第四話 守護天使は仏頂面 その三
それから、まぁ、残念なことに、特に手ごたえらしき手ごたえを感じぬまま、やがて馬車はレストランへと到着した。そして馬車を下りた先に待っていたのは、高級な感じを醸しだしながらも訪れるものを威圧まではしてこない、明るくこざっぱりした木製の扉であった。それを前にレヴィンはよし、行くぞと決意も新たにすると、フレイザーによって開けられたレストランの扉をくぐっていった。そして……、
待ち受けるだろう戦いに、思わず高鳴ってしまう鼓動を抑えながら、店の中に入って行くレヴィン。そんなレヴィンの耳をまず打ってきたのは、満員御礼を示す昼時のざわめきであった。
恐らく予約がなければ入ることはできないだろう、普通の人ならば。だが自分は……。
「殿下! これはこれは、またおいでいだけるとは、まことに光栄でございます」
忙しなく動き回る店内に目を光らせていた支配人らしき壮年の男性が、目ざとくレヴィンたちを見つけて近づいてくる。
「やっぱり今日も満員だね。でも突然この店の料理が食べたくなって……予約してないんだけど、大丈夫かな?」
少し申し訳ないような雰囲気を漂わせながら、何とかならないかとレヴィンは尋ねる。するとそれに支配人は、
「はい、勿論でございます。早速席をご用意しますので……」
当然の如くそう言って、近くにいた給仕係に何事かを耳打ちする。おそらく、席の用意を指示しているのだろう。とりあえず第一関門突破を感じて、レヴィンはほっと胸を撫で下ろす。そして準備ができるのを待とうとすると……。
「?」
給仕係と言葉をかわしていた支配人が、不意に動きを止め、不可思議なものでも見るよう視線をとあるものへと向けたのである。その視線の先とは……。
もしやと嫌な予感がして、レヴィンはその方向を見る。すると、
「……」
リディアだった。そう、交渉を進める二人を横目に、リディアがその場から離れていったのだ。そしてリディアはホール中を見回すと、まだ客が食事をしているというのに無作法にもテーブルの下を確認し、窓、物陰や厨房、トイレに挙句の果てには用具箱まで、レストランの隅々に怪しい人物が隠れていないか、不審なものはないかと、調べまわり始めたのだった。
やっぱり……始まった……。
いつもの如くの行動。
だが、ここは何度かお忍びで訪れていて、今まで何かがあったということはない場所であった。それに今日はあらかじめ決めていた訳ではなく、突然の訪問なのだから、尚更そういった危険性は薄いように感じられた。確かに警護の手順どおりなのかもしれないが、何処でもきっちり、というか恐らく行き過ぎているのだろうその行為に、やはり慣れることはできず、レヴィンは額に手を当てると、
「彼女は、前の配属地でもこうだったのか?」
隣に控えるフレイザーにそう尋ねる。
「ええ……王宮警備から始まって、その後諸外国からの要人の身辺警護へ配属されたんですが、彼女のあまりの仕事熱心さに音をあげる要人が続出して、これではわが国のイメージが損なわれると、危機を感じて殿下の元へ」
そこでなんで僕なんだ。
彼女をつければ僕のお忍びが収まるとでも思ったのか。だが残念、それは逆効果に終わったという訳だ。
何となく侍従長あたりの陰謀を感じつつそんなことを考えていると、
「殿下、危険箇所はいくつかあるものの、特に怪しい人物が潜んでいる様子はないようです。何かがあったときの退路も確保しておきましたので、ますはお席へどうぞ」
紳士淑女や店員達の迷惑も顧みず、店の隅から隅まで確認したリディアが戻ってきて、そう言って食事の許可を出す。
「……ああ、ご苦労……」
レヴィンは痛い頭を堪えてそう言って、作ってもらった席に案内されるままに着く。そして入店して早々、物々しい、言い換えればはた迷惑ともいえるリディアの行動に、どこかおののきを見せながら近づいてきた給仕係からレヴィンはメニューを受け取ると、それにざっと目を走らせ、
「何でも好きなのを食べるといいよ。おすすめは幼鴨のロースト・カルヴァドスソースだけど……」
そうだ、こんなことでうろたえてはいけないのだ、これはいつものことと受け流し、まずは今日果たすべきことを果たさねば。その為には……そう食べ物、それを言い聞かせていかにも高級そうな料理をすすめると、その言葉に従うよう、リディアは素直にメニューを見ていった。
うんうん、中々いい感じじゃないか。
ちょっと気を取り直すレヴィン。
するとその時、とある人物がレヴィンの方へと向かって近づいてきていた。その人物は、レヴィンのすぐ側まで寄ってくると、
「あの……」
かけられた声で、レヴィンはようやくその者の存在に気づく。そして、何だと思ってそちらを見てみれば、ブルジョワ階級らしき、上流の清楚な感じの女性が傍らに立っていたのだ。その女性はちょっと頬を染めながら、ためらいを示すようおずおずとした感じで、
「あの……レヴィン王子でらっしゃいますか?」
そうレヴィンに問いかけてくる。
謙虚なその態度に快さを感じて、レヴィンは幼い頃から体の芯まで叩き込まれた、曇りのない柔らかな笑顔を女性に向けると、
「ああ、そうだよ」
どうやら彼女ははっきりとした顔まで知らなかったらしい、彼が本当に王子なのか尋ねるまで不安であったようだ。だが、レヴィンのその言葉に不安が霧散したよう顔を綻ばせると、
「あ、あの、ご迷惑じゃなければ握手をしていただきたいのですが……」
本当に嬉しそうな笑顔であった。
