第五話 この上なき秘宝 その五
それからエミリア達は、従僕だろう青年に案内されるがままその後をついてゆくと、やがて到着した客間へ通され、家の主人がやってくるまでしばしそこで待つこととなった。
「随分おっきくて、立派な屋敷ですね。まるで貴族の屋敷みたいです」
「だろうな、貴族の屋敷なんだから」
それに、エミリアは確かに貴族と分かるその古くて価値のありそうな調度品の数々に目をやりながら、ふーんと頷いた。
「貴族か……」
そして、そこではたと気づいた。
あれっ? 貴族ってことは……。
「いやー、いやいや、待たせちゃったね。ゴメンゴメン」
不意に部屋の扉から、笑顔を撒き散らしながら一人の三十代後半ぐらいの男性が中に入ってきたのだ。それを見てエミリアは、
「!」
ふと過った予感が当たってしまったとでもいおうか、戦慄と共に体を固まらせる。
「それにしても早い、実に迅速な行動だ。素晴らしい……ね、ん?」
そこで男性とエミリアの目があった。いたたまれない思いにエミリアの身は縮こまる。そして案の定、男性は一瞬の空白の後、大きく目を見開くと、
「ああ、なんと、エミリアじゃないか! またどうしてこんな所へ!」
「はあ、まあ、私もびっくりです……」
ああ、なんていうこと、こんなところで知り合いに会うとは。それもよりによってこの人だなんて……。
それもこれも元の原因は……と、エミリアは恨めしげな目つきで傍らの魔法使いをチラリと見遣る。すると、
「知り合いか?」
悪びれた風もなく、ボソリと小声で魔法使いがそうエミリアに言ってくる。それにエミリアはコクリと頷くと、
「リーヴィス男爵です。でも、貴族なら貴族って最初から言って下さいよ。相手が貴族なら、私が知り合いの可能性が高いんですから!」
「そんなの私には関係ない。大体、最初はおまえを連れてくる予定はなかったんだ。受けた依頼にそこまで気を回してなんかいられるか」
「でも、知り合いだとするとあの噂に関連して色々不都合が出てくるじゃないですか。せめて心の準備をする時間くらいはくださいよ!」
こういった所から、また変な噂が広がらないとも限らないのだ、もう少し気ってものを使って欲しいという思いでエミリアは魔法使いにそう言う。すると、言い争うそんな二人を前に、リーヴィス男爵は何か微笑ましいものでも見るように笑みを浮かべると、
「ああ、夫婦喧嘩かい? 喧嘩するほど仲がいいっていうからね。存分にするといいよ。でも……」
そこでリーヴィス男爵は魔法使いをまじまじと見つめる。
「君があの、噂の魔法使いか。うーん、確かに男前だ。エミリア、君の目がくらんでしまうのも分かる気がするよ。それにしても縁というものは不思議なもの、私がその魔法使いに仕事の依頼をすることになるとは。私の名はレズリー=リーヴィス、よろしく頼むよ、エミリアのだ・ん・な・さ・ま!」
やはり、このリーヴィス男爵も流れる噂を頭っから信じているらしい、何の疑いもなくぺらぺらと魔法使いの怒りに触れそうなことをしゃべってきて……。
そう、それは実に恐ろしい展開。思わず恐る恐る傍らを見遣ってゆけば、そこにはこぶしを握り震える魔法使いの姿があった。傍目にも怒りを堪えているのがありありと分かり、エミリアの背中に冷たい汗が流れてゆく。それでも彼にしては驚異的な我慢強さを見せ、
「……私の名前はレヴィルといいます。アシュリー=レヴィル。そしてこちらが私の助手のエミリアです。エミリア=セルウィン」
「助手、そうか助手か! ああエミリア、妻でありながら助手も勤めているとは、立派なことだよ。内助の功、妻の鏡だ!」
額の青筋が一本増える魔法使い。
そう、そういうつもりで魔法使いはわざわざ助手の部分を強調し、エミリアの名前をフルネームで言った訳ではないのだ。なのに男爵は無神経にも、魔法使いの神経を更に逆撫でるような言葉を続けてくるのだから、寛大とはいえない彼の怒りが深くなるのも当然のことだろう。
