第三話 過去という名の鎖 その十九
足下が確固たる安定感に満ちた地面を思わせるものに触れる。しっかりそこに足をつけて立ってみると、紛れもなくそれは心待ちにした地面であり……。そう、戻ってきたのだ、我が家に。目を開けてみればそこは見慣れた部屋の風景で、無事到着したことに安堵しながら、エミリアはゆっくり魔法使いから離れた。そして顔を見合わせると、相変わらず魔法使いは何も頓着しないような態度で、いつもの如くどこか不機嫌そうな表情を浮かべていた。それに恥ずかしがっていた自分が馬鹿らしいように感じて、エミリアはニコッと取り繕ったような笑顔を浮かべる。だが、それに魔法使いは更なる不機嫌顔でもって応酬してきた。
な、何?
エミリアは困惑するが、彼の不機嫌の理由とは、実は……。
「おい、私が出かける前おまえになんと言った?」
思い出したくないことを思い出して、途端にエミリアの背に冷や汗が流れる。
「……結界の外に出るな……です」
「それから?」
「怪しい人間がきても構うな、です」
「で、おまえはどうした?」
「……約束を、破りました……」
確かに悪いのは自分、そう思ってエミリアは身を縮こまらせる。
そして彼の性格上、このままで終わるはずはないとエミリアは恐れおののいていると、その予測を裏付けるよう魔法使いは不気味にニタリと笑った。
「おまえ、覚悟は出来ているな」
その言葉を、確か二週間程前にも聞いた筈だった。蘇る悪夢の日々、かえるとしての三日間。
「か……かえるは嫌です!」
「安心しろ、かえるにはしないから。同じモノじゃつまらない」
同じモノとか、そういう問題じゃなくって……。
そう突っ込みを入れたくなるエミリアであったが、そんな彼女などお構いなしに、魔法使いは「今度は何にしようか……」などと思案に入っている。そして、
「そうだな……そう、きのこなんか良さそうだな」
満足そうに頷きながら、それが決定とでもいうような勢いで魔法使いはそう言葉を放つ。するとそれに、じめついた地面にへばりついて、一歩も動けずひたすらそこに生え続けるきのこ姿の自分が、エミリアの脳裏に過っていった。
「き、きのこ!!!」
「そう、きのこだ。程よい湿気のある薄暗い場所でおまえを育ててやろう。今度はめしもしっかり与えてやるぞ。毎日霧吹きでたっぷり水を与えてやる。真ん丸く肥えて食べごろになったら、焼いて美味しくいただこう」
ええっ、炭火焼きしいたけ? まいたけ? それともしめじ? そ、そんなの……。
「嫌、嫌ですー!!」
力いっぱいそう叫んで反応を示すエミリアに、魔法使いは呆れたようにため息をついた。
「なら、少しは学ぶことだな。世の中、おまえみたいな能天気な者ばかりじゃないってことを。またこんなことが起きないとも限らないのだから」
そう言って魔法使いはしかめっ面で、もう用事は終わったとでもいうかの如く、部屋の扉へと向かっていった。恐らくこの部屋を出て行こうとしているのだろう。だが、そうなるとお仕置きは……。既にきのこになる覚悟をして、身を硬くしていたエミリアであったから、あっけに取られてその姿を目で追っていた。
「き……きのこは……?」
「ほう、きのこになりたかったのか?」
それにエミリアはぶんぶんと首を横に振る。
「……気が変わった。その分修行に励むことだな。また何かあったとき、力になんないようじゃ話にならん。今回のように誰かの助けが入るとは限らないからな」
そう言って魔法使いは苦笑いを浮かべる。それは、今回エミリアに関わることでこうむった苦労への自嘲であり、結果あらわになった自身の弱さに対する自戒でもあるように感じられた。自信家でもある彼からは想像もつかないその姿に、エミリアは呆然としてまぶたに焼き付けていると、去り行く師匠の背に威勢良くこう返事を投げかけた。
「はいっ! あ、あのっ、がんばります! お師匠様の力になれるように……再生魔法も、使えるようになったので!」
ルシェフの特殊工作員達をあっと驚かせた魔法を思い出し、エミリアは少し自慢げにそう言う。するとそれに魔法使いは去りかけた足を止め、意外というような表情でエミリアを振り返る。
「ほう」
「ルシェフの森で、熱帯雨林の食虫植物を成長させたんです! それもこーんなに大きな」
両手を大きく広げてエミリアは魔法使いに示す。それは決して大げさな表現ではなかった。そしてきっと褒めてくれるだろうという期待に胸膨らませて、エミリアは魔法使いの言葉を待つ。だが、それに魔法使いは怪訝な表情を浮かべると、
「熱帯雨林? 熱帯雨林の植物がそんな所に生えていたのか?」
「いえ、そこらへんに生えていた雑草に魔法をかけたんですけど」
