第一話 令嬢と性悪魔法使い その九
やかましい程にさえずる鳥の声が、訪れた朝をエミリアに告げていた。その身の上にはさんさんと明るい日の光が降り注ぎ、耳に肌に、起きろ起きろとエミリアに呼びかけていた。そしてそれらに目覚めさせられるよう、エミリアは夢の縁から現実へと戻ってくると、ぼんやりとした頭で目を開いた。
途端に入ってくる眩しい日の光に、ああ、侍女がカーテン閉めるのを忘れたんだなと目を細めながらあたりを見回すと、そこはいつもの豪奢な自室ではなく、木目が美しい、素朴な木造の見慣れぬ部屋が広がっていた。
最初、一体何が起こったのだか訳がわからず、ぼーっとその光景を見ていたエミリアだったが、昨日の出来事が脳裏にむくむくと蘇ってくると、はっとして一気に目が覚めた。
そうだ、私……。
昨日、少しだけとベッドに横になったまま寝てしまったのだ。あまりにも眩しい太陽の光に、今は何時なのだろうかと、慌てて時計の入った自分のバッグを探した。
それはベッドの下ですぐ見つかった。中から懐中時計を取り出してみれば、カチカチと音を立てながら針は十一時少し前を指していた。
ああ、寝過ごした……。
それにエミリアは一つため息をつくと、またしんどいだろうあの一日が始まることに気が重くなるのを感じながら、だがいつまでも寝ているわけには行かないと、一つ伸びをしベッドから重い身を起こした。
すると昨日無理をしたせいか、体を動かす度、あちらこちら、何故か頭までがぎしぎし痛む。そしてそれを我慢しながら布団をでようとすると、エミリアの視線の先に彼女の認識の中にはあり得ないものの姿が目に入った。
それは濃い緑の布の張られたソファーの上で、上掛けを被って横になる男性の姿だった。この屋敷に男性は一人しかいない、当然魔法使いであった。
一体何故彼がここに、自分と同じ部屋にいるのかと、エミリアは頭を悩ませた。
そしてもしやという思いに着衣の乱れを確認してみるが、特になんともなく、彼がここにいる理由にエミリアは困惑を深めるばかりだった。そして暫くの熟考の後、
まさか……。
エミリアはある結論に辿り着いた。
それは出来れば認めたくない結論で……。
ここ、この人の部屋だったりして?
彼が自分の部屋に侵入したのではなく、自分が彼の部屋に侵入したのではないかということにエミリアは思い至ると、背中を冷たい汗が伝ってゆくのを感じた。大体この人は、か弱き少女を馬車から蹴り落とすような人物なのだ、こんなことをして後で何を言われるか分かったものではない。エミリアは気がかりに更に重くなった体を抱えながら、取り敢えず今は難を逃れようと、静かにベッドを抜け出した。そして抜き足差し足、彼を起こさないようこっそり部屋を後にすると、
今日も一日が始まる、まずは食事を作らねば……。
貴族の娘エミリアは、早くもそんなことを考えている自分が哀れになりながら、いそいそ台所へと向かった。
※ ※ ※
魔法使いが起きだしてきたのは、お昼になる少し前あたりだった。朝は弱いのだろうか、まだどこか寝ぼけ眼で、肩の上ではねまくっているザンバラに切られた髪をくしゃくしゃと撫でながら、魔法使いは食卓の席へとやってきた。そしてエミリアと顔を合わせるなり、
「おまえ、昨日はよくも私の寝床を占領してくれたな」
まだ眠気から冷め切っていない眼を剣呑に細め、おどろおどろしい不機嫌のオーラを醸し出しながら、魔法使いは早速そう言ってきたのだ。
「あはは、丁度いい部屋があったと思ったんですけどね」
やっぱり来たその攻撃に、エミリアは待ち構えていたように笑って誤魔化す。
「なにが丁度いい部屋だ。あれは私の部屋だ。何をやってもおまえが起きないお陰で、こっちは中々寝付けないわ、体は痛いわで……ん?」
「昼食です」
恨み言が続きそうな気配に、何とか話を逸らそうと、エミリアは微笑みと共に昼食を差し出した。
だがそれを見て、魔法使いは凍りついた。
悪夢よ再び。目の前には昨日と寸分違いないスープが食卓の上に乗っかっていたのだ。
「これは俗に言う、残り物ってやつか?」
俗に言わなくても残り物なのだが、魔法使いは頬をひくつかせてそう言うと、
嫌がらせか?
心の中でそう呟いた。
どうやら嫌がらせをされる覚えはあるらしい。
だが、当のエミリアはそんな彼の様子には頓着しておらず、天真爛漫な笑顔を返すと、
「大丈夫ですよ。ちゃんと煮直して塩も胡椒も足しましたから。ジャガイモなんかホックホクです」
見た目は同じように見えるが、手は加えてあるらしい。いまいち信じられないような表情ではあったが、魔法使いはスプーンを手に取ると、恐る恐るスープに口をつけた。
「……うーん」
確かに、加えられた塩胡椒以外に野菜からの甘味もでて、昨日よりは大分ましになっていた。だがやはり、まだ煮足りないのか、出汁の概念がすっかり抜け落ちているエミリアの料理は、旨みというか、深みというものが今ひとつ足りなかった。
「食べられないことはないな」
まあこんなものであろうと、魔法使いは納得した。
そう、昨晩は殆どケーキとパンしか食べてないのだ。すきっ腹なのだから何でも美味しく感じよう。甘党といえども、ケーキばかりの食生活がこの先ずっと続いてはたまったものじゃない。生きるために、食べられるものは食べておかねばならないのだ。
「ところで、鶏肉は?」
昨日のケーキもパンも食卓に出ているが、鶏肉だけが見当たらない。疑問に思って魔法使いは尋ねると、
「ゴミ箱です」
どうやら鶏肉は、どうにもこうにもならなかったらしい、少し苦い表情をして、エミリアは微笑んだ。