そう、どうやらこのリーヴィス男爵という者、何を言っても自分が思っていること以外、受け付けるということをしないタイプの人間のようであった。だがどんな人間であろうと相手は依頼主、爆発寸前の魔法使いにエミリアは少しばかり危機を感じながら、「あ、あの……」と、誤解を解こうと口を開きかける。すると、
「いやいや、大丈夫。君の言いたい事は良く分かっているよ。このことは内緒に、だろ。陛下はどうにか諦めたようだが、世間の風当たりはまだまだ厳しいからね。だが私は世のカップル達の見方だ、他言はしないから安心しておくれ」
エミリアの言葉を遮って、まるで自分の言葉に酔うように、男爵はやはりぺらぺらと好き勝手なことをしゃべってゆくのだった。
それにエミリアは少し頭痛がするのを感じながら、早いとこ誤解を解かないととんでもないことになりそうだと、「いえ、そうじゃなくって……」再び口を挟もうとするが、
「そういえばっ! 赤ちゃんはどうしたんだい? まだ臨月を迎えてないと思うんだが、それにしては随分お腹が小さいように思えるんだけど」
またもや遮られて言葉を続けることが出来ない。
度重なる男爵の割り込みに困り果てるエミリア。だが考えてみれば、この振りはある意味いい機会であった。
「あの、赤ちゃんは、実は……」
嘘なんです。ちょっと言いづらそうに、でも思い切って告白せねばと躊躇いつつなんとかエミリアは言葉を続けようとする。すると、口ごもるその様子をどう受け取ったのか、男爵は不意に衝撃を受けたように深刻な表情をすると、
「ま……まさか! ああ、ごめんよ。いけないことに触れてしまったようだね。そうか、そうか……」
そう言って、いかにも残念といった面持ちをしてエミリアを見つめる。そしてポツリ、
「……流れてしまったんだね」
そしてそして、男爵はエミリアの手をがしっとつかみ、
「だが大丈夫、神様は何度でも君たちに微笑んでくれよ。今回が駄目でも、また次がある。気を落とさないでおくれ」
「……」
何も言葉が出ないエミリアと魔法使いであった。
「なんなんだ、このおっさんは」
忌々しいように魔法使いは再びエミリアにそうボソリと呟く。
「はい……こういうおっさんなんです……社交界でも」
ああ、やっぱり予想したとおりの展開になったと、エミリアはいたたまれない思いをする。
すると、二人の会話に割ってはいるように、男爵が、
「お話し中申し訳ないが……ところで、夕食はもう済んだのかい? まだならすぐに用意させるが」
「いえ、休憩時間に軽く食べましたので、結構です」
「そうか、ならすぐに部屋に案内しよう。早速依頼の件、といきたい所なんだが、今日はもう遅いからね。ゆっくり休んでもらって明日詳しいことを話そう」
そう言って男爵は傍らにあったベルを鳴らすと、
「ジェイル!」
と、使用人らしき者の名を呼ぶ。そして、その者が来るまでの場を繋ぐように、
「いや、でも長旅はさすがに疲れただろう。エミリアは特に辛いことがあったばかりの体だ、馬車の揺れはきっと身に染みたに違いない。いくらでものんびりしていくといいよ」
「……お気遣いありがとうございます。ですが私の助手エミリアには、そうのんびりしてもいられない事情がありまして……」
しつこく、魔法使いは助手の部分を今一度強調して言ってみる。だが、
「あははは、そうかい。やっぱり仕事は早く済ませて、新婚さん水入らずで過ごしたいってことかな。いやいや、余計なお邪魔をしてしまって申し訳ない。だが、我が家も捨てたものじゃないと思うよ。ここにいる間は、是非とも屋敷の生活を楽しんでいっておくれ」
「……」
一言言うたび更に倍量の、またとんでもないところに回路がつながる会話にうんざりして、魔法使いは苛立ちを覚えながらも誤解を解くのを到頭諦める。そしてもう何も言うまいと、魔法使いもエミリアも、流石にぐったりして口をつぐむとその時、男爵が呼んだ使用人――従僕らしき人物がタイミングよく姿を現した。
「お呼びでしょうか?」
「お客様をお部屋にご案内しろ。我が家のスイートルームだ!」
にっこにこ笑いながらそう言う男爵に、エミリアと魔法使いの胸にはなんとも言い難い嫌な予感というものが過っていった。