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ひとひらの花びらに思いを(未)  作者: 御山野 小判
第一章 ひとひらの花びらに思いを
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第一話 令嬢と性悪魔法使い その八

 結局、二人ともそれっきりスープと鶏肉に口をつけることはなく、パウンドケーキと買い置きしてあったパンだけを口に入れ、その日の晩餐は終了した。食べ始めた時間が遅かったので、片付けなどが終了した時には、既に日付は変わり真夜中になっていた。


 そう、後は寝るだけだった。


 だが、どこにも行く当ての無いエミリアは、所在無いように肩を竦めて食卓の席に座るばかりだった。


 それを、やはり食卓の席についている魔法使いが、ちらりと横目で見やった。


「居座るつもりか」


 家から逃げ出してきたことを知っているというのに、意地の悪い言葉であった。やっぱりこの人は冷血漢だと思いつつ、だがもうこの時間、どちらにしても泊めてもらわねば大弱りのエミリアだったから、彼の神経を逆なでするような言葉を口に出すことは出来なかった。立場の弱さを必死で隠して、「できれば……」と弱弱しい笑みを浮かべるばかりだった。

 

 それに魔法使いは溜息をついた。


「仕方ない、戻るに戻れない状態らしいからな。片付けが終わるまでここにいるといいだろう。部屋は……どれでも勝手に使え」


 本当に嫌そうな口調ではあったが、とりあえず居場所を確保できたことにエミリアはほっと胸を撫で下ろした。この人ならば、真夜中に外にほっぽり出すことも本当にありえそうだったから。未婚の若い男女が一つ屋根の下、まあ、一般的な道徳から考えれば、あまり良い状況とはいえないのであろうが、彼の申し出はエミリアにとって非常に有難いものであった。だがしかし、


 どの部屋でもと言われても……。

 

 エミリアは各部屋の惨状を思い出して顔をしかめた。      


 一人で住むには無駄にだだっ広いこの屋敷、使っていないと思われる部屋はいくつもあるのだが、どれもゴミで埋め尽くされている。それはベッドの上も例外ではなかったのだ。流石に今から大量に乗っかった書籍やら何やらをどけるのは御免願いたく、エミリアはなるべく鎮座物の少ないベッドを探して、一つ一つ部屋を開けて見て回った。


 だが思ったとおり、どの部屋も惨憺たる状態で、だんだん気持ちが沈んでゆくのを感じながら、片付けは避けられないことかと覚悟を決めていった。そして望みをかけて最後の扉を開いた時、その部屋に、待ち望んでいた殆どゴミの乗っかっていないベッドをエミリアは見つけたのだった。


 ここに決定!


 やっと労働から開放された喜びに、エミリアは勢いよくベッドの上へ倒れこむと、パホッと全身を包み込む布団の柔らかな感触を心ゆくまで堪能した。


 そしてエミリアは、その気持ち良さに包まれながら、ごそごそと上掛けの中に潜り込むと、ちょっとだけと思いつつ目を閉じた。


 ちょっとだけ目を瞑ったら、すぐ起きて、顔を洗って、歯を磨いて、お風呂なんかに入らせてもらえたら入っちゃって、そして今度こそはちゃんと眠ろう。今はただちょっと、ほんのちょっと目を瞑るだけ。


 だが、そう考えている間にも、睡魔は容赦なく襲ってくる。


 そしてエミリアは今日の疲れに引きずり込まれるように、やがてずるずると深い眠りの途へと落ちていった。


 ほんの、ほんの……ちょっ……と……


 だが、ほんのちょっとは熟睡への誘いであった。

 

 そしてやってきたのは、ただひたすらの暗闇。


   ※  ※  ※


 エミリアが寝入ってから数十分後、彼女の傍らには一つの黒い影が忍んでいた。その容姿、その体躯、その物腰、月明かりに照らされたその者とは魔法使いであり、何故か忌々しげに顔を歪めて彼女を見つめていた。


「……」


 やっぱりこいつは難を呼ぶ女だ。

 

 そしてもう一つ。


 どこでも勝手に使えとは言ったが、何も私のベッドを選ぶことはないだろうが。


 そう、身支度を整えて、さて寝ようかと思って自分の部屋に来てみれば、そこはエミリアに占領されていたという訳だったのだ。


 だが、どこでも勝手に使えと言われれば、一番使い勝手のよさそうなもの、つまりゴミのないベッドを選ぶのは当然だということを、魔法使いは失念していた。またそういったベッドが、既に誰かのものであろう事も容易に考えられた筈であるが、それに思い至らなかったエミリアもエミリアだった。


