第一話 令嬢と性悪魔法使い その七
それからエミリアは、高い山の峰から周囲を見渡すように、吹き抜けになっている二階の階段上から辺りを眺めた。どこをみても、そこは足の踏み場もないゴミの山で、どう考えても地道に片付けながら鍵を探すしかないように思えた。どこから手を付けたらいいのかにも迷う有様で、とりあえず炊事場や食卓のあるこの屋敷で一番広い部屋から片付けることにした。
本、本、本、書類、メモ用紙、本、メモ用紙、書類……どうやら散ばるゴミの殆どは紙ゴミのようであった。たまに衣類や、干からびたような葉っぱ類、魔法道具や実験器具らしきものなども出てくるが、その大方を占めるのは紙ゴミであった。
生ゴミじゃないこと、それに唯一救いを感じて、それをひたすら胸に言い聞かせ片付けを始めるが、どれが必要なもので、どれが必要なものでないか、エミリアにはさっぱり分からない。どれもこれもがゴミに見えるから、片っ端からゴミ箱に詰めていってみれば、「これもいる、あれもいる」と、脇から魔法使いの茶々が入ってくる。
それは、殴り書きのようなメモだったり、どうにも枯れているようにしか見えない葉っぱだったりするのだが、それが重要な書類だったり、珍しい薬草だったりするから、遅々として作業は進まないのであった。
それにしても、これらのゴミと混じって、どっから見ても薬草とは思えない干からびた葉っぱや鉢植えなんかも転がっており、尋ねてみればそれも必要なものだというから、魔法使いとはよく分からないもの。一体こんなもの何に使うのだろうかとエミリアの不思議感は増すばかりだった。
そうして、どのくらいの時間が経っただろうか。恐らく二、三時間は経過したと思うが、だんだん、いちいち尋ねなきゃいけない面倒くささと大量すぎて先の見えないゴミの量に、エミリアはイライラし始めていた。そのイライラを抑えながらしばらく片付けていると、脇で「これいる、あれいらない」とやっていた魔法使いが、不意に「そういえば……」という呟きの後、視線を上げて、何故かエミリアの顔をじっと食い入るように見つめてきたのである。本当に、顔に穴があくかと思うほどの見つめっぷりであった。
「なんです?」
口さえ開かなければ、うっとりするほどの容貌なのである。そんな彼に見つめられて、エミリアは何事と訝しりながらもどぎまぎと胸を高鳴らせた。すると、
「腹減った」
「……は?」
「は・ら・へ・っ・た」
少し強い調子で返ってきたその言葉に、これは何を意味するのだろうとエミリアは腕組みをして考えた。そして思い至った結論は、
「それは、私にご飯を作れと言っているんでしょうか?」
「当たり」
邪気の無い笑顔で魔法使いは答える。
その、さもそれが当然とでもいうような、実に小憎らしい魔法使いの態度に、エミリアは内心拳を握っていると、
「炊事、洗濯、掃除……」
「はいはいはい」
はいはい、そうですとも、約束したのは掃除だけではありません。炊事、洗濯、掃除です。やりますよ、やればいいんでしょ。
いつのまにか夜は更け、外は暗くなっていた。確かにエミリアもそろそろお腹がすいてきており、彼が作る気配が無いのなら、自分がやらなければならないのだろうと渋々台所へと歩み寄った。
周りの荒れように比べて、そこだけぽっかり浮かび上がったように、台所はきれいに整えられていた。ここだけきれいなのもおかしなもので、もしかしたら全く料理はしてなかったのかもしれない。ならばどうやって食事を取っていたのかと疑問に思うところだが、エミリアにはそれどころではない問題にぶちあたって頭を悩ませていた。
そう、自分は伯爵令嬢なのであった。じっとしていても料理は運ばれてくる生活をしていたのであった。自ら食事を作るなどとんでもない、やったことがないのだから、どんなに頭を悩ませてもレシピの一つも思い浮かぶことはなかった。料理の本でもあれば助かるのだがこの屋敷にあるとは思えず、あったとしてもこのゴミの中から探し出すのは勘弁して欲しかった。
だが、エミリアには僅ながら希望があった。そう、最近始めたばかりなのだが、エミリアの趣味はなんとお菓子作りなのであった。食事を作ったことは無いが、お菓子はある。林檎の皮が剥ければ、ジャガイモの皮も剥けよう、梨を煮詰めることが出来れば、煮物を作ることも出来よう。問題は味付け。違うのはただそれだけ……きっと、多分、恐らく。
根っこは同じ、似たようなものだ、エミリアはそう開き直ると、包丁を右手に、ジャガイモを左手に不敵に笑った。
さあいくわよ。
※ ※ ※
数時間後、とっぷり夜も更けて、流石に二人の腹の虫も騒がしくなり、待つ方も待ちくたびれて来た頃、漸く食卓の上に幾品かの料理が並んだ。
