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ひとひらの花びらに思いを(未)  作者: 御山野 小判
第一章 ひとひらの花びらに思いを
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第一話 令嬢と性悪魔法使い その六

 ここは一体どこよ。


 突然放り出された見ず知らずの森の中で、エミリアは一人彷徨い歩きながら、しょぼくれた様子でそう胸の中で呟いた。

 

 高級な生地の、最高の仕立てのドレスは、見るも無残に土にまみれていた。整えた髪も乱れに乱れ、頬にまで土をつけて、エミリアから貴族の優雅さは全く一掃されていた。  


 そんなエミリアの歩く道は、確か馬車も通れる大きな道であった筈なのだが、何故だかいつの間にか確認するのも困難な獣道のようなものに変わっており、ドレスの裾がそこに生い茂る下草を揺らしていた。段々森も深くなってきているような感じもして、エミリアの心細さは頂点に達しつつあった。

 

 どうしよう。

 

 自分の方向音痴がどうやら道に迷うという事態を引き起こした事を悟ると、行き先を見失ってエミリアは途方にくれた。だが、歩くこと以外に為す術は無い。

 

 せめて、日があるうちに民家に辿り着かねば、そしてここがどこだかを把握して、身を潜められる場所を探さなければ。

 

 とにかく野宿という事態だけは避けたかったエミリアは、それを何度も繰り返し胸に言い聞かせ、森の出口を目指して歩き続けた。


 そしてどのくらいの時間がたっただろうか、先の見えない道に、例えようもない疲労と焦燥感が募っていった時、エミリアは自分が立てる物音以外の音を背後で聞いた。ガサリと草木の揺れる音である。人か獣か、何かがいるようであった。人ならば有難いが、こんな森の中で人間と出くわす可能性は低いように思われた。獣でも鳥や鹿程度なら特に問題はないのだが、もしや熊や狼ならば……嫌な予感を抱えながら、エミリアは物音の方へと振り返った。

 

 すると、やはり嫌な予感は的中した。茂みの中から顔を出したのは、一匹の狼だったのである。狼は群れをなす、エミリアはあたりを見回すと、察した通り、茂みのあちこちから狼が顔を出してきた。どうやら囲まれているようであった。

 

 狼は少しずつエミリアに向かって歩みを進めてきている。こんなところで狼の餌食になってしまうなんてご免だった。エミリアは背筋に冷や汗が流れるのを感じながらニ、三歩後退りすると、勢いよくそこから駆け出し、狼の輪を抜けた。背を向ければ追ってくることは分かっていたが、武器も何も持たないエミリアは、そうする以外に方法が思い浮かばなかったのだ。

 

 エミリアの後を追う狼たちのざわめきが背後に聞こえる。その速さは重いドレスを纏った人間と比べるまでもなく、あっという間にエミリアは追いつかれた。一匹が棚引くドレスの裾に噛み付き、ビリリと布の裂ける音が響く。それと共に後ろに引っ張られたエミリアは、足が縺れてその場に転んだ。

 

 もう駄目! お父様お母様ランバート様そして皆々様ごきげんようさようなら!

 

 覚悟を決めてエミリアは頭を抱え、目を瞑る。だがしかし、


「?」


 いつまでたっても鋭い狼の牙の攻撃はやってこなかった。何故? と思って恐る恐る顔を上げてみると、そこにはやはり狼の顔が、だが親しげにクンクンと鼻を鳴らして、エミリアに鼻面を擦り付けていたのだ。

 

 どういうこと?

 

 顔を上げたエミリアを待っていたかのように、狼はドレスの袖のフリルを噛み、まるでどこかへ導こうとでもするよう引っ張った。


「こっちへ来いって事?」


 気のせいかもしれないが、その瞳はうんと頷いているように見えた。そんな何かを伝えたいかのように輝く狼のつぶらな瞳に、訝しく思いながらもエミリアは立ち上がると、それを合図とするよう、とある方向へと一斉に向かって行く狼たちの後を追っていった。


   ※  ※  ※


 狼たちの速いペースに息を切らせながら、エミリアは道無き森の中を歩んでいった。そんなエミリアに、狼たちはちゃんとついてきているか確認するかのよう、時々立ち止まっては振り返りを繰り返し、森の奥へ奥へと進んでいった。この様子は、やはり自分をどこかに導いているといっていいだろう、先に待つものへの不安を胸に抱きながらも、エミリアは狼の後を追って早足で歩を進めていった。そしてニ、三十分ほど歩いただろうか、不意に森が開け、そう豪華ではないが広さはありそうな、一軒の木造の屋敷が目の前に見えてきたのだ。


 その屋敷の玄関と思しき場所の前には、一人の青年が立っていた。


「来たな」


 ニヤニヤと笑いながらそう言う青年は、あの馬車で出会った魔法使いであった。


 魔法使いは先導してきた狼たちに向かって手を上げると、


「もういい、行け」


 そう命令した。恐らくこれは彼の使い魔なのだろう、魔法使いが命令した途端、狼たちは踵を返しわらわらと来た道を戻ってゆく。ほんの短い時間の間に狼たちは姿を消し、開けた場所にはエミリアと魔法使いの二人だけの姿が残った。