「おい、起きろ、そこは私のベッドだ」


 肩を掴んで揺さぶってみるが、エミリアが起きる気配は微塵もない。


「おい、起きろったら」


 少し声を荒げて、ペチペチと頬を叩いてみても、反応はなかった。


「ここから叩き落すぞ」


 凄んで脅してみても、起きないものは起きないのだ。


「くそっ! 起きろー!!」


 そう喚きながら、落ちていた本で何度も頭を叩いてみるが、やはりエミリアはすやすやと無邪気な寝顔をさらしている。結構強く、本のへりでも叩いているのに、うんともすんとも言わない彼女に、痛みは感じないのだろうかと、魔法使いは疑問に思った。


 こうなったら……。


 本気でやってやると、魔法使いは足を振り上げ、エミリアに蹴りを加えた。


 どかっ!


 どかっ!


 どかっ!


 どかっ!


 どかっ!


 もう半ば意地である、五回ほど蹴りを入れて、漸くエミリアはベッド下へと落ちていった。ドサリという音と共に、魔法使いの視界からその姿が消える。


 ふふん、やった。


 勝ち誇ったような表情を浮かべる魔法使いだったが、エミリアはあんなことをされたにもかかわらず、ゴミの敷き詰められた床で、やはり変わらぬ息遣いで安らかに眠っていた。 


 よっぽど疲れたのだろうか、確かに今日一日を思えばそれも納得だが、見ず知らずの、今日初めて出会ったそれも一人暮らしの男性の家で、ここまで無防備に熟睡する事ができるというのも、神経が据わっているといえば据わっているといえた。


 ……大物だな。

 

 流石に魔法使いも呆れると、漸く得られる眠りを求めて、空いたベッドに横になった。布団はエミリアの体に巻き込まれて下に落ちている、魔法使いはそれを剥ぎ取ると、自らの上に被せた。


 私の寝床を横取りするのが悪いんだ。


 そう理由付け、少しの罪悪感を心の下に押しやり、魔法使いは熟睡の体制に入った。すると、


「ヘクション!」


 ベッド下で、愛らしい声ながら、あまり愛らしくない豪快なくしゃみが響く。


 寝入りを妨げられた苛立ちに、魔法使いは眉をひそめて再び起き上がると、ベッド下の少女の姿を見下ろした。


 エミリアはいかにも寒そうに肩をすぼめ、両腕を抱くような仕草で眠っている。


 魔法使いはその姿をしばし無言で見つめていたが、不意に気付いたように自分の上掛けに目をやると、二枚あるうちの一枚をエミリアの上にかけてやった。


 エミリアは、それで漸く安眠を得たとでも言うように表情を緩め、寝返りを打ちながら上掛けの中に潜り込んでいった。


 目を瞑った先に落ちる睫は長く、愛らしい唇は空気を得ようとして少し開けられている、フレイヤの涙の言葉どおり、美しい少女の寝姿がそこにはあった。だが、時折その顔が痛そうに歪むのは、下に敷かれている書籍などの角が体にあたるためだろうか。


 魔法使いは仕方ないように溜息をつくと、ベッドから起き上がり、エミリアのもとへと歩み寄ってその体を抱き上げた。見た目どおり、軽い体重が彼の腕にかかる。そしてその身をベッドに横たえると、乱れた上掛けを掛け直し、エミリアの目にかかった巻き毛を退けてやった。


 お祓いに行って自分が憑かれてしまったか。

 

 魔法使いは少女の寝顔を見ながら、今日一日を振り返って苦笑いを浮かべた。

 

 そして魔法使いは自分の上掛けを手に、ソファーへと向かった。その上には、ゴミとも荷物とも取れない鎮座物が乗っかっている。魔法使いはそれを手荒く払いのけると、


「くそっ!」


 忌々しげにそう呟き、上掛けを引っかぶってソファーへと横になった。


 実は、枕が替わっただけで眠れなくなる性質なのだ、ソファーの上は寝心地悪いことこの上なかった。だが仕方あるまい、神経は図太そうだが、彼女はか弱い少女であり、話によると高貴な生まれの者らしいのだから。二十も後半の、一介の魔法使いの男が、少しぐらい我慢することも必要だろう。


 静かに時は流れる。更け行く夜を感じながら、一人は眠れぬ夜を、一人は熟睡の彼方を、それぞれ彷徨いながら、それぞれの時間は過ぎていった。

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