第四話 守護天使は仏頂面 その一
めちゃくちゃお久しぶりです。連載、また再開することになりました。どうぞよろしくお願いします!今回はレヴィン中心のお話しになります。短いです。また、三話で一つの大きな話になっています。楽しんでいただけたらなぁ、と思ってます。
「ケホッ、ゴホッ、コンコンコン」
「殿下、大丈夫ですか?」
机に向かって咳き込む僕の顔を、一人の青年が心配げに覗き込んだ。
そう、レヴィンは夢を見ていた。
まだ十にも満たない幼い頃の懐かしい夢を……。
幼い頃自分は体が弱く、普通なら通う筈の初等科の学校へは進めず、家庭教師に勉強を教えてもらっていたのだ。
家庭教師は魔法使いで、まだ二十代半ばくらいだった筈なのに、どこか老成した、見方を変えればくたびれた感のする人物であった。その家庭教師は、勉強中体が辛くなって僕が咳き込んでしまったりすると、「では、ちょっと一休みしましょう」といって、魔法で様々な幻影を見せて自分を楽しませてくれたのだった。
呪文を唱えて現れるのは、羽のついた可愛らしい妖精、鋭い角と翼を持ったユニコーン、難しいしわくちゃ顔をした小人達などなど。
「すごい、すごいや!」
その幻想世界の生物達は中々外へ出ることもできない僕にとって夢のような出来事で、王宮内で唯一と言っていい程の楽しみでもあった。その魔法が見たくって、ちょっとぐらい辛くてもいいから、熱が出ないかと思ってしまったりする時もあった。
それは王族としては異例に魔法の道へと進む切っ掛けとなったこと。成長して体も丈夫になり、家庭教師の手を離れ、普通科学校へ通うようになっても、隠れてこっそり魔法書を読み漁った。そして、やがて自分の目は外へと向かい、結界解除魔法に興味は移り……。
「殿下……」
夢の中で、誰かが自分を呼んでいた。
「殿下……」
響く声はまるで自分を揺り起こすかのよう。
いい夢を見ている時に無粋な。
それにレヴィンはちょっと面白くない気分になりながら、ぼんやりした頭で薄く目を開けてゆく。すると、
どすっ!
レヴィンの目の前で、音を立てて何かが突き刺さる。視線のほんの数センチ先に迫るのは、きらりと輝く何かの鋭い刃物の刃。
レヴィンは驚いてベッドから飛び起きると、そこに突き立てられていたのは長い刀身のサーベルであった。一体誰がとおののきながら顔を上げてみれば、目の前には鋭い眼差しで彼を見据える若い女性の姿が。金糸の施されたきらびやかな軍服、そこからどうやらこの女性は近衛兵らしいことが窺えたが、どう考えても王子のベッドに突き立てられたサーベルは彼女の仕業のように思え……そう、王宮や王族に関係するものを守護する立場にいるはずの、近衛兵の……。
「おはようございます、殿下」
「リディア……なんで君がここに」
「用があるから参りました」
「侍女のラシェルは? フィリスは? ティーナは? 取次ぎは誰もいなかったのか?」
「誰が殿下を起こすかでもめています、埒が明かないので、こうしてわたくしが直接参りました」
起き抜けの頭にこの報告、また始まったかとレヴィンは痛むこめかみの辺りを押さえた。まるで人気の俳優でも追っかけるような調子の侍女三人組、いつも何かとあっちゃ誰が自分と応対するかでもめているのだ。今回も恐らくそういった感じで、とうとうリディアは決着を待ちきれず、取次ぎをすっ飛ばしてやってきたのだろう。
「あはは、なるほどね……だけどもっと他に起こし方はなかったのかい……おかげで目はすっきり覚めたけど」
リディアと呼ばれたこの女性、錆びたような色の長い金髪を一つにくくった、どこか凛々しさを感じさせるこの女性、主人に刃を向けているということに全く頓着する気配もなく、
「何度呼んでも起きないからです。全く、世間ではもうとっくに活動が始まっている時間だというのに、この体たらく、さては昨夜もまた……」
その言葉に、レヴィンの脳裏には昨夜の飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎが過っていった。そう、レヴィンにとっては至福の時であり、このリディアにとってははた迷惑な。それにレヴィンは思わず表情を引きつらせると、それを目ざとく見つけたリディアが、
「やはり……」
そしてベッドに突き刺したサーベルを抜き、切っ先をレヴィンの首筋に向けると、
「お忍びはおやめくださいと、何度言ったら分かるというんです! もし殿下の身に何かがあったら……殿下の護衛を仰せつかっているわたくしの立場もお考えください!」
「わ……分かったよ。分かったからこの剣をどけてくれないかな」
喉元数センチ先に迫る切っ先。ちょっとでも動いたらグサリとでもいきそうな距離に、レヴィンはおののいて訴えるようにそう言う。
するとそれに、つい激してしまったことを取り繕うよう、リディアはコホンと咳払いをして剣をしまうと、
「わたくしが着任してから約三ヶ月、何故か殿下のお忍び率はうなぎのぼり」
君が着任したからうなぎのぼりなんだよ。
そう言いたいのをレヴィンはグッと堪えると、
「すごいね、統計まで取ってるんだ」
「当然です」
表情も変えずそう言うリディアにレヴィンはため息つきたい気分になった。
そう、彼女が来てからというもの、どこへ行くにも生真面目全開プラスこの仏頂面がくっついてくる。ほんとにどこへでも、だ! 仕事熱心なのはよく分かるが、息が詰まって仕方がないんだ。お忍びで羽を伸ばしたくなる気持ちも分かってくれ!
