第五話 この上なき秘宝 その十
そうして男爵が部屋から出てゆくと、魔法使いはエミリアの手に光る指輪を前に考え込んだ。正攻法で行くなら、この指輪にかかっているだろう魔法を解除することが第一にあげられるだろう。注意深く相手の魔法使いがかけた魔法を読み取りながら解いてゆくという、地道ではあるが着実な方法だ。だが、これはいわれが真実なら、古代魔法使いの持ち物であった指輪。だとすると……。
魔法使いは目を瞑り、封印解除魔法の呪文を唱えた。そしてその指輪を探ってみるが……。
「やっぱり、駄目だな」
「駄目ですか……」
しばしの沈黙の後顔を上げた魔法使いにエミリアはそう言う。
「かかっているのは古代魔法だ。近代魔法とは構造が全く違っている。解除の方法がさっぱり分からん」
「じゃあ……」
どうすれは……と不安げな表情を見せるエミリアを前に、魔法使いは少し頭を悩ませる。そして、
「解除できないなら、無理やり壊す、か」
それにエミリアは数歩後ずさって、怯えたような表情をした。エミリアの脳裏を過るのは、強行突破の名の下に、無理やりぶっ壊して開けた王宮の結界のどでかい穴。
「わ……私の指の上でやるんですか」
「当然じゃないか。指をちょん切って欲しいなら、話は別だが」
それも当然ごめん願いたいと、エミリアはブンブン首を横に振る。
「で、でも、どうやって壊すんですか! 目標はこんなちっこいんですよ。い、いえ。第一、こんな由緒ある素晴らしい宝石を壊すなんて! もったいないですよ! 何か別の方法は……」
自分の指の上でそんな無体なことさせてたまるかという思いで、エミリアはとりあえずもっともらしい理屈をこねてみる。だが、それに魔法使いはあっけなく、
「ない」
その返事に、エミリアは思わずガックリとうなだれる。
「とりあえず何で壊そうか……ルビーは硬度こそダイヤモンドに劣るが、衝撃に対する強さである靭性はダイヤモンドより高い硬い宝石だ。それに更に魔法がかかっているとしたら、かなり厄介かもしれんな……うーん」
そうして魔法使いはしばし悩むと、うなだれるエミリアを放って、さっさと指輪を壊す算段へと入ってゆく。
確か、衝撃力は速度と重量に応じて大きくなり、固い物にぶつかるときのように、衝撃の作用が短時間に行われるほどその力は大きくなるはずだ。ならまずは……
「そうだな、鉛の礫にスピードをかけて宝石に当ててみるか? いや、万が一ということもある、タングステン合金でいってみようか。ダイヤモンドに次ぐ硬さで靭性も高く、金と同程度、鉄の約二.五倍、鉛の約一.七倍の比重を持つ。それをまずは時速千kmでやってみよう。当然のことながら、ピンポイント攻撃だ」
「ピ、ピンポイント……」
「そう、手を動かすなよ。もし少しでも動かしたら目標がずれて……」
そこで魔法使いはフッフッフと不気味に笑う。それで何が言いたいのか良く分かる。ルビーではなく、エミリアの指が粉々ということであろう。思わずおののきで顔が引きつってしまうエミリアだが、こうなっては仕方がない。渋々腕を卓の上に乗せ、恐怖の一瞬が去るのを待つようぎゅっと目を瞑る。
そう昔、弓の名手と謳われた英雄がいた。彼は自由の身をかけて、息子の頭の上にある林檎を射抜くか、それとも死ぬかを選択することになった。まさしく自分は彼の息子と同じ立場にいるのだろう。頭に林檎を乗せた少年の……。だが彼は父親を信じていたに違いない、きっと成功するということを。ならば自分も師匠の魔法を信じ……。
すると、魔法使いの呪文を唱える声がエミリアの耳に聞こえてきた。
今彼の頭の中では、そのタングステン合金とやらの生成過程が想像されているのだろう。
そう、炭化タングステンに結合剤であるコバルトと、耐酸化性を高める炭化チタンを加えてよく混ぜ合わせ、粉砕し、そしてそこにしっかり圧力をかけながら押し固め、高温で焼き上げる……という過程が。
やがてその通り、魔法使いの手の中に、光沢のある銀白色をした超硬合金と呼ばれるタングステン合金の礫が現れる。そしてそれを、魔法使いは早速ルビー目掛けて発射し……。
金属のきらめきを放ちながら、目にも止まらぬスピードで目標物へと向かって走る礫。そして聞こえてくるのは、見事それに当たったことを示す小気味良い衝突音。だが、
エミリアは恐る恐る卓の上の指を見てみた。すると、何とか指は無事だったが……残念ながら、ルビーの方にも何の変化もなく……。