是非とも彼女の願いを叶えてあげたいと思わせるような、心からの笑顔。
そう、市民のこういった希望に答えるのも王族の務め、それがやがては王室のイメージアップにもつながる……というか、あまりに彼女の仕草が可愛かったからでもあるのだが……なので、「ああ、いいよ」とレヴィンは笑顔で了解しようとすると、その時、
「ひっ!」
まばゆいばかりの光がレヴィンの目の前を走った。と同時に聞こえてくるのは恐れを示す女性の声。そうなんと、その女性の喉元を剣の鋭い切っ先が襲っていたのである。
隠し持たれていたのは短剣。すらりと伸びる美しい手に握られた、この場に似つかわしくないあまりにも物騒なモノ。そして……、
「失礼ですがお嬢さん、お名前をお聞かせ願いましょうか」
鋭い眼差しで、その持ち主リディアは尋ねる。
それに女性はおののきながら、
「リア……リア=フェラーで……す」
「お所は」
「イクリップス街の十番地です!」
「何ゆえ殿下に近づかれたか、お伺いしてもよろしいでしょうか」
言葉遣いは丁寧ながらも、行動は裏腹、相変わらず短剣の切っ先は向けたまま、リディアは更に尋ねる。
「ただ……ただ私は、殿下に握手をと……」
かわいそうに、ただ握手をしてもらいたかっただけらしいこの女性、先程までの慎ましやかな微笑は姿を消し、変わって首元の短剣に怯える姿がここにある。その様子は、明らかに普通の市民であると思われるのに、それでもリディアは短剣をおろさず、
「そうですか……ですがただいま殿下はお食事中でございます。申し訳ございませんが……」
「いいよ、リディア。握手くらい。減るもんじゃないし」
「減る減らないの問題じゃありません。望むと望まざるとにかかわらず、殿下は常に危険にさらされているお立場なのです。王室ファンの振りをして近づき、殿下が握手をして気を緩めた隙に、グサリ! ということも!」
まあ、確かにそういうこともありえない訳じゃないけど……。
だが、どこをどう見ても、レヴィンの目にはこの者、普通のいたいけな少女にしか見えなかった。大体そこまでして自分に害を与えようと思う人なんているのだろうかと、レヴィンはのんきに考える。
リディアに言わせれば僕が甘いのかもしれないけど、僕からいわせれば明らかに、リディアの考えすぎ……っていうか、せめてその短剣は何とかした方がいいと思うんだけど……。
お気楽次男坊ということもあってか、あまりそういった危機感を覚えずに今までを過ごしてきたレヴィンであった。なので、リディアのその行為はうんざり以外の何物でもなく、さすがのレヴィンも何か一言言ってやりたい気分になった。いや、いつもならここまでやりすぎれば、やんわりと嗜めることぐらいはするのだ。そう、いつもなら。だが悲しいかな、今日は彼女の機嫌を損ねてはいけないのだった。なぜなら、彼女を懐柔するという大きな目的があるのだから……。
「ごめんね、僕の護衛係がそう言ってるんで、今日の所は……」
断ることに心を痛めながら、なるべく女性を傷つけないようにと、レヴィンは柔らかな微笑みと共にそう言う。
それに仕方がないと、残念そうにその場を去ってゆく女性。それを見てようやくリディアは短剣を鞘に収め、まだ女性を目で追いながらも何とか席に腰を落ち着ける。そして、
「見事な短剣だね」
元の雰囲気に戻って、まず発せられたレヴィンの言葉がこれであった。それは、思わぬ恐怖を味わっただろう女性を思って放たれたレヴィンの皮肉でもあった。するとそれにリディアは、
「ありがとうございます。アレックスもさぞかし喜ぶことでしょう」
生真面目な表情で、予想外の変化球を返してくる。それにレヴィンは困惑して、
「ア……アレックス? だ……誰、それは?」
「この短剣の名前でございます」
当然のことのように、そう言うリディア。
その返事に、レヴィンも当然の如く、
「な……名前がついてるんだ」
「はい、他にもボビー、クラリス、ダニエル、オーガスト、バーナード、アニー……」
ベッティ、セオドール、スタンリー、ラッセル、ロジャー……
え、えっ?
振った言葉がいけなかったのか、何なのか、堰を切ったよう、ここぞとばかりにその口から剣の名前が飛び出してくる。それにレヴィンは圧倒されながら、中々途切れぬ言葉に段々頭が痛くなってくるのを感じると、とうとう堪えきれず、
「ま……待って、一体何人いるの??」
「はい、男子二十三名、女子十二名、総勢三十五名の可愛い子供たちです」
表情も変えずにそう言うところから、どうやら冗談でものを言っている訳ではないらしいことが窺えた。それにレヴィンは更に頭が痛くなってくるのを感じると、
「そう、そうなんだ……あはは、意外とリディアは子沢山なんだね……」
浮かべた笑顔を引きつらせ、何とかそれだけ言葉を返す。そして、
分からない! 彼女の頭の中が分からない!
確かに、こうまでして大切にしているということは、支給品ではないいくらか価値のある名刀なのだろう。コレクションとして短剣を集める気持ちも、仕事柄を考えれば分かるような気もする。だが、一本一本に名前をつけるというのはどうなのだろうか、それも我が子のことを話すような口ぶりで。
どうもそれはマニアックとはまた違う種のものであるように感じられ、レヴィンの頭は混乱した。なんというか、彼女の持つ不思議世界を垣間見たような気がして。そして迷い込んだ理解不能な空間の中で、レヴィンはどう対応していいのか困り果てると、その場を誤魔化すよう、ただひたすら乾いた笑みを浮かべていた。