第五話 この上なき秘宝 その二
魔法使いの書斎に入って、早速はたきをかけはじめるエミリア。だがやはりまだ不機嫌は収まらず、先程の蹴られたお楽しみも相まって、荒っぽい手つきに拍車が掛かる。その勢いのまま、本棚や卓の上の燭台、窓辺をはたいてゆくと、天井のシャンデリアを経て、やがて魔法使いの居城、書類や本が積み重なる机へとパタパタはたきは移っていった。パタパタパタパタ、パタパタパタパタはたきをかけていると、
あら?
物々しい書類陣とは異質の、ビロードの布が張られた、上品な雰囲気を醸しだす一つの小さな箱が、机の上に乗っかっているのを発見したのである。
宝石箱にも見えるそれは、魔法使いが持つにはあまりに不似合いなもの、またお掃除担当のエミリアが今まで一度も目にした事のないものであった。なので、魔法使いの持ち物とは考え難く、先程の仕事を依頼してきたという客のものかと、エミリアは見当をつける。
他人のものならば、容易に触ってはいけない。が、このいかにも高級な、何か素晴らしいものが入っていそうな雰囲気を漂わせる箱が、おいでおいでと誘うよう、エミリアの興味をかきたてた。そう、それは守るべき良識というものを超えてしまうほどに。
チラッと覗き見るぐらいなら。
そしてエミリアはそろそろその箱に手を伸ばすと、恐る恐る蓋を開けてみた。すると、中に入っていたのは……。
す、すごいっ!
血の様な、真っ赤な石がはめ込まれた指輪が出てきたのだ。
恐らくルビーであろう。翳りのない赤で、深いながらも透明感があり、内側から発せられるモザイクの鮮やかで美しい輝きが、ピジョンブラッドと呼ばれる最上のルビーであろうことを匂わせていた。そしてその大きさ、十カラット以上はあるように思われた。
貴族でもそう容易には持てないであろう宝石。それがこんな所に。
エミリアはごくりとつばを飲んだ。
ちょっと指にはめてみたい、とそう思ったのである。
だがこれは恐らくあの客人のもの。
人のものを勝手にはめるなんてことは、この宝石箱を開けるより、もっとずっと良識に反していた。もし魔法使いにばれれば、お説教は確実に違いない。
だがだが、こんな機会きっと二度とはないだろう。それに先程の不愉快な一件もあり、エミリアのへそは背中くらいまで曲がっていた。
そうしてたどり着いたエミリアの判断、とは、
ばれなけりゃいいじゃないの。
そんないけない考えに染まってしまったエミリア、その気持ちに少しだけだからと言い聞かせ、指輪を手に取り、左の中指にゆっくりはめていった。
するとそれは、まるでエミリアの為にあつらえたかのよう、ぴったりと指に収まってゆき、そして、
きれい……。
指にはまった指輪を見て、エミリアはうっとりとする。更に、光に手をかざしてみてみれば、モザイク状のルビーの輝きが一層際立って見え……。そうしてエミリアは一頻りその美しさを堪能すると、ようやく満足して指輪を外そうとする。だが、
あれ?
入れるときはするっと入ったのだが、抜くとなると……。
抜けない!
エミリアの背に冷や汗が流れた。
引っ張ってみたり、ねじってみたり、思いっきり力を入れて指輪を抜こうとするが、全くそこから動く気配すら感じられないのであった。
ど、どうしよう……。
魔法使いに見つかる前に元の場所に戻しておかなければ……。だが現実がそれを許さない。顔が真っ赤になるほどエミリアは必死の形相で指輪を抜こうとするが、やはりどうにもこうにもならなかった。すると……。
その時、エミリアは今最も聞きたくない音を聞いた。
コツコツコツと、こちらに向かっていると思われる靴音を聞いたのである。
近づくその人物とは、どうにも魔法使いしか考えられなかった。ばれたらきっとかえるかきのこ、エミリアはその緊急事態に背中に戦慄が走るのを感じると、宝石箱の蓋を閉め、元の位置に戻し、床に置いたはたきを手に持って慌てて掃除をする振りをした。勿論指輪をはめている手はさりげなく……いや全然さりげなくなかったのだが、前掛けのポケットに入れて。
「フンフンフンフンタラリ~ラ、フンフンタラリ~」
陽気に鼻歌なんかも歌ってみる。すると、扉が開き、予感どおりそこから魔法使いが入ってきた。
「なんだ、まだ掃除していたのか」
「もうすぐ終わります!」
にっこり微笑んでなんかみたりもする。
すると魔法使いは真っ直ぐ机へと向かい、その真ん中に乗っている宝石箱に手を伸ばした。
当然のことながら、エミリアの心臓は最高潮の高鳴りをみせ、ばれる恐れに大きな緊張感に襲われる。だが、
魔法使いはその箱を手に取ると、中を見ることもなく傍らの本の山の上に無造作に置いていったのだった。どうやら書類を広げるのに邪魔で、ただ位置を移動させただけらしい。そして魔法使いは椅子に座ると、もう宝石箱には目もくれず、開いたそのスペースに手に取った書類を広げていって……。
そう、取り敢えずの難は去って、ホッとするエミリア。そして、どこか場所を移動して指輪を抜き、魔法使いがいない間を狙ってこっそりそれを元に戻しておくのだ、そう心に決めて引きつった笑いを残すと、エミリアはこの部屋から出てゆくのであった。
※ ※ ※
それからエミリアはとりあえず自分の部屋にやってくると、早速指輪を抜くべく一人困難な闘いへと立ち向かっていった。だが努力も空しくやはり指輪は外れず、更に厄介なことに、
トントントン
部屋をノックする音が聞こえてきたのだった。すぐに扉は開き、中を覗いてきたその人物とは、やはりまたもやの魔法使いで……。
「客に出したお茶がそのままになってるぞ」
「あ……後で片付けます……」
エミリアは慌てて指輪をはめた手を後ろに隠すと、困惑も露な強張った笑顔でそう言う。
全く、いつもならお茶が出しっぱなしだろうが、またそれが三日でも一週間でも置きっぱなしだろうが気にしない人なのに!
