第六話 背信の愛 その二十一
「あなたの魔法は封じました。魔法が封じられれば、例え結界破りの達人と呼ばれるあなたでも、手も足もでないでしょう。それにこれはルシェフ魔法研究所直伝の最新の魔法です」
そう言ってレヴィンを壁から引き離し、後ろから羽交い絞めにすると、その首筋に隠し持っていたナイフをあてた。
「さあ、あなたは人質です。一緒に外へ出てもらいましょうか」
するとその時、図書室の入り口付近がにわかに騒がしくなった。何事かと、レヴィンにナイフをむけたままアルヴァはそちらの方を振り向くと、近衛兵やローブをまとった宮廷魔法使い達がこの場に駆けつけたところだった。恐らく、図書館にいた人の通報により駆けつけたのであろう。そして、
「殿下!」
「何てことだ……」
聞いてはいても半ば信じられないような気持ちだったのだろう、目の前にした光景にやはり現実と悟って、唖然とした言葉が彼らの口から漏れる。そして、こうはしていられないと、到着した近衛兵は早速整列し、一斉にアルヴァの方へと銃を構えた。だが、それにアルヴァは不敵な笑みを漏らし、
「その銃の引き金が引かれる前に、私のナイフが殿下の喉元を襲うでしょう。王子を殺しますか? それとも?」
「一体何が望みなのだ!」
隊長と思しき者から、そんな声が飛んでくる。すると、
「私を外に出してもらいましょうか。そうしたら殿下は解放しましょう」
それに悩むような表情をみせる隊長。だが、ここで言うことを聞いてはルシェフの思う壺なのだ。
「駄目だ! どちらにしても僕を殺すつもりでいる、言葉に乗っちゃいけない!」
どうすべきかと困惑しきりの上層部に、それを伝えるべくレヴィンは叫ぶ。だが、レヴィンの言葉を聞いたとしても、それはそれでやはり手段が見出せず硬直した状態が続くばかりなのであって……。
そしてその間、レヴィンはこの状態をどう打開するか色々な考えを頭に巡らせていた。そう、魔法が使えないのであれば、自分の手足はもがれたも同様。また、念による接触がいまだ無いところを見ると、恐らく外からの魔法も遮断されているだろうことが考えられたから。ならば、今ここに揃っている者達がこの魔法を解除してくれることを望むばかりだが……。だが、レヴィンは希望を失ってはいなかった。盲点。そう、アルヴァは重大な見逃しをしていることに、レヴィンは気がついていたから。それはあまりにも単純で、思わず泣けてきそうな程の見逃しで……。
レヴィンの脳裏に幼い頃の思い出が蘇る。咳き込む自分を気遣わしげに覗き込みながら、一休みして色々な幻想世界を覗きこませてくれたアルヴァのことを。
だが、それは……。
「アルヴァ、君はほんとに僕を殺すつもりなの。躊躇い無く殺せるの?」
そう言ってレヴィンは悲しみに満ちた眼差しをアルヴァに送った。そう、本当に全ては偽りだったのかと、その心を問うかの如く。すると、それに一瞬戸惑ったような色をアルヴァは目に浮かべ……。
「私は……」
ほんのわずかに生じた一瞬の隙、そしてその隙にレヴィンはつけこんだ。そう、レヴィンは後ろ手に拘束していたアルヴァの手を力ずくで払いのけると、肘で彼の鳩尾を思いっきり突いたのだ。その衝撃で首筋を狙っていたナイフを持つ手が思わず緩む。そして、走る痛みに、体を曲げて苦しげに顔を歪めるアルヴァ。今こそチャンスであった。それを見極めレヴィンはアルヴァの拘束から逃れると、素早く彼の手の届かないところまでやってきた。すると……。
隊長の号令に従って、近衛兵たちが構えた銃に狙いを定めてゆくのがレヴィンの目に入ってくる。
いけない!
