第四話 守護天使は仏頂面 その五
それから馬車はリディアの助言で、貴族ならよく利用するオーダーメードの店ではなく、レヴィンも知る高級既製服の店へと向かっていった。そう、相変わらず覆う重苦しい沈黙の中で。そうして、やがて馬車は店に到着すると、そこでレヴィンはフレイザーを入り口付近で待たせ、そのままリディアと共に店の中へと入っていった。だがあんなにも念を押されたにも関わらず、リディアは入って早々やはり護衛魂に火がついたようで、少しばかりうずうずした様子をみせながら、またいつもの如く店内の確認をしようとする。するとそれにレヴィンは、
「駄目だよ、リディア」
レヴィンの制止に、先程の約束を思い出してか、グッと堪えるリディアであった。
おーお、堪えてる、堪えてる。
そう、それはいつもと逆転した立場、思わずレヴィンは面白いものでも見たような気持ちになると、ひとしきりリディアの様子を窺って、店の奥へと入ってゆく。
そんな店内には何人かの客、全く静かという訳ではなく、レヴィン達の入店もそのざわめきの中にかき消されそうになっていた。だがそれでも、そこに新たな客の気配というものを感じたのか、ようやく店員がレヴィン達の存在に気づき、驚いた表情で彼らに近づいてくる。
「まぁ、殿下じゃございませんか。今日もまた突然なんですねぇ。それで、どのような服がご入用で? お隣のお嬢さんにですか?」
「いや、彼女にじゃないんだ。彼女は服選びの付き添いで……しばらくふらっと店内を見させてもらっていいかな?」
「はい、どうぞどうぞ、何かございましたらお声をかけてくださいませ」
それにレヴィンは笑顔で答えると、リディアの背を押し、店員の目から離れた奥の、ドレスのかかっているコーナーへと連れて行った。そして、
「さて、君の出番がやってきた訳だけど……選んでもらいたいのは、実はドレスだけじゃないんだ。靴から、下着から、いいのがあれば帽子や傘や手袋なんかも。つまり、女性に必要なさまざまなもの一式揃えて欲しいんだ」
少し声をひそめた風に言うレヴィンに、リディアは怪訝な表情をして、
「ほう、その少女とやらは、下着も買えないほど困窮しているという訳ですか?」
「色々事情ってものがあるんだよ」
それにリディア、深くは言及せず納得したように頷くと、
「何にせよ、哀れでございますな。かしこまりました、出来る限りわたくしリディアがお力になりましょう。それで、どういったドレスをご所望でしょうか? 貴族達の夜会などに出るようなきらびやかなドレスを?」
「いや、あまり派手に目立つようなものは避けたいね。中産階級かちょっと上流に見えるような服がいいかな。昼間普段に着るような感じでありながら、素材や仕立てはいい、けれども流行もちゃんと取り入れた上質の服をお願いするよ」
「かしこまりました。では……」
目の前に並ぶ色とりどりの豪華ドレスに目を走らせながら、リディアは選別し始める。
「そうですね、この棚の辺りにあるドレスなど、殿下のいう条件にあっているのではないかと思われます。ところで……そう、その少女とやらは、どのようなイメージなのでしょうか?」
「そうだね、ふわっとした柔らかい、まだ少女のようなあどけなさを残した、可愛らしい子だよ」
「髪の色は?」
「金髪」
「年齢は」
「十八、かな」
「ならば……これなんぞいかがでしょうか?」
そう言って取り出したのは、淡い若草色で縁にフリルやリボンをあしらった、中々可愛らしいドレスであった。この堅物リディアであったから、きっと紺とか、グレーとか実用本位の味も素っ気もない服を選ぶと思っていたレヴィンにとって、それは意外ともいえる選択であった。
またそのドレスは、派手すぎず、だが流行も取り入れられた、可愛らしいエミリアにぴったりきそうなもので……当然のことながら、レヴィンの満足度は十分高いものとなった。
「うんうん、なかなかいいね」
「標準体型であれば、サイズもこれで大丈夫かと思われます。もし他にもと言うのなら……これなんかもいいかもしれません」
そう言って、今度も淡い色のサーモンピンクのドレスを取り出した。胸元が大きく開いていて、縁をフリルと小さなリボンで飾ったそのドレスは、先程のものよりも更にお出かけに適していそうで、洒落たデザインもあいまって、やはりエミリアに似合うのではないかと思われるものであった。
「どっちもいいね」
一つに決め難く、レヴィンは頭を悩ませる。すると、
「確か、家事労働に追われているようなことをおっしゃっていましたが、やはりそういったものに適した服をとお考えでしょうか?」
