第五話 この上なき秘宝 その十三
「臭う、なんか臭うぞ、この家の奴らは」
「はい、私もそう思います」
食事が終わり、再び二人は部屋へと戻ってきていた。そして開口一番、魔法使いはあの食事の席で感じた印象を思うままに述べると、考え込むようにして顎に手を当て、
「だが、それがなんなのか、尻尾を捕まえることが出来ない」
「やっぱり、あの少女の霊が言ったとおり、指輪の謎を解くってことでしょうか?」
「うーん……」
だが、そうするには自分が頑張らなければどうにもならないのだ。それを思ってか魔法使いは、忌々しげにこの厄介ごとの源、エミリアの指にはまる指輪に目を落とすと、どこか慎重な口調で、
「実は、食事を取りながら、何かいい方法はないかと色々考えていたんだが……」
「ああ……はいはい」
なるほど、それであの黙々とした食事だったのかと、エミリアは納得して魔法使いの言葉に頷く。
「指輪を壊そうとするからいけないのではないかと……。このルビーだからこそ魔力を秘めているのであり、違うものに変質させれば、それは消えるんじゃないか、そうふと思ったんだ」
「それは……どういうことですか?」
具体的に魔法使いが何を言おうとしているのかが分からなくて、エミリアは尋ねる。すると、
「ルビーとはコランダムと呼ばれる鉱物の一種だ。コランダムに含まれる不純物の違いで色が変わってくる。ルビーが赤色に輝くのは、コランダムにクロムという不純物がわずかに混じることによる。ならば、その不純物をクロムでなく、鉄とチタンに変えてみる。すると……」
魔法使いはぶつぶつと呪文を唱え始めた。すると赤く輝くルビーは段々と色を変え、ビロードのような光沢のある青色、コーンフラワーブルーの宝石に姿を変えた。
「これは……」
「サファイアだ。だが……」
特に指輪に何の変化もない。だが、これで先程よりは魔力も落ちているのではないかと、そう思って魔法使いは再び、
「タングステン合金攻撃だ!」
「ま、またですか~」
泣きそうな表情のエミリア。すると、そんな彼女を横目に、魔法使いは早速宝石に魔法をかけてゆくのであって……。そう、衝撃を与えてみたり、熱してみたりを試して……。だが、
「やはり変わらないか……。宝石というのが、魔力を冗長させる礎となってしまうんだろうか。ならば、宝石としての価値を下げてみようか。まずは……そうだな、不純物を全く取り除いてみる。すると」
魔法使いが呪文を唱えてゆく。すると、青く輝く宝石は、次第に色を失い無色透明な石に変わっていった。
「宝石界ではやはりサファイアだが、鉱物界ではコランダムとなる、宝石として用いられることはあまりない」
強い輝きを放つ無色のサファイア。見た目は美しいが、宝石としての価値は劣ってしまうという。それに魔法使いは先程と同じように、衝撃を与えてみたり熱してみたりをしていったが、残念ながらやはり宝石に何の変化もなく……。
「……しぶとい、あまりにしぶとい指輪だ」
そして、魔法使いは腹立たしさにとうとう堪忍袋の緒が切れかかって、
「くそっ、こうなったらこのコランダムに磁鉄鉱を混ぜ合わせてしまえ、出血大サービスの大量投入だ!」
そうはき捨てると、再び呪文を唱え、意識を集中し始めた。すると、魔法使いは今までにない何か抵抗感のようなものを感じた。そう、魔法使いがその魔法をかけるのを石が拒んでくるような……。ようやく感じた手ごたえらしきものに、ここで負けてなるものかと魔法使いは更に強く鮮明に想像してゆく。
すると、透明の美しい輝きを放つ宝石は次第に姿を変え、お世辞にも美しいとは言えない、ゴツゴツとして黒ずんだ岩石がそこに出現したのだ。こうなってはもう宝石とは呼べないだろう。工業用の研磨材に用いられる、エメリーと呼ばれる鉱物である。
