第四話 守護天使は仏頂面 その二
ここは寝室の隣にあるレヴィンの部屋の応接室。そこにレヴィンは背中をピンと伸ばして座って……いや、座らされていた。
「殿下、殿下はつい先程、ほんの数十分前に言った言葉を覚えておいでですか?」
「はい……」
リディアはその王子の目の前を何度も往復しながら、尋問官さながらの厳しい口調でこう問い詰める。そして、
「お忍びはおやめくださいとの言葉に、殿下はなんとおっしゃいましたか?」
「……分かった……です」
間違っている、何かが間違っているとレヴィンは思っていた。
主人は僕であり従うべきなのは彼女の方なのだ。なのに何故僕がこんなお説教を食らわねばならない!
だが、返ってくるだろう言葉を考えるとうんざりして、強権を発することもできずにいると、
「それなのに三歩歩いたにわとりのようにころっと忘れて、殿下は……」
「ああ、悪かった。悪かったよ。だが、こっちにも事情があったんだ」
「事情?」
「可哀想な少女がいてね、彼女は服も満足に与えられず、男物の服を着て毎日草むしりやらなにやらの家事仕事にこき使われているんだ」
「ほう、今度は泣き落としですか」
「泣き落としって……君は可哀想だとは思わないのかい。そんな彼女を哀れに感じて、プレゼントをしてやろうと思った僕の心が分からないっていうのかい?」
「何もお忍びする必要はないではないですか」
お忍びじゃなければ、君がくっついてくるじゃないか。君がいると何とも空気が重くなって、連れが怯えてしまうんだよ。
だが、普通に考えれば、確かにお忍びする必要はない用事であったから、レヴィンは言葉に詰まっていると、
「婦女子の人気取りも結構ですが、たまには王宮でしっかり腰をすえて国のことを案じてみてはどうです。隣国ルシェフとの戦いが終わってようやく一息ついたと思ったら賊の侵入、続いてルシェフ工作員暗躍疑惑、世はまだまだ治まった訳ではございません。殿下は魔法使いであらせられますから、自分の身は自分で守れると軽く構えておられるのかもしれませんが、いつ何が起こるか分かった……」
「ああ、分かった、分かったよ。だが、買い物は必要なんだ。お忍びが駄目だというのなら……」
そこでレヴィンはふと言葉を止めた。そう、とある案が、レヴィンの胸に過ったのである。そして、
「そうだ、君と行こう」
思いつきのように出された言葉に、リディアは目を丸くしていた。
「わたくしと? 護衛として以外に、ですか?」
「そうだ、服を選ぶ役目の人間がどうしても必要だ、ならそれを君にお願いしよう」
「……」
突然の意外なお願い事に、リディアは驚いてか言葉を無くしている。
だが実は、リディアの知らない胸の内でレヴィンはこう考えていたのだ。
もう、こうなったら作戦変更だ。僕だって伊達に女たらしといわれてる訳じゃない。今後のためにも、ここで彼女を懐柔しておくのもいい手ではないか、と。
「……わたくしを殿下の周りに群がる婦女子達の一人とお考えならば……」
鋭い指摘にレヴィンはドキリとする。だが、
「違う、違うよ! 純粋に服を選ぶ女性の目が欲しいだけだ!」
それにリディアはまだ不審な表情をしてはいたが、お忍びでないなら断る理由はない。リディアは眉をひそめながらも、
「かしこまりました、そう言う理由ならばお供いたしましょう」
そう言って、了解を示して頷いた。
※ ※ ※
そうしてレヴィンが王宮を出発した頃、王宮の門より少し離れた場所にある公園通りでは、一人の紳士がベンチに腰掛けのんびりとした雰囲気で新聞を読んでいた。それは、どこにでもいるような、それ程歳はいってないと見られる上品な紳士。さわやかな晴れの天気、確かに日向ぼっこにはうってつけの日和であったから、そんな所にそんな人間がいても、別におかしなことではないだろう。だが、呑気に新聞を読んでいるように見えても、紳士の頭の中は忙しなく動いていて……。
『こちらヴィタリー、ZZZ殿よりレヴィン王子が王宮を出たとの連絡が入った』
『了解、こっちも王子を乗せた馬車が門を出てゆくのを確認した、これから後をつける、どうぞ』
『了解、行き先が分かったら、また詳しい位置の連絡をくれ』
『了解』
念と念とのやり取り。だがこの男性、念のやり取りはしていてもローブを羽織っておらず、一見した感じでは魔法使いには見えなかった。そしてその通りこの者は魔法使いではなく……それを裏付けるように、その男の腕には銀製の腕輪がきらりと輝いており、更にもう片方の手をそこに当てていた。その姿から、明らかに魔具を使って念のやり取りをしていることが窺え、やはりこの者、普通の人間らしいことを知ることができた。