「駄目だ、撃つな!」
レヴィンは慌てて制止する。だが……。
その声も届かず、レヴィンが解放されたと見るやいなや、今こそとばかりに、近衛兵は構えた銃をアルヴァへと向かって放っていったのだった。
「アルヴァ!」
耳をつんざく複数の銃声。
そして、そのいくつもの銃弾は無情にもアルヴァの体へと打ち込まれてゆき……。
銃撃の衝撃でアルヴァの体が何度も揺れる。そしてやがて、その全てが体に吸い込まれてゆくと、いく筋もの血を流しながら、アルヴァは前に倒れこんでいった。
目の前に広がるは惨劇、それにひたすらレヴィンは呆然とする。だが何とかしっかり地に足をつけ、すぐさまレヴィンはアルヴァの下へと駆け寄ると、
「で、殿下……」
アルヴァはわずかながらもまだ息が残っていた。恐らくそれもすぐに絶えてしまうだろう程、そう、それがすぐに分かってしまう程、その息はかすかなものであったが……。そしてそれを見つめながら、レヴィンは目に涙を浮かべ、アルヴァの手を取ると、
「自分はかつての自分じゃないと君は言った。でも、僕ももう体の弱かった十歳の少年ではないんだよ」
そう、既に背は師を随分と追い越し、魔法だけでなくその身の力も彼を追い越していて……。
そうそれは……流れる時。かつては寄り添うようにも見えた距離。だが偽りでしかなかったそれは、いつの間にか二人を遠い場所へと運び去り、時を経て、非情にもその心をまざまざと目の前にさらしていって……。知りたくなかった事実。師の裏の顔。突きつけられるのは覆い隠したいばかりの悲しい現実で……。自らの能力を認めてもらうことが、きっと彼が生きる一つの意味となっていたに違いない。それ故強い魔法を使うことにこだわり続け、すぐ目の前にある筈の単純なものすら見えなくなっていて……。あくなき上昇への渇望、だが結局行き着いたその先は……。
「わ……わた……し、は……ゆめ……を……みたかっ……た……」
それにレヴィンはコクリと頷く。
「わ……わたし……は……まちがえ……て……いたの……でしょう……か?」
一滴の涙がアルヴァの目から流れる。それは何の涙だったのだろうか。志半ばの無念さか、それとも自らの行いに対しての悔恨か……。
そしてとうとう力尽きたよう、アルヴァは静かに目を閉じた。消える命の灯を目の前に、レヴィンは悔しさを示すよう手を握ったまま、力強く唇を噛み締める。すると、とりあえず危険は去ったと判断してか、傍らに近衛兵達が駆け寄ってくる音が聞こえてきた。行われるのはあまりにも機械的な処理。それに堪えきれずレヴィンは立ち上がると、目の前には難しい表情をした侍従長と宮廷魔法使いの長と近衛兵隊長の顔があった。
「撃つなと言ったのに!」
それに隊長は難しい顔をしたまま、
「彼は殿下を殺そうとしました」
そしてその言葉を受けるよう、宮廷魔法使いの長は、
「何よりも殿下の御身を守ることが第一。あの時あの状況では、ああするのが一番適切だったと思います」
確かに正しい判断。だがしかしそれでは……レヴィンはまだ乾かぬ涙もそのままに三人から顔を背けると、その場から立ち去るべく、一歩足を踏み出していって……。すると今度は侍従長が、
「殿下、この件について……」
「後で話す! 今はほっといてくれ!」
事情聴取したい、というのだろう。だが、今はとてもそんな気分にはなれなかった。それでも回りは冷静に事の真相を確かめようと、レヴィンの後をついてくる。感情よりも理性をと、事実を知る者としてあるべき姿を求めてくる。それは情けの欠片もないような空気で、どうにもいたたまれず、レヴィンは早足でその場から立ち去っていった。すると、
「殿下……」
図書室の入り口にリディアの姿があった。
そう、起こった出来事に驚きを隠せないながらも、それに巻き込まれたレヴィンを気遣うかのような心配げな眼差しで。それにレヴィンは歩みを止めると、
「今朝はすまなかった」
真実を明らかにするためとはいえ、疑いの態度を向けてしまったことについてである。そしてそれだけ言葉を残すと、レヴィンは再びその場から歩き出し……。
次々こぼれ落ちてゆく涙を拭いもせず、ただひたすらに。
これで、第六話が終了します。次から新しいお話です!