第七話 魍魎の憂鬱 その二
そして翌日、エミリアは書斎にたまった本を本棚のあるべき位置に戻すべく、書庫へとやってきていた。傍らには積み上げられた本の山。そしてもう一方の傍らには脚立が。そう、いつもならエミリアがその脚立に上って、この本達をせっせと元の場所へと戻すのだ、いつもならば。だが、今はもう一人の助け手がいた。その者はエミリアに代わって脚立の上に立ち……。
「植物関係の本はまだある? まだまだ入りそうだけど」
レヴィンだった。あの事件もようやく片付き、お忍び禁止令ももう切れたと判断して……いや元々お忍び自体本当はいけないことなのだがそう判断して……こうして愛しいエミリアの顔を見に来たのだった。本当に、ようやく会えたという感慨と共に。
「あと一、二、三……七冊あります」
「じゃあ、ちょうだい」
その言葉に、エミリアは申し訳ない気持ちになりながら、二、三冊ずつレヴィンに本を手渡してゆく。そしてそうしながら、
「でもほんと、お師匠様はこれからの研究どうするんでしょう。いつまでも植物で立ち止まっている訳にもいかないでしょうし」
そう、二人は本の片付けをしながら、エミリアが魔法使いにプレゼントしたあの実験動物についての会話を交わしていたのであった。中々動物実験に移れない魔法使いを憂いて、ついエミリアが口にしたのである。するとそれにレヴィンは本を手に、
「多分、あの件が引っかかっているんだろうなあ。実験に失敗して人の命を奪った経験が、もしかしてまた命を奪ってしまうのではないかと動物実験に恐れを抱かせてしまう。あれがなかったら、躊躇いなく大量虐殺しているタイプだもんね。研究の名の下に」
「意外と繊細なんですよね、枕が変わると眠れないし」
つくづくといった感じでそうもらすエミリアだった。するとそれに、レヴィンは何か可笑しなことでも聞いたかのようクスクスと笑うと、
「アシュリーいわく、エミリアは意外と図太いみたいだけどね」
からかうような調子でそう言うレヴィン。だが、それはエミリアにとって思ってもいない言葉で……。なのでエミリアは一瞬「ん?」となると、すぐにその言葉の意味を解し、
「そんなことお師匠様は言っていたんですか?」
思わずといったようぷっと頬を膨らませる。それにレヴィンは頷きながら、
「いつでもどこでもすぐ眠れるって。まあ、伯爵令嬢なのにしっかり庶民生活に馴染んでる時点で、かなりの肝の据わり方だと思うけど」
うんうんと更に頷きながら、レヴィンは魔法使いの言葉に納得するような様子を見せてゆく。すると、自分はか弱き……とまではいかなくとも普通の乙女と思っていたエミリア、レヴィンの言葉に「そんな~」という気持ちになると、
「まったくお師匠様は……殿下も殿下ですよ、意外と毒舌なんですから!」
レヴィンに罪はないと分かっていつつも、あまりの納得のいかなさに、ついついそんな言葉がこぼれてしまう。
そう、それは膨れっ面といってもいい表情。だが……男心をくすぐる中々に可愛いらしいともいえる表情であって……。なので、言葉を気にすることもなく、レヴィンは相変わらず面白いように笑っていると、
ガチャリ。
書庫の扉が開き、不意に中に人がはいってくる。その人物の正体とは……そう、魔法使いであった。実は彼、今まで来客があってその対応に追われていたのであった。それ故、今になっての顔出しになってしまったのであり……。まぁ、席を外せたということは、恐らくその客は帰ったということなのだろうが……。
「クソッ、来てたのか」
エミリアしかいないと思ってやってきたここ、そこに面白くない者がいるのを確認して、魔法使いは一気に不機嫌になってゆく。すると、
「そう、ごたごたも片付いたし、思いっきり外にも遊びに行けるって訳」
ようやくの解放に、お気楽全開にしてそう言うレヴィンだった。それは本当に脳天気といっていいもので、癇に障って魔法使いはムッと表情を歪めると、
「一生お忍び禁止になってろ。ってかなってれば良かったんだ、世の中の為にも」
いかにも忌々しいといった様子で、剣呑に目を細めてそう言ってくる。するとそれに、レヴィンは思わずといったよう切ない表情をしてゆくと、
「つれない言い草だなあ。こっちはほんとに大変だったんだから。傷ついた心に癒しを求める気持ちも分かってくれよ」