「は、雑草はどこまで成長させても普通の魔法では雑草にしかならないはずだ。確かに巨大化は可能だが、一つの植物に全く違う種類の植物を生やすことは、おまえレベルの魔法の力では到底無理だ」
「で、でも、ほんとにできたんですよぉ」
せっかくの成果を否定されそうな様子に、悲しげにエミリアはそう訴える。
「教えてもいないのにそこまでできるとは、とても信じられんな。だが……」
そこで魔法使いは少し考え込むように口元に手を当てた。そして、
「……まあいい、とりあえずこれにそれと同じ魔法をかけてみろ」
そう言って手近にあった鉢植えのパセリをエミリアの前に差し出した。
ここに自分の力の真価が問われるのだ。言葉が嘘でないことを証明する為にも気合を入れてやらねばと、エミリアは呪文を唱え、これまでにはないほどの集中力であの熱帯雨林の食虫植物を想像した。そう、触手を伸ばし大きな口を開ける、世にも不気味な巨大食虫植物を。だが……。
パセリはいつまでたってもパセリのままで、変化どころか一ミリたりとも成長の兆しすら見せることはなかった。
それは何度やっても同じことで、
「あれ?」
と言いながら困惑と共に顔を上げると、そこには軽蔑も露な魔法使いの表情があった。
「ほ、ほんとにできたんですってば!」
悔しさと悲しさがごちゃ混ぜになった気持ちでエミリアは魔法使いに向かってそう言う。そして、このままで終わってたまるかと思いながら、普通にパセリに花を咲かせることはできるのだろうかと、試しにそれをやってみた。
再び呪文を唱え、意識を集中してパセリの成長過程を想像する。
まずは凸レンズ形の葉緑体が光のエネルギーを吸収し、そしてそこから酸素と有機物を作り出してゆくさまを。更に外呼吸によって気孔などから取り入れた酸素を使い、組織細胞が有機物を分解してエネルギーを取り出してゆくさまを。もう一つおまけに浸透圧の差によって根毛や根の表皮組織から吸収された水が、道管を伝って体中に巡ってゆくさまを。そんでもって半流動性の細胞質基質の中に、浮かぶ丸い核の姿やその周りを囲む細胞小器官たちの姿を。そしてその細胞がいくつもの過程を経ながら分裂を繰り返し、様々な組織を作りながら成長してゆくさまを……。
すると、パセリはするすると茎を伸ばし始め、やがてその先っぽにつぼみをつけてポッと花が咲いたのだ。黄緑色の小さな花が密集したかわいらしいパセリの花である。
「ほう、咲いたな」
「はい、咲きました……」
とりあえずしばし待ってみるが、枯れる気配は一向になく、どうやら魔法が成功したらしいことを示していた。
すると魔法使いは、時々不意打ちのように見せてくる邪気の無いあの反則技の微笑みを浮かべ、
「次は切り花かな」
「は、はい!」
本当はこうなる予定ではなく、いささか腑に落ちない部分もあったのだが、結果的にはこれで良かったのかなと思いながら、エミリアは意気込んでそう答える。
それに魔法使いはフッと鼻で笑い、エミリアに背を向けると、
「期待しているぞ」
本当に期待しているんだかどうだかわからないような声の調子でそういい残し、その場から去っていった。
次は切り花、
まだ耳に残る魔法使いの言葉が、エミリアの胸を弾ませる。思いもかけず次の段階へ進めることになったのだ、植物だけでなく自分自身の成長にもわくわく感が増して嬉しさを噛み締めていると、ふと目を落としたテーブルの上に、小さな箱が乗っかっているのを発見した。今まで気づかなかったが、パセリの鉢植えのすぐ先の場所である。その箱には天使のマークの下にバラノフという文字が踊っており……。
あ、クッキーだ……。
多分、恐らく魔法使いのお土産だろう、バラノフのクッキーの買い置きはなかったはずだから。勿論、これが純粋なお土産でないことはエミリアにも十分分かっていた。お土産と言う言葉にかこつけて、魔法使い自身が食べたくて買ってきたのだろう。第一そうでなくては、彼らしくない。だが……。
やったぁ!
次は切り花の言葉にも影響されてか、なんだか自分自身へのご褒美にも感じられ、エミリアは思わず顔を緩ばせた。
これで第三話は終了です。で、ここで一旦最終回にさせていただきたいと思います。
この先、一応下書き程度なら出来ているのですが、読み返してみたら、どうにもこうにもとても人様にお見せできるものではなくて……。大幅な改稿が必要って感じなのです。
現在、一体何処から手をつけていいのやらと、途方に暮れている状態で、再開のめどはたっていません。すみません……。
もし、また再開しましたら、その時はどうぞよろしくお願いします。
ではでは、ここまで読んで下さって、ありがとうございました!