一品目はジャガイモ、にんじん、キャベツ、玉葱を煮込んだ塩味がベースのスープ。二品目は塩コショウで味付けした鶏肉に細かく刻んだ香草をまぶしローストしたもの。そしてもう一品は、エミリアお得意のパウンドケーキであった。
湯気を立てて美味しそうな匂いを放つその品々に、否が応でも食欲が刺激される。
正直言って、作り方は適当であった。だが、レシピも見ず、初めて作ったにしては、我ながらよく出来たのではないかとエミリアは満足げだった。
そして、早速その苦労の傑作を賞味していただこうと、ご飯ですよの声をエミリアは魔法使いにかける。すると、その声と匂いに惹かれてか魔法使いは居間にやってきて、「うまそうだな」といいながら席に着き、早速フォークを手にとった。
そして、そんな彼がまず手をつけたものとは……
「ケーキ?」
魔法使いの反応が気になって、息を詰めてその様子を見つめていたエミリアだったが、予想外のものに手が伸びて、脱力して思わずそう言葉が漏れた。普通それは、一番最後に食べるもんでしょ、そう言いたくなるのを寸前で止める。
「悪いか」
「いえいえ」
一瞬じろりと睨みつける魔法使いに、エミリアは慌てて手を振って否定する。
それに魔法使いはどこか不機嫌そうな表情を浮かべていたが、とりあえず気を取り直すと、手にしたケーキを一口食べた。するとその瞬間、魔法使いの表情が一変した。
「うまいな」
意外な顔をして魔法使いがそう呟く。
そうでしょうとも、とエミリアは心の中で呟いた。これは、エミリア得意中の得意料理なのであったから。
魔法使いはその言葉が嘘でないことを証明するように、あっという間にパウンドケーキを平らげていった。そして、
「おかわり」
そう言って、空になった皿をエミリアに差し出した。
「……」
男性には珍しいケーキ好きなのだろうか? 食欲旺盛なのは嬉しいが、あまり出会った事のない反応に戸惑って、エミリアは何か不可解なものでも見るようその皿をじっと見つめた。
「甘党なんだ、なんか文句あるか」
すると、魔法使いはエミリアの眼差しに彼女の思いを察したのか、再び不機嫌そうな表情を、相変わらずの尊大な態度で返してきた。だが彼の、その瞳の奥底には、恥じらいと躊躇いの文字がわずかに見え隠れしているのをエミリアは見逃さなかった。
どうやら、この不遜な魔法使いにも、多少なりとも可愛げというものはあるらしい。
今までやり込められてばかりのエミリアだったから、この魔法使いの弱点ともとれる出来事の発見になんだか嬉しくなると、
「ハイハイただいま」
心なしか声を弾ませながら、皿にお代わりのケーキを盛り、魔法使いに渡した。
「まだまだありますから、たんと食べてくださいね」
変に陽気なエミリアであった。
それに魔法使いは不審な表情を見せながら、二個目のケーキをこれもまたあっという間に平らげていった。
そして、どうやらこれでケーキには満足がいったようで、魔法使いはフォークを置くと、漸く他の料理に手をつけ始めた。そう、ますはスプーンを手に取り、スープから。
「どうですか?」
「……」
再び息を詰めて反応を見守るエミリア。だがスープに口をつけた魔法使いは彼女を無言で見やると、それには答えず視線を戻し、今度はナイフとフォークを持って鶏肉へと手を伸ばした。そして一口、口の中に運ぶと、もぐもぐ咀嚼しだし、
「……」
やはりなんとも表情の読み取れない視線を、魔法使いはエミリアに投げかけてくる。一体これはどういう意味なのだろうと、エミリアは頭を悩ませた。すると、
「おかわり」
魔法使いは皿を、エミリアの目の前に差し出した。それは、先ほど空にしたケーキの皿であった。
どういうことよ
料理はまだ沢山残っている、なのに何故ケーキなのかと、憤然としながらエミリアはスープに口をつけ、そして鶏肉を口に入れた。
「……」
「分かってくれたか?」
同意を求めるようにこやかにそう言う魔法使いに、エミリアは納得した表情で立ち上があがると、差し出された皿を受け取り席を外した。
例えばスープ、エミリアは出汁というものの存在をすっかり失念していた。わずかに塩の味がすることだけが救いの、殆ど出汁の旨みもないお湯のような代物で、そこに生煮えでゴリゴリと芯のある野菜が浮いていた。そして鶏肉は、適当に選んで刻んだ香草が余りにも大量で、それが鶏肉の味を全てぶち壊し、なんともいえない臭みのある、味のハーモニーを作り出していた。
まあ、一言で言って不味いのである。
「まだまだありますから、たんと食べてくださいね!」
自分の不手際を覆い隠すように、満面の笑みを浮かべると、エミリアはケーキを盛り付け魔法使いに差し出した。だが彼はそれを見て瞠目した。そして、
「おまえは私を、ブタにするつもりか!」
山盛りのケーキを前に、魔法使いは腹立たしげにそう吐き捨てた。
話が地味ですみません! まだ先ですが、二話目以降はもう少し派手な話にしてゆこうと思ってますので……。