いかにも同情を誘うよう哀れっぽい声を出しながら、魔法使いにそう共感を求めてくる。だが……それはあくまでレヴィンの都合。当然のことながら、そんなことで魔法使いの不機嫌が収まる訳もなく、
「おまえの事情など知ったことか」
全く、相変わらずな二人のやり取りなのであった。それを前にエミリアは、思わず背に冷や汗が流れてゆくのを感じながら、とりあえずまあまあと二人をなだめると、
「でも、ほんとに大変だったみたいなんですよ。なんでも殿下の家庭教師だった人があの事件の首謀者だったようで。ルシェフの目的とかも分かりましたし、他にもその家庭教師が負った使命とか……もうびっくり仰天です」
そう、レヴィンがここにきた第一の目的はエミリアに会う為。だがもう一つ、あの一件の報告をする為にやってきたのでもあった。既にレヴィンはエミリアにその話をしており、やはりというか、とてつもない衝撃を彼女に与えていた。そして今、エミリアも受けた衝撃をなんとか伝えようと、驚きも露にして魔法使いにその話を切り出していったのであったが……。そう、もっと詳しく聞けば、きっと彼も言葉を失うだろうと思って。
更にエミリアは、あの本の現在の場所もレヴィンに話したことを魔法使いに報告すると、
「まあ、詳しいことは後でお話しますね……で、お師匠様は?」
何故ここに来たのかということを尋ねたいのだろう。するとそれに魔法使いは、
「ああ、仕事の依頼が入ったんでね」
「先程のお客様の依頼ですか?」
それに魔法使いは頷く。そしてポケットからとある一枚の紙を取り出すと、
「そう、それで買い物が必要なんだ。王都へいってこれを買ってきて欲しい」
そう言って魔法使いはエミリアにその買い物の品が書いてあるのだろう紙を差し出した。
そう、それは、二つに折られた一枚の紙。それになんだろうと思いながら、どこか不思議そうな顔でエミリアはその紙を受け取ると、書かれた中を覗いてゆく。すると、そこには……。
化粧水、ナイトクリーム、白粉、頬紅、口紅……等々、化粧品類の名前が並んでいたのだ。
意外なその単語達を見つめながら、何故このようなものが仕事に必要なのかとエミリアは頭を悩ませる。そして思い当たったことにポッと頬を染めると、
「こ……これ、お師匠様が……」
「ばかか! 私じゃない、おまえにだ」
それは、今まで欲しくて欲しくて仕方がなかった品々。おねだりしたかったがそうもできず、ずっと我慢していた品々で……。その夢のような文字の並ぶ紙を手に、
「わ……私の、ですか……」
もしかして、この前のプレゼントのお礼? いやいや師匠は仕事の依頼で必要なものと言っていたではないか、でも仕事でこれを使うって、一体……色々思いを巡らしながら、感激しきりにエミリアはそのリストに目を走らせてゆくと……。
えー、その他には美容液、で、次にマニキュアときて、最後には……ふむふむ、ヅラ。
え、ヅラ?
「お師匠様……これ……」
リストにあるヅラの文字を指差して困惑げにエミリアは魔法使いを見る。
「今回の仕事はおまえに協力してもらわねばならない。なので、役目を持っておまえを仕事に連れてゆく」
そしてそう言って、一枚のイラストが描かれた紙を、魔法使いはエミリアに手渡した。それは緩いウエーブのかかったエミリアとそれ程年が変わらないような、とんでもなく美しい少女の絵であった。だがそれを見てエミリアは思う、そう、これは一体なんなのだ、一体何に使うのだ、と。すると、
「これは依頼主の娘さんの似顔絵だそうだ。囮としておまえにその娘に変装してもらわねばならない。という訳でヅラが必要な訳だ。まあ、絵だから本人そのままとはいかないだろうが、それと同じくなるようなヅラを買ってこい。色はブロンドだ」
「……」
なるほど、事情は良く分かった。だが……と、エミリアは再び思う。そう、変装までしなければいけないような仕事とは一体どういうものなのだろうか? と。まだ詳しく話を聞いていないエミリアだったから、それが何とも不安であり、また疑問にも感じてしまうのであった。だが、これは初めて役目を持って臨む仕事でもある。一方で期待感も抱きながら、とりあえず今は買い物に行ってこようと、エミリアは準備をすべくこの部屋から退出してゆくのであった。