「そうだね、仕事がしやすいことにこしたことはないけど、でもやっぱりおしゃれ心を忘れない服がいいかな」
エミリアが社交界にいた時、おしゃれに気を使っていた少女であったことを思い出してそう言う。
「では、この二着はコルセットできつく締め付けるタイプのものではありませんので、仕事をするにも苦しくなく、それでいておしゃれ心も忘れず、尚いいのではないかと思われます」
「なるほどね」
「もし、まるっきりコルセット不要のものをご所望ならば、こちらの、胸の下辺りで切替しになっているドレスもいいかと思います。ふわりと体を包むような形になっておりますので、家事労働には適しているのではないかと」
少し胸元が開き、柔らかい布を幾重にも重ね裾をレースであしらったそれは、中々女性的な愛らしさがありながら、動きやすさも兼ね備えたドレスであった。
「うーん、どれも良くって悩んでしまうな……どうせなら三着とも買ってしまおうか」
「靴などは正確なサイズが分からなければプレゼントするのは難しい品物だと思いますので、今回はそれをやめてドレスを何枚かというのも一つの方法かと思われます」
全く、リディアのドレス姿など一度も目にしたことがなかったのに、それはそのイメージを覆すほどの適切なアドバイスであった。レヴィンも女性へのプレゼントの心得は一応持ち合わせていたが、それに照らし合わせても文句のつけようがないほどに。思わぬことに驚きを覚えながら、レヴィンはリディアの助言にただただ納得して頷いてゆくと、帽子や傘など専門店でないと買えないものを除いて、手際よく買い物を済ませていったのだった。
そしてつけで会計を済ませ、とりあえずひと段落すると、
「驚いたね、君がこんなにセンスがいいとは」
「仕事柄、こういった服装をしているのであって、何も男装が趣味という訳ではありませんので……」
「ふうん、そうか。ってことは、君もドレスを身にまとって夜会なんかに行ったりすることもあるのかな? なんか想像つかないけど」
「……まあ」
何故か知られちゃいけない秘密を知られたような感じがして、少し戸惑ったようにリディアは言う。
それは彼女にとって、珍しいともいえる照れたような仕草だった。その仕草が何となく可愛らしく感じて、レヴィンはならばと頷くと、
「じゃあ、今日付き合ってくれたお礼に、何か一着プレゼントしようか。そう……そうだな……」
天使の微笑でそう言って、レヴィンは目の前の棚にかかっているドレスを物色し始める。するとそれに、明らかに疑るような、怪訝な表情をするリディア。そして懐に手を伸ばし、ペンと手帳を取り出すと、
「殿下の行動パターンその三、さりげなく服など、女性の喜びそうなものをプレゼン……」
「違う、違う! これはほんとに純粋なお礼の気持ちだ。懐柔しようって気持ちがばれているのに、懲りずにそうするほど僕も馬鹿じゃない!」
手帳に再びメモし始めるリディアを前に、レヴィンは慌ててそう言った。
「そうだね、君は結構はっきりとした顔立ちをしているから、青とか緑とか、一見濃い色が似合いそうに思えるけど……そう、こんな色も似合うと……」
色々物色して動かす手の中で、取り出そうとしたその一着。だが、それを制止するようリディアはドレスを手で押さえてゆくと、
「あなたは……」
「ん?」
何の疑問も持たないよう、レヴィンは晴れた笑顔を見せ、顔を上げる。それにリディアは困惑したような、何とも表情の読み取れない複雑な表情をしてため息をつき、
「自分の立場を考えて行動するということをしないのですかっ!」
「???」
突然頭っから落とされた猛烈な怒号。怒られる理由が分からず、王子はきょとんとする。確かに、自分では一応立場を分かって行動していると思っていたので、それもそうなるだろう。
「他のものがいいのなら……」
「いいえ! ありがたく頂戴します。でも、懐柔はされませんので、そのおつもりで!」
更に怒りを増すリディア。当然のことながら、レヴィンの困惑も増す。
そしてリディアは買い物の品々を抱え込むと、明らかに怒っていると分かる歩調で、出口へと向かっていった。
「試着は?」
「いたしません!」
護衛係の仕事も吹っ飛ばし、もう勝手にしろとでもいいたげに扉を勢いよく開け、リディアは店外へと出る。
時間を置いて、勢いよく扉の閉まる音が響く店内。
せっかく喜んでもらおうと思ったのに……なんでだよ。
全く……とレヴィンは一つため息をつく。
そしてレヴィンは取り出そうとしたそのドレス、淡い水色のドレスをフレイザーに渡し、会計を済ませておくよう頼むと、リディアの後を追って店を出た。