「私の名はアシュリー=レヴィル、見ての通り魔法使いだが……酷い格好だな」


 あまりのエミリアの様相に、顔を合わせるなり魔法使いはそう口を開く。 


 だがこうなったのは他の誰でもない、彼のせいなのだ。それにエミリアは何か文句を言ってやりたい気分になったが、予想もしていなかった展開に、とりあえずその怒りはぐっと我慢すると、


「私はエミリア=セルウィンです。一応貴族の娘ですが……それよりこれは一体どういうことなんですか?」


 驚きを胸に、作り物の笑みを口元に、こう言った。


「私はただ約束を守っただけだよ、国王陛下の婚約者さん」


 国王陛下がどうこうという事は、エミリアはこの魔法使いに話していない筈だった。なのに何もかも知っているかのような物言いにエミリアは更に驚きを深めると、言葉を忘れてぽかんと魔法使いの顔を見つめた。


 すると、それを見て魔法使いはクスクスとおかしそうに笑った。


「あんたは、国王陛下との縁談話が持ち上がっていた。だが結婚などしたくないあんたは、元婚約者に助けを求めに行った。だが助けが得られないことを知って、実家に引き渡されないようあの屋敷から逃げ出した」


「……どうして」


「何も不思議なことじゃない、私はあの家にお祓いを依頼されたんだ。なんでもあの家の坊ちゃん、占い師に女難が降りかかると告げられたそうでね」


「女難?」


 それが自分に一体何の関係があるのだろうと、エミリアは考えを巡らした。そして、女難、女難、女難と呟いて思い当たったことといえば、


 婚約破棄。


「それって、私のことですか?」


 エミリアは恐る恐る自らを指差して魔法使いに問うた。


 それに頷く魔法使い。


 ひ、酷い……。


「とにかく私は約束を果たした。あのままでは御者に見つかって、屋敷に引き渡されていただろうからね。そこを助けてやったんだ、あんたも約束は守ってもらおうか」


 どこか高慢な印象を与える態度でそう言う魔法使いに、エミリアは眉をひそめた。

 

 あれは助けたと言うのだろうか? ただ馬車から叩き出されただけのような気がするのだが……。

 

 納得のいかないような表情をするエミリアに、彼女の思っていることを察したのか、不意に魔法使いは不機嫌に顔を歪めると、


「現に今、おまえはあの屋敷の者に引き渡されずここにいる。それは、私があの馬車から放り出したからだろう」


 そして、


「何でも言うことを聞くと、言ったな」


 魔法使いは何か謀でもするような、意味深な笑みを漏らした。


 背筋も凍るようなその笑みを見た時、エミリアは、もしかして自分はとんでもないことを言ってしまったのではないかという後悔の念が過っていった。


 これでもエミリアはフレイヤの涙と呼ばれる美貌の持ち主なのだ。どんな無体な願い事を言われるかわからない。言葉ではいえないような、とっても恥ずかしいことを要求されるかも。いやいや、そういうことだけではなく、想像を越えるようなあんな事やこんな事とか……ううっ、どうしよう、巡る妄想に、エミリアの背中には冷たい汗が流れていった。


 だが、言った言葉を今更撤回する訳にもいかない。渋々エミリアは、


「はい……」


 それに魔法使いは「よろしい」と言って満足げな表情をすると、


「あんたにやってもらいたいのは、とある鍵を探すことなんだが……」


「鍵?」


「そう。私の研究の成果が入っている机の引出しの鍵を無くしてしまったんだよ」


 どんな難題を吹っかけられるかとひやひやしていたエミリアにとって、それは意外にも単純な頼みごとであった。エミリアは少し拍子抜けして、この人であるから、もしかして何か裏があるのではと勘ぐった。例えば、


「それは、外とか……」


 だとしたら大変な仕事になる。だが魔法使いはそれに首を横に振った。


「いや、家の中にあるはずだ」


 確かに広そうな屋敷ではあるが、お城のようって訳ではない。当然ながらエミリアの屋敷と比べても随分小さく、それならば探すのは簡単なことではないかと、エミリアはほっと安心した。


「そのぐらいなら」


 にっこり笑ってエミリアはその申し出を受け入れた。だが、この先その考えが甘かったことを悟るようになる。そんな簡単なことを自分でやろうとしない、その意味を考えなければならなかったのだ。


「中へ」


 魔法使いは屋敷の扉を開けると、エミリアの背を押し中に導いた。するとそこで待っていたのは、


「……これ?」


「そう、これだ」


 目の前に広がるその光景に、言葉を無くして立ち尽くすエミリアだった。


 それに魔法使いは嫣然と微笑むと、


「炊事、洗濯、掃除、何でもやるって言ったよな」


 確かに言った、だが……。


 これはないだろうと、声を大にして言いたかった。


 そう、扉を開けた途端待っていたのは、床に散乱したゴミゴミゴミゴミゴミの山だったのだ。


「勿論片付けの方も、お願いするよ」


 何かのおまけのような簡単さで魔法使いはそう言うが、どう考えても鍵を探すよりもはるかにこちらのほうが重労働に思えた。


 もしかして、逃れる代わりに得たものとは、とてつもなく高く値のつくものだったのではと、今更ながら少し後悔するエミリアだった。だが受けてしまったものは仕方がない、後戻りすることももはやできず、腹をくくるしかない彼女だった。

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