だが、姿が変わったからといって、何かが変わる気配は無かった。手ごたえを感じたのだが、やはり衝撃を与えたり、熱してみたりしなければ駄目なのだろうかと、そう思って魔法使いは呪文を唱えてゆく。するとその時、
「!」
エミリアの指の上にある石が、いや石だけでなく指輪全体が、突然崩れて粒子状になり、さらさらと床に落ちていったのである。そして、その中からむくりと起き上がるよう、何かの物体が姿を現し……。
「エミリア、離れろ!」
そう、その物体とは体長一メートル強ぐらいある四足の竜であった。恐らく、エミリアが夢で見たあの小竜であろう。金色の鋭い目をぎらつかせ、獰猛といわれる黒竜を示す真っ黒な翼を羽ばたかせ、鋭い牙をその口から覗かせ、恐ろしげな様相を二人の前に見せていた。そして竜は、指輪から解放されたことをその目で確かめるかのよう周囲を一、二度見回すと、
「ギ、ギ、ギ、ギ、ギ」
低く耳障りな鳴き声を発する。
それに、小型でも、黒竜ならば油断はできないと、魔法使いは一、二歩下がって身構えると、
「ケレサノ・サトアユ・アオキゾク・ケイグカ!」
攻撃魔法の呪文を唱えた。
すると、魔法使いの手の平から、放電を示す火花が散る。
「お師匠様! 保護種ですよ、保護種!」
「分かってる!」
思わず叫ぶエミリアに、魔法使いは重々承知とそんな答えを返してゆく。そう、これは高電圧ながらも電流は非常に微弱である攻撃、殺傷能力はないのだ。触れてもせいぜい痛みを感じ、一時的に体の制御が利かなくなるくらいの魔法なのであった。殺してはいけない、その言葉を守っての威嚇であった。
その威嚇に竜はギ、ギ、ギ、と声を上げながら、二、三歩後退りする。そして竜の方も威嚇のつもりなのか、更に大きくギィィィィーと鳴いてくるが、どうやら反撃してくる気配はないようだった。それに、ならばと魔法使いは更に追い詰めるべく、再び呪文を唱え始める。するとその時、
「?」
魔法使いは竜の様子に気がついた。そう、なんと竜はその場にとどまって足を踏ん張ったまま、ぶるぶると震えていたのである。気の荒い獰猛な黒竜、ならば火花を見たくらいで怖気ずくようなものではないと思うのだが……。
「ケレサノ・サトアユ・アオキ……」
試しに仕切りなおすよう魔法使いはもう一度呪文を唱えてみる。するとそれに竜は、
「???」
その言葉を聞いた途端、強張っていた体を解放して身をひるがえし、すたこらさっさとソファの方へと走っていったのである。そして、その陰に隠れると、魔法使い達の方を窺うよう、チラリ顔を覗かせながら、やはりぶるぶると震えていた。どうやらソファの陰に逃げ込んで、身を隠しているつもりらしい。
「私達を、恐れている?」
その様子を見て、エミリアは思ったままのことをポツリ口に出した。そして、ゆっくり竜へと近づいていったのである。
「エミリア、危険だ!」
追い詰められた獣ほど、恐ろしいものはない。切羽詰ってどんな攻撃を仕掛けてくるか分かったものではないと、そう思って魔法使いはエミリアに声をかける。
「大丈夫、大丈夫よ。怖くないから」
だが、エミリアは近づいていった。そして手を伸ばせば触れられる所まで近づくと、そっとその頬に触れてみた。竜が攻撃してくるような気配はない。それならばと勇気を振り絞って、エミリアは頭を撫でてみる。すると、竜は震えるのを止め、気持ち良さそうに目を閉じ、撫でるエミリアの手を受け入れていったのであった。
「な……なんか、大丈夫そうですよ」
「………」
