第六話 背信の愛 その十三
どうやら、本の解読をお願いした時、既に魔法使いは自分の予想をクリフォードに伝えていたようだった。全てを理解したような雰囲気で、凄い、凄いを連発しながら、二人で二人だけの会話をしばし続けていって……。するとそれに、いつも置いてけぼりにされるエミリアが頬を膨らませ、
「いつもいつもこれは凄いものこれは凄いものばかりで、私には全然教えてくれません。一体なんなんですか、それは」
その言葉にクリフォードはちょっと困惑したように小首を傾げると、エミリアを見てそれから魔法使いの方へ目をやり、
「まだ知らないの?」
「ああ、はっきり分かってからの方がいいと思ってね」
それを聞いて、クリフォードはなるほどと頷く。そして少し申し訳ないような微笑みをエミリアに向けると、
「ごめんよ、君がまだ知らないってことを知らなくて。まず結果から言ってしまうと、この本は古代魔法について書かれた、入門書みたいなものなんだ」
「古代魔法……でも、古代魔法の古い本って」
「そう、魔法使い狩りが吹き荒れる中、それに関係する書物は全て燃やされた筈、だったが……」
その気を持たせる言い方に、もしやの可能性がエミリアの胸を過る。
「もしかしてこれが……」
「そう、燃やされてこの世にはもう存在してないとされている本だ」
それにエミリアは感心しきりといったように「へぇ……」と声を漏らす。そして、
「確かに凄いですね。それが貴重なものだって事は十分伝わりました。でも、それで凄い凄いと言っていたんですか? ただ一冊しかない本だからすごいと?」
「確かにそれもある。だがそれだけじゃない。古代魔法が絶えてそれから数百年、全く魔法の無い時代が続いた。その間に人々の記憶から古代魔法の知識は消え、後世に伝える者もおらず、その内容は謎に包まれることになってしまった。だが、この一冊の本がその謎のベールをはぐことになるかもしれないんだ。特に注目すべきは、古代魔法の制御方法だ。話はちょっとそれるけど……近代魔法はある程度の素質さえあれば、学ぶことで誰でも使えるようになれるのは知っているよね」
その問いかけにエミリアは「はい」と答える。
「だが古代魔法はそうでなく、限られた者だけに与えられた特殊能力と言われている。それは遺伝することはなく、ほとんどが突然変異のようにして出現する。まあ、例外もあるけどね。つまり……一度は絶えてしまった古代魔法使いだけれども、その後再び新たな古代魔法使いが出現して、一応存在はしていたということだ」
「はい、知ってます、知ってます! 今でも少数その存在が確認されているんですよね。発見されると、それ専門の研究所へ入れられ……あ、なるほど」
そこでエミリアはクリフォードが言わんとしていたことにようやく気づき、納得の声を上げた。
「そう、かつては普通に皆の間で共有していたと思われる古代魔法の知識は、あの魔法使い狩りで失われてしまっている。それは制御方法もしかり。それ故、古代魔法使いは発見されるとすぐにそれ専門の研究所行きだ。かなりの大きさを持つといわれているその力を制御できないのであれば、いつ爆発する分からない爆弾を抱えているのと同じようなものだからね。そこでは、制御方法について研究が行われているといわれているが、結局その力を行使させることが出来ないのだから研究も進む訳がなく、現在それは体のいい隔離となっている。だが、もしこの本に制御方法が書かれていれば……」
それにエミリアの目が輝いた。
「素晴らしいですね! 古代魔法使いの人達が、解放されることになるんですよね、その研究所から」
「そこまでは分からないが、力が制御できるようになれば、それを色々な場で利用することができるようになるだろう。古代魔法の研究も進むに違いない」
魔法使いが凄い凄いと言っていた真の意味を知り、エミリアは呆然とする。確かにそれはエミリアでもその凄さが分かるものであり、思わず勢い込んで、
「で、解読結果はどうだったんですか? なんか凄いことが載っていたんですか?」
エミリアがそう問いかけると、それにクリフォードは少し残念そうな表情をし、
「そこがなんとも微妙でね……内容は建国記から始まっているんだけど……」
「この世の中が魑魅魍魎であふれている時に、一人の青年が立ち上がった、右に金色の翼を持った竜を連れ、左に魔法使いを連れ、うんぬんって話ですよね。結局若者はスノーヴィス山に魑魅魍魎たちを封印してノーランド王となり、竜にはノーランドの北にある広大な森を与え、そこを禁域として保護することを約束、左にいた魔法使いには、魑魅魍魎を封じた山のある北西の地に土地を与え、魍魎たちが解き放たれぬよう守護する役目を負わせた、と」
「そう、現代の僕たちにも伝わっている伝説だ。過去に存在した偉大なる魔法使いの紹介といった感じで、それと同じような内容が本の始めに簡単に触れてあった。その他にも魔法使いが突然変異的な特殊能力者である事、魔法の種類、性質、発動の仕方などについても細かく書かれていた。もしかして魔法の仕組みとかも書いてあるかと期待したが、入門書だからか、やはり当時の者達も分かっていなかったからか、そこには触れられていなかったけど……。まあ元々が特殊能力だからね、そう考えればその点の解明は確かに難しいと考えられる」
徐々に明らかにされるその内容。まだ古代魔法が制御されていたというその時代に書かれた、実に興味深い……だがそこで、今まで黙ってクリフォードの話を聞いていた魔法使いが、思わずといった感じで話に割って入ってきた。
