第四話 守護天使は仏頂面 その六
そしてこちらは、一足先に店を出たリディア。そんなリディアの耳をすぐさま打ってきたのは、相変わらずそこにある、この街の喧騒。だがその物音も往来する人もものともせず、リディアはどでかい荷物を抱えて道を行く。馬車を待たせてあるその場所へと向かって、ひたすら道を行く。そう、まだ収まらぬ怒りも露に。
全くあの人は、自分の行動が人にどう影響を与えるのか、それを少しは分かっているのだろうか。警戒心も抱かずに一般市民を近づけ、柔らかな笑みでその人の心をかき乱す。ほんのちょっとした気配りのつもりのプレゼントだって、受け取った側にしてみたら、大きな意味を持ったものに感じてしまう事だってあるかもしれないのだ。懲りないお忍びも同様……。邪気の無い行動、邪気の無い笑み。それがどれだけ罪なことか、護衛する側の気持ちにもなって考えて欲しかった。
こらえきれぬ苛立ち、こらえきれぬ憤り、思いっきりそれと共に、リディアは唯ひたすら歩く。すると、
「リディア!」
レヴィンの声が響いてきた。あんな去り方をしたのだから、確かに追いかけてきても不思議はない。飼いならされてたまるものか、そんな気持ちでいっぱいでありながら、だがフレイザーはちゃんとついているのだろうかと、凝りもせず気になって振り返ってみると、なんと一人でこちらに向かって駆けてこようとしているレヴィンの姿がリディアの目に入ってくる。
いけない!
リディアは慌てて荷物を置き、一度放棄した護衛係としての仕事を取り戻して、レヴィンの元へ寄ろうとする。するとその時、一人の小さな少女が道を横切り、レヴィンに近づいていっているのが目に入った。ただ意味もなく近づいている訳ではない、手に持っていた鞠を落としてしまい、転がるそれを追っているのだ。ころころ転がる鞠。やがてそれはレヴィンの足元にやって来て、気づいて彼はにこやかな笑みで鞠を拾う。そして、その笑みのまま、少女が取りに来るのを迎えようとする。そう、突然道を横切っちゃ危ないよ、頭でも撫でながらそんな言葉が今にも出てきそうな表情で。それは、少女の目線にあわせて腰を屈めた、あまりにも無防備な体勢だった。全く、あまりにも……。
リディアは咄嗟に周囲を見回した。これは襲撃するには絶好の条件だったから。すると、道の向かい側に、一人の紳士が立っているのが目に入った。ごくごく普通に見える、身なりのいい一人の紳士。だが、リディアの胸に嫌な予感が過った。無表情に、ただ突っ立っているだけの紳士、その立っているだけという行為が不自然に見え……更にその目はレヴィンのほうに向いている。そして紳士は右の手を上着の内ポケットの方へと伸ばそうとして……。
まさか!
