第六話 背信の愛 その四
「さて、やっと二人きりになった訳だが……」
元は温和なレヴィン。だがこの者を前にしてはさすがに穏やかではいられず、どこか眼差しに鋭さを含ませてレヴィンは女性を見遣る。
「一体、何をお聞きしたいのですか? 話すべきことは、既に尋問官の方に全て話しておりますが」
それにレヴィンはクスリと笑った。
「随分と殊勝な態度だね、見事な猿芝居とでも言った方がいいかな」
「殿下は、私が嘘を言っていると思っているのですね。でも、証拠はあるのです。入国許可証だってちゃんとありますし、スケッチだって揃っています……」
「そんなものは! どうやってでも偽造できる。僕はね、この目で見ているんだよ。君が仕掛けた罠で、僕の友人がとんでもない契約書にサインさせられそうになっているところを」
レヴィンにとっては実にくだらないその証言に、苛立ちをあらわにしてそう問い詰める。すると、その言葉には何らかの効果があったのか、女性の表情が若干強張ったように、レヴィンは思えた。だが、
「私を引き渡してきたという人から、そう聞いたのですか? ですがそれは嘘っぱち……」
「違う。この目で見た。僕はその場にいたんだ。途中で君は気を失っただろう、それをやったのは僕なんだ」
その言葉に大きく目を見開く女性。そして、
「そ……それは……」
明らかなる動揺であった。どうやら女性は、何故自分がノーランド王子の手に渡ったのかについてはよく分かってないようだった。アシュリーとレヴィンがかつて上司と部下の関係だったという情報は彼女の耳にも入っている可能性があるから、そういった関係から引き渡されたのだろうとは見当つけているかもしれないが、あそこで気を失わせた人物がレヴィンとは思ってもいないようだった。まあ、だからこそのこの大芝居なのであろうが。
だがこれは、確かに感じる手ごたえであった。なので、何とかしてこれをもっと確実なものにしようと、レヴィンは更に……。
「有力な証言者となりえるだろうアシュリーとエミリアは、国王の求婚を蹴って偽装駆け落ちをしている、だから彼らはこの王宮に顔を出し名乗りを上げることができ無いと、君はそう思っている。違うか?」
「……」
沈黙する女性。だが、その沈黙こそがイエスといっているに相違ない答えであった。いや、少なくともレヴィンはそう受け取った。そして、
「それを確信してのお芝居。だけどね、いざとなったらこの話を公にしてもいいと、僕は思ってるんだ」
それは、半分嘘で半分本当であった。できればエミリアを表舞台に出すことはしたくない。だが、この女性が余りにしつこいようだったら……。そうならないことを願ってレヴィンは鎌をかけたのだった。正直、それは賭けでもあったが、あと少しでその牙城が崩れそうに感じたこともあって、思い切ってそんな行動に出たのであった。
「君はルシェフの特殊工作員であり、偽造入国許可証でノーランドに入国していた。そして、エミリアを拉致し、アシュリーをおびき出して、ルフェフの研究に尽力するよう血の契約を結ばせようとした。そうだろ。全て知っている。その現場も僕は見ている」
もう逃げられないんだ、観念してくれと、レヴィンは女性の自白を促すべく更に問い詰めを厳しくする。
そう、暴かれたそれは紛れも無い真実。
するとそれに、女性は驚いたよう目を見開いていたが、ようやく事の事態というものを理解したらしく、顔をうつむけると、しばらくしてその体勢のまま、クツクツと笑いを漏らした。
「ほう、ノーランドの王子がルシェフへ密入国、これはこれは興味深い話だ」
口元に浮かぶのは不敵な笑み。そして、そんな笑みを浮かべたまま、女性は態度を一変させるとゆるゆる顔を上げてゆく。どうやら一枚、化けの皮がはがれたようだった。
「確かに問題になると思うけど、君の偽りの仮面を剥がす為なら、多少のお説教も覚悟の上だ」
「だが、私は口を割らないぞ、決して! お前が証言しようと、エミリア嬢やレヴィル氏を出してきたとしても! 私はルシェフの一般市民、ノーランドに絵のモチーフを探しにきた画家だ!」
「なら僕は、君がやったことを証言するまでだ。ルシェフは悪魔と契約している。これは噂でなく真実であったと。第一線を退いた魔法使いの失踪事件、それも全てルシェフが関わっていたということを! 僕はこの目で、決定的な場面を見た! これは世の中を動かす重要な証言。どの国もルシェフを警戒するようになるだろう」
「だが、私がイエスといわぬ限り、それはあくまで推測の枠を出ず、真実とはなりえない! 私は言わぬ! 我が愛すべき祖国、ルシェフの為にも! ルシェフこそがこの世界を率いるべき国、アルトゥール陛下の元に、皆一致団結してよき国を作るのだ! アルトゥール陛下万歳! ルシェフ万歳! 愛国民は私だけではない! この国にもいたるところに……」
不敵な態度ながらも追い詰められていたのだろうか、思わずといった感じで女性は次々と言葉を口走ってゆく。そしてその内容にレヴィンが眉をひそめたその時、
パン!
何かがはじけるような音がした。するはずのないその突然の音にレヴィンはドキリと胸を鳴らすと、目の前の女性が大きく目を見開いたまま、ガックリと頭を垂れた。露になる後頭部。するとそこは血にまみれており、その傷から飛び散ったのだろう、更に後ろの壁も鮮血に染まっていた。
レヴィンは恐る恐る女性の手を取ってみた。まだ息はあるかと脈を確かめてみたのである。だがやはり……ピクリとも音は聞こえず、どうやら即死であったらしいことが窺えた。この状態だと、恐らく何が起こったのかも分からず死んでいったに違いなかろう。
そして目の前のこの惨劇に、レヴィンは言葉を失って何故と問う。
魔法封じが掛かった密室に、レヴィンと女性の二人だけ。扉はピタリと閉まっており、決して誰も手出しのできない筈の空間。そう、自分以外は……。なのに行われた殺人劇、レヴィンはパニックに陥っていると、
「殿下! 何かあったのですか!」
不意に勢いよく扉が開いて、外で待っていた者達が部屋の中に入ってきた。恐らく音を聞きつけて何事かと思ってやってきたのだろう。そして、目の前に広がる修羅場に、皆は声を失う。そう、そこで、呆然とするレヴィンを見て、更には息をなくして頭を垂れる、血だらけの女性を見て。
そして、その痛いほどの視線を背に、レヴィンはリディア達を振り返った。
「僕じゃない……僕は何もやってない……なのに、何故……」