珍しくもはた迷惑な気配りにエミリアの声は思わず上ずってしまう。
だが、危機はどうやら懸念に終わりそうだった。そう、それ以上魔法使いは深く言及せず、そうかと言って、部屋を去っていったのだから。安堵と共にそれを見送り、今一度指輪抜きに挑戦するエミリア。すると、
そうだ、指に石鹸をつければすぐ抜けるってどこかで聞いたことがある!
不意に名案が思い浮かぶ。
それに少し希望を見出して、早速試すべくエミリアは台所へと移動した。幸いなことに居間兼台所のそのスペースには誰もいなかった。ホッとして台所の水場にエミリアは駆け寄ると、手を濡らしつるっとすべるよう指に石鹸を塗りつける。そして指輪を引き抜こうとするが……だがまるで指にかっちり食い込んでいるかの如く、やはりそれは抜けないのであった。何度も試すが結果は変わらず、エミリアは今にも泣きそうな気持ちになっていた。するとまたもや……。
聞こえてきた足音にエミリアは慌てて手を洗ってそれを隠し、何気ない風を装って流行りの歌を口ずさむ。するとやはりやってきたのは魔法使いで……。どうしてこういう時に限って、タイミングよくあっちこっち顔を出してくるのかと、エミリアは思わず胸の中で毒づく。そして、
「きゅ、休憩ですか……」
「ああ、何かつまもうと思って。何かあるか?」
「昨日作ったチーズケーキが棚に……」
と、再び引きつった笑いを浮かべながらエミリアはズルズルとその場から退出する。そう、当然のことながら、魔法使いが来ない場所を求めて。だが特にいい場所が思い浮かばず、エミリアはもう一度自分の部屋に戻ると、
「あー、どうして抜けないのよっ!」
再再再度の指輪抜きに挑戦していた。勿論魔法使いが入ってこられないよう、今度は部屋に鍵をしっかりとかけ。これならばもう安心だろうと、エミリアはそれに専念し、必死で指輪を引っ張った。意地でもここで抜いてみせると心に誓って。だが、
トントントン、
やはり聞こえてくるのは、情け容赦ないノックの音。それに腹立たしさすら感じてエミリアは、
「き、着替え中でーす!」
半ばやけくそになってそう言うと、
「こっちは急ぎの用事があるんだが」
もうどう考えても彼しかいないだろうの魔法使いが、エミリアを急かしてくる。
「扉越しじゃ駄目ですか!」
「駄目だな」
つれない答えにエミリアの焦りは更に大きくなる。そして、
「も、もうちょっと待ってください!」
あまにもタイミングよすぎる魔法使いを恨めしく思いながら、エミリアは指が引っこ抜けるんじゃないかと思う程、強く指輪を引っ張ってゆく。すると、
「十秒……二十秒……二十五、二十六、二十七……」
更に更に、エミリアを焦らせるような言葉が扉の外から聞こえてくる。
「一分……一分十秒……二十秒……三十秒……」
続く魔法使いの声。それに、
もう駄目、ここまでだわ。到頭エミリアは観念すると、
ばたん!
部屋の扉を開けて外へ出た。目の前にいるのは魔法使い。それにエミリアは指輪をはめている方の指を魔法使いの方へと差し出すと、
「スミマセン!」
「やっぱり……」
そう言って魔法使いは中身が空の宝石箱を手に持ち、エミリアの目の前でぷらぷらと揺らしながらその中を見せていった。
そう、どうやら最初から全てばれていたらしい。ばれていての、あのタイミングよすぎる行動だったようだ。それをエミリアは察すると、
「し、知っていたんですか……」
ガックリ力が抜けてそう言う。
「中身が妙に軽いと思って見てみたら……後はおまえしかいないだろうが」
エミリアはシュンとなって肩をすくめる。
「指輪、抜けなくなっちゃったんです」
「だろうな」
「だろうな、って?」
特に驚く風もなく、それが当然とでもいうような魔法使いの様子に、エミリアは訝しげな表情をすると、
「これは先程の客人から預かったものだが……どうやら依頼主の奥さんも、指輪をはめたら抜けなくなったそうだ。そしてその奥さんは、それから毎晩のように悪夢にうなされるようになり、その恐ろしさの為眠ることができなくなったそうだよ。そして睡眠不足のためか何なのか、到頭気が触れたようになり、何とか指輪を外そうと、思い余って……」
何か含みを持った風に話を続けてゆく魔法使い。そしてとあるところまでくると不気味な笑顔を残して魔法使いは言葉を止める。それにエミリアは何か嫌な予感がしてごくりと唾を飲み込むと、
「お、思い余って……どうしたんです?」
「なたで指をチョッキン、切断してようやく指輪を外したそうだ」
な……なたで指をチョッキン、なたで……。
「ひ、ひえ~、じゃあ、わ、私の指は!」
「さて、どんな運命が待ち受けてるやら」
エミリアのおののきなどどこふく風、無責任な笑みを浮かべながらそんなことを言ってくる魔法使いなのであった。