「効果なし、か。うーん、物理的にはこれで壊れておかしくない筈だが……的が小さく、ピンポイント攻撃しなくてはいけない都合上、礫をこれ以上大きくするのは難しい。重さはこれまでということは……後はスピードを上げてゆくしかないということか? じゃあ、次は音速だ。時速千二百二十五km、秒速三百四十mだ」
「ま……またやるんですか……」
再びあの緊張と恐怖を味わうのかと思うと、嫌になってエミリアはガックリとうなだれる。
すると、それに魔法使いはコクリと頷き、
「砕けるまでやる、じっとしてろよ」
そう言って再び呪文を唱え始める。
そんなエミリアの胸に湧き上がってくるのは、またもやの恐怖。当然のことながら、それに勝つなんてことはできず、エミリアは再び目を瞑ると、ひたすらその時が過ぎるのを待ってゆく。そう、師匠を信じる、師匠を信じる、そう胸に言い聞かせ。
そしてしばしの沈黙の後、魔法使いの手から作り出されたであろうその礫が、発射される音が部屋に響く。その後すぐ、聞こえてくるのはそれが勢いよくルビーに当たる音。だが、やはり、
「なんともないです……」
指の上を見て、エミリアが泣きそうな表情でそう言う。流石にそれには魔法使いも怪訝顔で、
「??? 音速でも駄目? 拳銃の弾丸並の速さなのに。じゃあ、時速三千kmだ、ライフル並の速さだ」
半ばやけくそになって魔法使いは呪文を唱えると、スナイパーの如き正確さで照準を定め、タングステン合金の礫をその手から発する。
それは、礫の姿をはっきりと確認することも出来ない速さ。
そしてやはり礫は、ピンポイントで見事ルビーに当たってゆく、が……、
「変わりなしです……」
「???」
魔法使いは更に怪訝顔。そして、
「おかしい! 封印の魔法が掛かっていたとしても、これで砕けないなんて絶対おかしい! もっと別の、そういった衝撃を吸収する魔法もかかっているのだろうか……。いや、かかってなければこんなことはありえない! 大体、これだけの衝撃を受けて台座まで無事ってところがおかしいんだ」
納得いかなかった。本当に、全く納得がいかなかった。ならば次はと、魔法使いは、
「ルビーを、融点の二千五十度まで熱してみよう」
「に、二千五十度! 指が黒後げになっちゃいますよ!」
「心配するな、ルビーの内側から熱してゆく」
そして魔法使いは呪文を唱えると、じっと眼差しに力を込めてルビーを見つめてゆく。
想像するのは内側から発する熱。
百度……三百度……四百五十度……どんどん加熱して行く。そして七百度……千度……千五百度……千六百五十度……千八百度……二千度……二千五十度……。
融点。だがまだルビーに何の変化もない。とりあえず、そのままじっとルビーが溶け出すのを待ってみる。だがやはり変わりはなく……。
二千百度……二千百五十度……。
試しにもっと温度を上げてみる。
二千二百度……二千二百五十度……ええい、一気に三千度まで上げてしまえ!
だがやはり、ルビーに何の変わりもない。そして幾ばくかの時が過ぎた後、
「なんなんだ、この指輪は!」
とうとう根負けしたように、魔法使いがガックリとうなだれて息をつく。そしてエミリアの指輪を見つめたまま、座り込むと、
「うーん……」
手を顎に当てて考え込み始めた。
どうやらネタ切れらしい。
座り込んだままひたすら考え込む魔法使い。唯、時間だけが刻々と過ぎゆく。それをエミリアは辛抱強く待っていたが、いつまでもそんな時間が流れると、
ね……ねむっ。
睡眠不足もあって、たちどころに睡魔が襲ってくる。これはいかんとエミリアは残った方の手で頬を叩くと、
「お師匠様、時間がかかるようだったら、私、気晴らしに少し外に散歩に行ってきていいですか? このままだと、どうにも眠ってしまいそうで」
それに魔法使いはしばらくの沈黙ののち、
「うーん……」
どうやら、魔法使いの意識は指輪にかかる魔法を壊すことのみに持っていかれているようだった。そう、エミリアの言葉など耳に入ってないかのよう、なんとも取り留めのない返事が返ってきて……。そして、そんな彼を前にしてエミリアは、じっと見つめてくる魔法使いの視線から逃れるよう、恐る恐る指輪をはめている方の手をどかしていってみて……。すると、
特に彼から何の反応も無い。エミリアの腕が動いたことにも気づいてない様子だ。
ではついでにと、エミリアは魔法使いの目の前で手をパタパタ振ってみる。だがやはり、魔法使いはそれにも気づかないよう、同じ姿勢でじっと考えに耽っていて……。
この調子だと、自分が部屋から出て行ってもそれに気づくことすらないかもしれない。ならば……。
今のうちにとそう判断すると、エミリアは静かに起き上がって扉へと歩いてゆき、それを開けてこっそり部屋から出て行った。