リディアは駆けた。反射的といってもいいような反応で、レヴィンの方へと向かって。そして、
「殿下! いけません、戻ってください!」
それにレヴィンはやれやれといったような淡い笑みを浮かべて、顔をリディアに向けて上げると、
「なんだい、リディア。まさかこんな小さな子まで疑ってるのかい?」
屈託ない笑顔だった。リディアはその屈託なさ過ぎる笑顔に向かって突進してゆくと、そのままレヴィンを押し倒し、地面へと伏せさせる。
それと同時に響く銃声。
肩の辺りに火が走ったかのような激痛をリディアは覚える。
「リディア!」
だが、痛がっている場合ではなかった。リディアは自分がレヴィンの盾になるようにして起き上がると、周囲を見回す。
走り去る紳士。するとその時、
「リディア! 何があったんた!」
銃声を聞きつけて慌てて駆けつけたのだろう、フレイザーの声が背に聞こえてくる。
「フレイザー! あの男だ。あの男が銃を放った。追ってくれ!」
リディアの指し示す方向へフレイザーは目をやると、逃げて行く紳士の後ろ姿を確認した。そして「了解!」と声をかけ、すぐさま追いかけるべくフレイザーは駆け出す。
段々と小さくなってゆくフレイザーの背中。辺りに響き渡るのは女の子の泣き声。それらを横目にまだ他に不審者はいないかとリディアは辺りを見渡してゆくと、遠巻きにしてこの様子を窺っている人々の姿が目に入ってきた。大丈夫か、もう何もないか、と、引き続き気を張り巡らせてゆくリディア。すると、
「リディア……血が……」
弾がかすめた肩を見て、レヴィンが不意にそう言ってくる。
「こんなもの、布でも当てておけばそのうち治ります! それより!」
二発目、三発目が飛んでくる気配はない。とりあえず危機は脱したようだと、リディアは周囲の状況からそう判断する。だが、まだ神経は端々に張り巡らせたままリディアはレヴィンを振り返ると、
「殿下は、望むと望まざるとにかかわらず、常に危険にさらされていると言ったではありませんか! 油断は最大の敵、もっと自覚をお持ちください!」
「……ごめん」
怒りをぶつけるリディアを前に、レヴィンは流石に申し訳なく思ったのか、しょんぼりと肩を落としてそう言う。そう、今日一日を振り返ってみれば、確かに隙だらけであった自分。結局その隙がこういう状態を引き起こしたのだから、いくらお気楽なレヴィンでも素直にならざるを得ないだろう。
「だけど何故? こんなこと今まで一度もなかったのに」
「可能性として高いのは、あのルシェフの女性に絡んで、ということでしょうか……」
それにレヴィンはため息をついた。
「またルシェフ、か……でもそう仮定したとしても、なんでここが分かったんだろう、行き先は僕らしか知らないはずなのに」
「殿下が出かけたことは多くの人が知っています。侍女、侍従、門番、通りすがった人達などなど。わが国は魔法立国、出かけた殿下を確認さえできれば、後はどうにでもなるというものです」
「じゃあ、僕が出かけたことを知らせた人が、いるってこと? 僕の周りにいた誰かが……」
内通者、その言葉がレヴィンの胸に過っていった。
それは、もしかしたら現実かもしれない、目を背けたいが背けられない大きな可能性。
だが、一体誰が……。その思いに、重い空気が二人の間を駆け抜けてゆく。
と、その時、
「すまない、見失った」
少し息を切らせたような声が上から降ってきて、振り返ってみるとそこにはフレイザーがいた。息を切らしている以外、追いかけて行った時と変わらないフレイザーの姿。どうやら取り逃がして、戻ってきたらしい。それを見て、
「見失った! 何という不甲斐なさ!」
先輩であるにもかかわらず、厳しく言及するリディア。
そう、暗殺者を捕まえる大きなチャンス、それを逃したというのだから任務第一のリディアが怒るのも無理はない。
「それが、逃げ足の速い野郎で……」
「そんなのは言い訳になりません! 大体、殿下を一人にして何をやっていたんです!」
「おまえのドレスの会計だよ! 言わせてもらえばおまえだって勝手に一人で飛び出して!」
「た、確かにそれはうかつだったと思います、ですが!……」
レヴィンの前で、二人の言葉の応酬が繰り広げられる。すると、それを見てレヴィンは、
元の原因は自分、だよなぁ……。
複雑な思いにとらわれながら、そのやり取りを黙って傍観してゆくのであって……。そして、この状態をどうしようかと困り果てていると、
あ……。
不意にとある重大なことをレヴィンは思い出す。それは……そう、
明日は二件のお忍び予定が入っているじゃないか! ……と。
流石にこの出来事の後、すぐにはまずいことは十分に承知していた。
だがそれでも、
それでも……。
行きたい!
他人にどう思われようと、レヴィンにとってこれは重大なことなのであった。
そう、例えあんな事があったばかりだとしても。そして……、
ちょっとだけなら大丈夫かな……。
つい誘惑に負けそうになって悩んでしまう、全く懲りないレヴィンなのであった。
第四話は次回で終わりとなります!ほんとに短いですね……(汗)