だが、女性には笑顔がモットーのレヴィン、いや、実はただ彼女が怖かっただけなのだが……胸の内で文句を吐きながらもそれを口に出すことはできず、
「君が研究心旺盛だってことは十分分かった。だけどその前に、君がここにいる理由についてだけど……」
それにリディアは大事なことをようやく思い出したとでも言うように身を正すと、
「尋問官から、ルシェフのあの女性の、定例報告がありました」
それを聞いた途端、レヴィンの表情が明るいものに変わる。そして、
「何か喋ったか!」
新たな展開を求めて、意気込んでそう尋ねる。だが、それにリディアは表情を曇らせ、
「残念ながら……何も口を割りません。自分がルシェフの工作員であることすら否定しているような有様です。自分はノーランドに絵のモチーフを探しに来たごくごく普通の一ルシェフ国民だと」
「うーん……」
自分がルシェフに忍び込んだことは内緒になっている。あとエミリアの存在についても。なので自分が見たあの出来事を話すことはできず、とある人物から引き渡されたと、その人物がそう言っていたと、周りにはそんな風に伝えてあるのだ。
「失礼ですが、引き渡してきたというその人物の情報は……」
「ガセじゃないよ。真実だ」
レヴィンの言葉に、リディアは顎に手をあて考え込み出す。
「となると、あの女性がしぶといのか、でなければ……」
すると、不意にリディアは目をきらりと光らせ、
「尋問官の尋問が生ぬるいということに」
「君は手を出さないでいいからね、絶対に! 捕虜には捕虜の人権ってものがあるんだから」
何かを含んだようなリディアの瞳に、レヴィンは嫌な予感がして慌ててそう釘を刺す。
なにせ任務の一言の前に、どんなことでもやってのけそうな彼女であったから、確かにレヴィンも尋問に生ぬるさを感じてはいたが、彼女におかしな行動を取られるのだけは避けたいと、先に手を打ったのである。
「……かしこまりました」
予感どおり、いかにも残念という気を発しながら、渋々納得するリディア。そして、
「では、用事も済みましたので、わたくしはこれにて失礼させていただきます」
ようやくの彼女の退出、それにレヴィンはちょっとホッとしながら、
「ああ、尋問官にはもうちょっと粘ってみてくれと、伝えてくれ」
「かしこまりました」
レヴィンの言葉を丁重に受け取って一礼し、リディアはこの場から去ってゆく。
段々と小さくなってゆく長身なリディアの後ろ姿。それを、どこか引きつったような笑顔を浮かべながら、レヴィンは静かに見送ってゆく。じっと、ただ笑顔でじっと、本当に彼女の姿が扉の向こう側に消えてなくなるまで。
だが、ガチャリと扉の閉まる音がし、確かに彼女がいなくなったことをレヴィンは確認すると、
「はあ……」
同時にどっと疲れが襲ってきて、レヴィンは近くの椅子へと身を投げだした。
ああ、朝から憂鬱な出来事に出会ってしまった。そんな日に限って知人との(お忍び)昼食会も(お忍び)お茶会もなんにも入ってないときている。全く息抜きもできやしない。
ならば……。
レヴィンの口元に、不意に何か企みでも秘めたような笑みが浮かんだ。
勝手に用事を作って、お忍びしてしまえばいいじゃないか。
先程リディアと交わした約束もすっかり忘れ、そんなことを考えているレヴィンであった。
何にしようかな、と胸をわくわくさせながらレヴィンの思いは外へと向かう。
そう、そうだ。北の森に囚われの身となっている、可愛らしい姫君、エミリアの為に、ドレスをプレゼントしてあげるというのはどうだろう。可哀想に、無粋な男物のそれも全くサイズの合ってない服を着せられて、草むしりなんぞさせられていた。きっと着の身着のまま逃げ出して、手持ちの服がなくってあんな格好をせざるを得なかったに違いない。しばらく王都周辺には探査の魔法がかかっていたし、買い物にも満足にいけなかったに違いない。ならば……。
代わりに自分が買い行ってエミリアを驚かせてやろうと、レヴィンは画策する。 そして誰に服選びを指南してもらおうかと、早速考えを巡らすと……。
ファッションリーダーで名の通っているクロフォーク侯爵夫人やニュープール伯爵夫人はどうだろうか。いや、もっと身近な所で、エミリアと年齢の近いおしゃれ好きな侍女のラシェルなんかもいいかもしれない。
是非ともエミリアには彼女らしい可愛らしくておしゃれな服を着てもらいたくて、その思いでレヴィンはああだこうだと頭を悩ませる。そしてその末、結局気さくな人柄でどの年代のファッション事情にも通じているクロフォーク侯爵夫人に買い物のお供を頼むことに決めると、レヴィンは侍従の手も借りずに猛スピードで身支度を整え、早速お忍びするべく転移魔法の呪文を唱え始めた。
「ゾルン・トヲテアエイテ・エサネバ・サショイヲ・ゾオヨヌ……」
すると、その呪文がまだ終わらぬ内に、不意に部屋の扉が開いのだ。そしてそこから入ってきたのは、
「そういえば殿下、言い忘れましたが……」
再び登場の最も会いたくなかった人物、リディアであった。
途端に目と目が合い、体が固まる二人。
そして、リディアは今王子が行わんとしていたことを瞬時に察すると、
「殿下ー!!!!」
部屋中に響き渡る怒号を撒き散らした。