第五話 この上なき秘宝 その十二
早速降霊の魔法をかけるべく、魔法使いは部屋の中央にスペースを見つけると、エミリアを傍らにそこに立った。そして、やりなれない魔法で少々緊張しているのか、魔法使いは気持ちを落ち着けるよう一つ息を吐くと、
「その少女の名前は分かるか?」
「テルシェ、だそうです」
それに頷いて魔法使いは呪文を唱え始める。
「ケネ・モサカナアリ・エドクショヲ・デイオ・ケケナ・エラツカツ・ケイルア」
そして目を瞑って意識を集中し始めると、
「テルシェ、ここにいるのか? いるのならば降りてきて、我らの前に姿を現せ」
魔法使いの呼びかけの言葉の後、しばしの間沈黙が続く。だがいくら待っても、この空間にその少女らしき者の姿が現れることはなく……。
「テルシェ、お願いだ、我々の前に姿を現してくれ!」
「お願い! 私達の前に姿を現して! 聞きたいことがあるの!」
自分の声が助けになるのか、それはよく分からなかったが、じっとしていることも出来ず、エミリアは思わずそう声を上げる。
すると、
「……」
「……」
やって来る、再びの沈黙。だが今回は沈黙だけでは終わらなかった。
そう、何もない空間に不意にフッと花でも開いたよう、人の形が浮かび上がったのだ。そしてその者は舞い降りる花びらの如く、軽やかに地面へと降り立つと、少し勝気に見える視線を二人に投げかけてくる。それは紛れもなく昨日エミリアが見た幽霊であり、あの肖像画の少女の、少し成長した姿であった。
「こんにちは、お客さん。また会ったわね」
そう言って、その少女は幽霊らしからぬ晴れやかな笑顔をエミリアに向けてきた。
「あなた、やっぱりテルシェさん? 男爵の娘の」
「ええ、そうよ」
「でも、屋敷の人は、あなたは外国へ遊学中と言ってました。つまり、生きていると」
それに少女テルシェは、何かおかしなことでも聞いたようにクツクツと笑った。
「生きてる? 確かにそう思っている人も、いるかもしれないわね。でも、私のこの姿が何よりの証拠」
その言葉で、エミリアの中の疑惑が確信へと変わってゆく。
「じゃあ……」
「私は死んでいるわ」
予想された言葉。だが、その後続けて少女の口からこぼされたものは、エミリアにとって大きな衝撃を与えるもので……。
「私は……そう、殺されたの」
「!」
エミリアは言葉をなくした。確かに、もしやという気持ちもない訳ではなかった。だが、死んでいたとしても、それは病死とか事故死とか、そういったものの可能性も捨てきれないのではと、そう心に思っていたエミリアであり……。いや、そうであることに希望を繋ぎたい気持ちであったのだ。
「一体、誰に……」
「それは……」
そこで少女テルシェはどこか悲しげにも見える表情を浮かべた。そして、
「まずは指輪の呪いを解いて。話はそれからだわ」
そう言って、テルシェは再びふわりと浮いていった。
「テルシェさん?」
その行動の意図がわからず、エミリアは疑問の声を上げる。
すると、天井高くに舞い上がり、段々とその色を薄くしてゆくテルシェ。それにどうやらここから去りゆこうとしていることをエミリアは察すると、「待って!」慌ててそう声をかけた。殺されたのならそれは遊学先だったのか、違うのか、遊学先じゃないとしたら一体どこで殺されたのか、屋敷の人間が彼女のことを生きていると思っているのは何故なのか等など、聞きたいことは山ほどあったから。なのに、それはあまりにも早すぎる、また謎めいた言葉を残した退出で……。
「お願い、行かないで! 私に教えて!」
だが、少女はエミリアの声に応えることなく、更にその色を薄くしてゆくと、
「待ってるから、お願いね」
そんな言葉だけを残して、早々に消え去っていったのだった。
「どうやらこれは、何が何でも指輪にかかった魔法を解かねばならないようだな」
傍らで、じっと成り行きを見守っていた魔法使いが、ゆっくり口を開く。と、それに、
「はい、そうですね」
思うところはエミリアも同じ、あとは魔法使いの頑張りに望みを繋ぐのみと、彼にそう言葉を返す。
そして、続きを始めようとした、その時、