「だが……魔法使いが突然変異的なものであるとか、特殊能力であるとか、種類や性質や発動の仕方については、今まで存在してきた古代魔法使い達から得た事例から、ある程度予想されている。ここまでは特筆すべきものではないのではないか?」
それにクリフォードは頷き、
「まあ、ね。大体予想されていたものとはかけ離れていなかったから、そういえるのかもしれない。裏づけの意味もこめて、中々面白い内容ではあったけどね」
「やはり注目すべきは……」
「そう、魔法の制御方法。だが……」
気を持たせるようなクリフォードの言い方。それにエミリアは、先走る気持ちについ身を乗り出し、
「書かれていたんですか?」
すると、クリフォードは、
「書かれているといえばいるんだろうけど、いないといえばいない、かな」
そんな曖昧な言葉を残して、机の方まで歩いていった。そして、その山積みされている書籍群から一番上に乗っていた本を持ってくると、中のページを開いてみせた。するとそこには……。
「白紙……」
「そう、何も書いてなかったんだ」
それには、エミリアも魔法使いも流石に拍子抜けだったらしく、力が抜けたよう思わずソファに身を預ける。
「だけど、どう考えてもありえないんだ。指輪に隠してまで守った本なのに、白紙って事は。だから、書いてない訳じゃない。きっと指輪と同じように、何かの魔法が掛かっていて、それを解かないと読めないようになっているんじゃないかと、僕は思っているんだけど」
「確かにそうだな。だが、一体どうやって……」
魔法使いは悩んだ。指輪の時でさえかなりの苦労をしたのだからそれも至極当然のことだろう。それにあの時は中に入っているものを知らず、相手があの男爵だったこともあり、別に失敗しようが壊れてなくなろうがどうでもいいやといった気持ちで、確かあったのだから。だからこそあの無謀ともいえる破壊という行為に出られたのであり……。だが、これは現在、もうここに一つしかないものなのであった。破壊などして失敗でもしたら、取り返しのつかないことになる。それも材質は紙、あまり無謀な挑戦は出来ないように思え、魔法使いの悩みは深くなるのだった。かといって、魔法を解くということも、古代魔法であれば難しいことであり……。
「取りあえず、僕が出来ることはここまでだ。後は君に託すよ。だけど……もしも魔法を解くことに成功したら、是非また解読をさせて欲しい。こんなことに携われるなんて、そうそうないからね」
「ああ、こっちの方こそお願いする。魔法が解ければ、の話だが」
それにクリフォードはハハハと笑うと、再び机の方へと向かい、そこから一冊のノートを取り出した。そしてそれを魔法使いへと差し出し、
「訳はこのノートに全て書いてある。もし疑問な点とかあったらまた訪ねてきてくれ」
「分かった。色々協力、感謝する」
魔法使いはそう言ってコクリと頷くと、ノートを受け取りソファから立ち上がった。どうやらそろそろ退出ということらしい。それを示すよう目配せをしてきた魔法使いに、エミリアも察して慌てて立ち上がると、クリフォードの方へと微笑みを向けた。すると、
「でも、元気そうでよかったよ。あの時の君ははたで見ていてもほんとに危うい感じがしていたからね。彼女の……おかげだったりするのかな?」
大分立ち直ったことについてだろう。そう、そのエミリアの微笑みに照れたような表情を見せながら、そんな気遣いの言葉をクリフォードは言ってくる。
だが、それに魔法使いは、
「エミリアは関係ない、流れる時というものだ。よかったらのしつけてくれてやるぞ」
どうやら、彼にとってそれは心外な言葉だったらしい、思わぬことを聞かれたとでもいうよう、あからさまに表情を曇らせてくる。
そう、それは、全くのへそ曲がりの魔法使い。そして、それにやれやれとクリフォードは肩を竦めると、
「フフ、相変わらずの君だね。でも、そうか……君のものじゃないんだね。なら……」
そう言って、エミリアに向き直る。
「またここに遊びにおいでよ。僕は料理が得意なんだ。美味しい料理をご馳走してあげるから」
どうやらエミリアのことが気に入ってしまったらしい、クリフォードは彼女にそんな誘いをかけてくる。すると、その思いに気づいてかエミリアは驚いたように目を見開くと、
「え、えーと……機会がありましたら……お師匠様と一緒に」
顔を赤らめ、しどろもどろそう答える。確かに青年に好ましい印象を持ってはいたが、現代の社会的常識から考えれば、いきなり一人で初対面同然の男の人の家にお邪魔するなんてこと、当然のことながらできる訳がないのだ。まずは師匠と一緒にということで、またこれは恋愛感情とは別なのだという気持ちもこめて、その申し出をエミリアはやんわり辞退する。するとそれにクリフォードは少し残念そうな顔をして、
「そう……か。やっぱり師匠と一緒に、か」
「すみません」
申し訳なさに肩をすくめるエミリア。だが、それにクリフォードはいやいやと首を振ると、
「そうだよね、いきなりはやっぱり無理だよね。うん、いいよ。待ってるからまたおいでね」
無理やり誘うことをしないあたり、彼の真面目さが出ているといえた。いや、もしかしたら誘うという行為自体、彼にとっては崖から飛び降りるような勇気のいる行為だったのかもしれない。それをなんとなく感じてエミリアは少しばかり良心を痛めると、また師匠と訪れるからと言い訳をして、コクリと頷いた。するとそれにクリフォードは嬉しそうに微笑み、
「じゃあまた、約束だよ」
そう言って手を振る。
流れるのは和やかな雰囲気、その中で二人は名残を惜しむようクリフォードに別れを告げると、ここから去るべく背を向けた。
そう、再び会う約束を胸に。