ウィンソープに到着しました。屋敷まではあと少しです」
再び御者側の小窓がノックされて開き、依頼人の代理人がそう声をかけてくる。
それにエミリア達はようやくといった感じで馬車の車窓を覗き込んでゆくと、恐らくメインストリートなのだろう、整備された大きな道の脇に、村らしい小ぢんまりとした家が並んでいるのが目に入ってきた。長く続くその道、建ち並ぶ家の数、そこからどうやらこれは町と言ってもいいくらいの大きな村であることが窺い知れたが……。だがやはりここは初めての地なのであった。当然風景も見知らぬものであり、否応なくかきたてられた好奇心に、もっと詳しく見ようと、エミリア達の目は馬車の外へと釘付けになってゆく。そう、ひたすらこの道を真っ直ぐゆく馬車の外へ。すると……。
過ぎ行く景色、往来する人々、それらを横目に馬車は颯爽と走ってゆく。そう、メインストリートを外れ、脇道に入っても、その速度は落とさずに。そして……やがて馬車は細い田舎道へと足を踏み入れてゆくと、車窓の風景は一転して、緑の多いものへと変わっていった。広がるは、収穫にはまだ早い農園の果樹達、なるほどこれは村だと思わせる、いかにものどかな光景で……。そんな光景に、しばし目を奪われてゆくエミリア達。だが……やがてその先に見えてきたものに、すぐに二人の気は移り身早く強く惹きつけられてゆく。それは……丘。そう、その丘の上に、中々立派な邸宅が建っているのが、二人の目に入ってきたのであった。どうやら馬車はそれを目指して走っているらしい。それに気付いてエミリアは、
「どうやらあの屋敷みたいですね」
「そうだな」
「ちなみに今回は貴族じゃ……」
貴族の屋敷にしてはちょっと小ぢんまりしているかと思いつつ、ちょっと不安になってエミリアは魔法使いにそう問うてみる。すると、
「ない」
はっきりとした返事が返ってきた。とりあえず前のようなことは起こらないだろう事を感じて、ホッとするエミリア。
「それじゃ、普通のお金持ちのおうちなんですね」
「ああ、恐らくここら辺の土地を持つ地主じゃないだろうか、詳しいことは分からんが」
「なるほど」
そして、やがて馬車は屋敷の門をくぐると、ぐるりと大きく曲がっている敷地内の道を更に先へと進んでいった。段々と近づいてくる屋敷。馬の歩みも次第にゆっくりとなり、屋敷の扉の前までやってきて、完全にその動きは止まった。そして、しばしの時を待つこともなく、依頼人の代理人の手によって馬車の扉が開かれると、「どうぞ」という促しの言葉がかすかな渋みと共にその車内に響いてくる。
それを聞いて、言葉に従うよう静かに馬車を降りてゆくエミリアと魔法使い。
「では、私は旦那様にお客様の到着を知らせてまいります。あとはこのアドレーが案内いたしますので」
降りた先で待っていたのは、微笑みながらたたずむ依頼人の代理人だった。彼は、傍らの御者の男性をエミリア達に向かって手で指し示すと、言葉通り、後をその者に任せて早々と屋敷の中へと入っていった。
そして……。
それからエミリア達は御者に馬車から荷物を降ろしてもらうと、彼に先導してもらって、屋敷の玄関の扉をくぐっていった。入ってすぐ目に飛び込んでくるのは、確かに上質と分かるつくりの広い玄関ホール。それを見回しながら、エミリア達は更に奥へと歩みを進めてゆこうとすると……そこでとりあえず一旦停止、その場所でしばらく待っているようエミリア達は男性に言われ、そして……、
「中々いい趣味のおうちですね」
「ああ」
「依頼主さん、いい人だといいですね……」
「だな」
待っている間、そんな他愛もない言葉を交わしながら、二人は時をつぶす。すると、それほど待たされることもなく、大柄な恰幅のいい四十代後半ぐらいの男性が、にこやかな笑みを浮かべてこちらにやってきた。その様子から、どうやら彼が依頼主らしいことが窺えたが……。
「ああ、遠いところよくいらっしゃった。あなたがレヴィル氏ですな」
「はい、そうです」
「私はチェスター=ブロウ、この屋敷の主人だ。よろしくお願いするよ。で、こちらのお嬢さんが……」
「エミリアです。私の助手です」
助手、その言葉にブロウ氏は何かを理解したかのよう大きく目を見開いてエミリアを見つめると、
「ああ、ではあの……」
恐らく、囮作戦のことを言っているのだろう、それに魔法使いはその通りと頷き、
「はい」
恰幅のせいか、圧倒されるような威厳があるようにも感じられる男性であった。だが態度は紳士的であり、前回のように、特に突飛な何かを感じさせるようなものはなかった。おかしな誤解もどうやらないようだし、今回は中々いい感じだと、順調な滑り出しにエミリアはホッと胸を撫で下ろす。そして……、
とりあえず好印象で始まったこの仕事、それに気をよくしながら、自分の紹介にニコニコと微笑みを浮かべてゆくエミリア、であったが……。
も、もしかして、この第一印象ってものすごく大事?
そう、囮として、ブロウ氏がお気に召すか召さないか、この第一印象にかかっているような、そんな気がして。またそれを示すかのよう、ブロウ氏は相変わらずまじまじとエミリアを見つめてくるものだから……。それに思わずといったよう、エミリアは愛想笑いの大盤振る舞いをしてゆく。そう、ニコニコ、ニコニコ、と……しばし続く品定めの時間。だがようやく一段落ついたよう、ブロウ氏は小さく一つ息をついてゆくと、
「これはこれは中々愛らしいお嬢さんだ。いや、これならば上手くいくかも知れませんな。想像以上です」
微笑みの甲斐あってか、その容姿にご満悦な様子でそう言ってくる。
どうやら合格のようだった。それにホッとしてエミリアは胸を撫で下ろすと、礼を示して膝を少し曲げ、ブロウ氏に小さく挨拶をしてゆく。すると、それにブロウ氏は微笑みで返し、
「パーティーは明日。それまでお嬢さんは色々と準備があるでしょう。お疲れかもしれませんが、明日の為にも早速娘に会ってもらいましょう」
もう依頼は成功とでもいうよう満足そうに頷きながらそう言って、颯爽と二人の先を歩いていった。恐らく、魔法使いとエミリアをその娘がいるというところまで案内しようというのだろう。
これは、思った以上に早く叶う少女との対面だった。それにエミリアは少し慌てながら、
自分が身代わりとなるその少女。
これから自分はその少女と会うのだ。
緊張を胸にそう呟き、これからは仕事と気持ちを入れ替えてゆくと、ブロウ氏の後をついて目的の場所へと向かっていった。