そして、
では……。
やるべきことをやり終えてか、紳士は新聞を小さく折りたたむと、時を見計らうかのようベンチから立ち上がり、ゆっくり道なりに歩き始めた。そう、この青空の下、まるでのんびり散歩を楽しむかのごとく。
脇には馬車がすれ違ってもまだ余りある王都の大道が。見遣れば時折ゆったり馬車が紳士の横を過ぎてゆく。そして紳士はその中の一台の黒塗りの箱馬車に目を留めると、まるで彼を待つかのごとく停止したそれへと歩み寄り、扉を開いて悠然とそれに乗り込んでいった。
ゆっくりと馬車は動き出す。何気ない風を装いながらも、何かの目的を持って。まるでレヴィン達の後を追うかのよう、同じ方向へと向かい……。
※ ※ ※
一方、レヴィン達が乗る馬車の中では、
さて……
腹に一物、探る眼差し。レヴィンは馬車の席に腰を落ち着けると、そんな気持ちを含ませて目の前に座っている御仁達を見遣った。一人は当然のことながらのリディア、相変わらず厳しい顔つきである。そしてもう一人、リディアの先輩護衛係のフレイザーも馬車に乗っていた。
だが今回は公務でなく私用であるこのお出かけ、あえて地味を選んだこの馬車と同じく、護衛の二人もいつものきらびやかな近衛兵の服は着ていなかった。そう、男物の普段着を身にまとい、一見すると普通の市民かとも思えるような格好をしていて……勿論いつ何があっても対処できるよう、拳銃やら短刀やらの武器を上着の内側に忍ばせてはいたが。
とにかく目立ちすぎないことに気を使ったこの馬車。だが乗り心地は十分で、軽快な足取りで馬は道を進んでゆく。そしてその中で、レヴィンは彼らと膝を突き合わせながら、秘めたるものを胸にひたすら考えに耽っていた。
それは、
さて、どうやって彼女を懐柔しようか……。
彼女の心は鉄の心、甘い言葉をささやいても、一蹴されてしまうだろうことは目に見えていた。そう、明らかなる懐柔作戦は、余計彼女の心を鉄壁にさせてしまうだけなのだ。だが、彼女だって女の子、グラッときてしまう何か弱点みたいなものはある筈で……。
考えを巡らす心に、つい顔を出してしまう小悪魔レヴィン。だか、これも全てはお忍び容認の為、心安らかな日常生活を送る為なのだ。そして、許せリディアと心で呟いてレヴィンは腹を決めると、結局……。
「朝食を食べ損ねてしまってね。もうすぐ昼時だし、君も昼飯ははまだだろう? 軽くご飯でも食べてから買い物に行かないか? 勿論僕のおごりだ」
にっこり笑ってリディアにそう言う。浅はかなような気もするが、取りあえず食べ物で釣ってみようと思ったのである。だが、やはりそう簡単に食いついてはこず、リディアはそんなレヴィンの行動に困惑するような表情を浮かべると、
「はあ、ですがわたくしには、殿下をお守りするという使命が。食事をしている場合では……」
どこまでも仕事を忘れないリディア、丁重にその申し出を断ろうとしてくる。
それにレヴィンは微笑を崩さないまま、
「今日は、君は護衛係じゃなく、買い物の付き添いだ。仕事はこのフレイザーに任せて、ゆっくりするといい。それに、僕一人で食事をするのは、何とも味気ないものだしね」
「はあ……」
どこか納得いかないような表情であった。断りたいが断れない、主人の言葉であるから仕方なく了解のような返事をしている、そんな感じの。
だが、ここで納得してもらわねば計画は先に進まないのだ、レヴィンはその返事を了解のものと受け取ると、半ば強引とも言える態度で、
「じゃあ、決まりだ」
そう言って御者側についている小窓を開ける。そして、
「スティープル街の「霧の街並」へ行ってくれ」
御者に行き先を指示して小窓を閉めると、再び二人の方へと向き直った。
「お昼だし、あまり肩肘ばった所じゃない方がいいと思ってね。でも、料理のうまさは折り紙つきだよ。そこでいいかい?」
そこは、まだできてそれ程たってないが、料理がうまいと評判が評判を呼び、一躍人気店となった高級レストランであった。中々予約が取れず、行きたくても行けない人がわんさかといて、普通の人なら嬉しくて飛び上がってしまうところであろう店。なのにリディアは、
「……」
相変わらず不審げな表情を見せ沈黙する。それに隣にいたフレイザーがいたたまれなくなって、
「殿下が尋ねられている、何か答えろ」
「……わたくしは、定食屋だろうがお好み焼き屋だろうが、何処でもなんでも結構です」