トントントン。
まるでタイミングを見計らったかのよう、部屋の扉をノックする音が響いた。
「はい?」
エミリアが返事をすると扉が開き、
「昼食の準備が出来ました。よろしければ食堂へどうぞ」
屋敷の女中らしき者が中に入ってきてそう促す。それにエミリアは付き合わねばならないだろう男爵のあのおしゃべりを思い出して憂鬱な気持ちになると、困惑交じりの笑顔を浮かべ、
「分かりました。今行きます」
※ ※ ※
しかるべき時にしかるべき準備の整えられた昼食の席。そこには男爵、魔法使い、エミリアの他に、今回は男爵夫人の姿もあった。その食卓の場は想像通り男爵の独り舞台で、静かとは程遠いおしゃべりの嵐が吹き荒れていた。内容は趣味の話、屋敷の話、社交界の人々の噂話等など、よく口が回るものだと思う程、次から次へと言葉が飛び出してくる。だがそれを聞く一方で、エミリアは不安な気持ちにもなっていた。そう、このことは誰にもしゃべらない、そう言っていた男爵だったが、この調子ではすぐ皆に伝わってしまいそうだなと、うんざりとした思いにもなっていたからだ。そして、エミリアは冷や汗を流し流し、とりあえずの笑顔を貼り付けてゆくと、ひたすらその話に耳を傾けていって……。すると、
「ところで、指輪の謎の解明は進んでいるかい?」
目下の関心事はそれだったらしい、期を見て窺うようにそう男爵が魔法使いに尋ねてくる。
それに魔法使いは、まるで彼の話など右から左というよう黙々と食事を取っていたが、一応聞いてはいたらしく手を休めると、
「いえ、まだですが……」
「どうだい、うまくいきそうかね?」
「さあ、それは分かりませんが、必ず解明してみせるという気持ちではありますよ、必ず」
必ずの部分を強調して魔法使いはそう言う。それに男爵は顔を綻ばせると、
「それは頼もしいことだ、な。ディアナ」
「は、はい」
相変わらず、小さな花のような男爵夫人。だがその慎ましさは、すぐに手折られる運命におびえるかのよう、いつもおどおどとしていて、この男爵の言葉にすら吹き飛んでしまいそうな、そんな儚さをみせていた。そう、今にも掻き消えてしまいそうな……。
「ところで、お嬢さんがいらっしゃるらしいですね」
すると、不意に思い出したよう、魔法使いがそう言葉を切り出してくる。それに男爵はそのことを彼が知っていることを怪訝に思ったのか、眉を潜めると、
「いる、が……何故それを?」
「私の助手のエミリアが……」
相変わらず助手を強調してそう言うと、魔法使いは話せとでもいうように、エミリアに目配せして男爵達を示す。すると、まさかここでこんな展開になるとは思ってもいなく、心の準備が整ってなかったエミリアは慌てて、
「はい、お屋敷に飾られている絵を見ていたら、とても可愛らしい少女の肖像画に目を引かれて……女中さんにご先祖様ですかと聞いたら、いえ、男爵のお嬢さんだと。聞いたところによると、今外国に遊学中とか」
それに男爵はにっこり微笑んでうんうんと頷くと、
「そうなんだよ、中々活動的な娘でね。愛娘だが、甘やかしたせいか親も手に負えない時があって……まあ、色々事情があって今は外国にいるんだ」
困った娘といいいながらも、可愛くて仕方がないようだった。その顔を笑みであふれんばかりにしてゆくと、でれでれとそんな言葉を発してくる。だが、一方の男爵夫人の方は、テルシェの話が出た途端、ただでさえ白い顔を更に青くさせて、明らかに何かがあると思わせる表情を浮かべており……。そう、手に持つスプーンでさえも震えさせて。そして男爵夫人は食事の手を止めると、
「すみません。ちょっと食欲がないもので……失礼させていただきます」
そう言って席を立ってこの場から去っていってしまったのだ。
「……全く、お客様の前だというのに。すまないね。家内は娘とはあまり仲がいいとはいえなかったのでね、そういった話は好まないのだよ」
場をしらけさせるような彼女の行動を快く思わなかったのだろう、男爵は苦々しげな表情でそう言い訳をする。それにエミリアと魔法使いは、困惑を隠せない表情で顔を見合わせると、
「なるほど、そうなんですか……」