数々の人を苦しめてきたであろう呪いの指輪の守護竜の、あまりに人懐っこい仕草に少しばかり戸惑いながら、エミリアは魔法使いにそう言う。するとそれに、魔法使いは困惑したような面持ちになると、にわかには信じられない思いで、竜の方へとゆっくり近づいていった。
今や竜はきちんとお座りをして、エミリアの出したもう一方の手に頬ずりまでしていた。付け加えるなら、嬉しがる犬のように尻尾まで振って。だが、近づく魔法使いに気がつくと、竜は怯えたように身をすくめて、エミリアの方へと擦り寄っていった。
「……私の使い魔のスズメといい、この竜といい、おまえは獣系に好かれる傾向があるらしいな」
その様子を見て、呆れたように魔法使いは言う。
「あははは……私が好かれているというより、お師匠様に怯えてるといった方がいいような気もしますが……」
あんな脅しかたをすれば、誰だって怯えるだろうと、そう思ってエミリアは魔法使いにやんわり忠告する。そして、
「でも、どうして呪いの指輪になってしまったんでしょうね。こんなに人懐っこいのに。お師匠さま、竜の言葉は分かりますか?」
「いや、私が分かるのは使い魔だけだ」
「そうですか……」
残念そうにエミリアは呟く。ならば私達の言葉は分かるのかしらと、エミリアは竜の顔を覗き込み、
「ねえ竜さん、あなたがこの中に入っていた理由は何?」
すると、それに竜は振っていた尻尾を止め、大きな目を潤ませると、
「ギー、ギ、ギ、ギー、ギー、ギ」
そう言ってエミリアに泣きつくよう体を擦り寄せてきた。
「そう、怖かったの。暗かったの。あの中が嫌だったのね。助けて欲しかったのね」
「……おまえ、言葉が分かるのか?」
「いえ、何となくそう言ってるように感じません?」
「何となくって……いうなれば勘か。そんなんで……」
当たってるかどうか分からない、そう言おうと魔法使いはする。だが不意に竜はエミリア達から離れて応接セットの方へと駆けてゆくと、卓の上にある花を一輪取り、またエミリアの元に戻って、それを差し出したのだ。そう、丁寧に両手で持ち、まるでエミリアプレゼントするかのように。ちょっと身をよじらせて、頬を染めているその姿は、照れているようにすら見え……。
「なんか、合ってるみたいです」
その行動を、気持ちを分かってくれてありがとうの意味に受け取り、エミリアはちょっと戸惑いながら花をもらって、魔法使いにそう言う。
「最初から無理やり守護竜にされたのか、閉じ込められている内、あまりの時の長さに嫌気が差したのか、それは分かりませんが、とにかく外へ出してもらいたくって仕方がなかったみたいです」
「なるほど。外へ出して欲しくって、指輪をはめた者の夢に出て助けを求めていたが、この強面ゆえ、逆に恐れられて悪夢となってしまっていたという訳か」
「はい、多分」
そう言ってエミリアは竜を見ると、竜は相変わらず泣きそうな表情で、その言葉を肯定するようにうんうんと頷いていた。そして竜は再びエミリア達の元から離れてゆくと、四足で歩きながら、部屋の出口の方へと向かっていった。そして扉の前に立ち、その前足でこつこつと扉を引っかいてゆき……。
「なんだか、外へ出たがっているみたいですね」
「ああ、そうだな」
「どうします、ついていってみます?」
魔法使いは少し悩むが、しばらくしてそれを否定するよう首を横に振ると、
「あの少女の件もあるし、そうしたいのは山々だが、今はちょっと目立ちすぎる。夜になるのを待ってからにしよう」
それにエミリアは、確かにそうだと納得してコクリ頷く。そして竜の側にいって身をかがめると、
「ごめんね、今はちょっと待ってね。夜になったら行きましょう」
説得するようにそう言った。