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ひとひらの花びらに思いを(未)  作者: 御山野 小判
第一章 ひとひらの花びらに思いを
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第三話 過去という名の鎖 その十八

 目の前の映像を見て、エミリアは気が気でなかった。


 結界の中の女性、フィラーナの幻影が魔法使いを黒い道へと誘っていることは明らかだったから。そして更に危ういことに、いつもの傲慢で高飛車でひねくれた態度がすっかり魔法使いから影を潜め、変わって今にもぽきりと折れてしまいそうならしくもない繊細な心が表面に現れていたから。それはいつ誘いに乗ってもおかしくないような状態で……。


 これは時間との戦いだった。待つことだけを強いられる中で、エミリアは念を送りながら早くレヴィンが来てくれることを願った。


 だがレヴィンはどこから来るのだろうか。魔法使いのように真っ向勝負で正面からくるのか、それとも右から?左から?だが彼は結界破りの達人なのだ、恐らく気づかれないようにやってくるだろうから……。


「うっ……」


 すると不意に、隣の女性が苦悶の表情を浮かべながら、力が抜けたようその場に崩れ落ちていった。どうやら意識を失ってしまったようで、地に身を横たえたまま女性はピクリとも動かない。それに何? 何? と疑問に思っていると、そのうちエミリアの後ろ手の縛めも解かれ、もしかして……という思いと共に後ろを振り返ってみれば、


「ごめん、少し遅くなったかな?」


 予想通り、そこにはレヴィンの姿があった。


「殿下! ああ、入ってきたのに全然気がつきませんでしたよ。やっぱり後ろから来ましたね、さすがお忍びの天才!」


 褒めたつもりのエミリア、だがそれにレヴィンは困ったように額に手をあてると、


「……せめて結界破りといってくれよ。印象悪いから……」


「す、すみませんっ! ところで、この女性は……」


「大丈夫、手刀で気絶させただけだから。魔法だと呪文で気づかれそうだったからね」  


 無体なことをした訳ではない、それにエミリアはほっとすると、


「と、とにかくお師匠様を助けてください! お願いします!」


 魔法使いのかつての恋人の幻影が怪しく揺らめく。その幻影、フィラーナはどこか勝ち誇ったようにすら見える笑みを浮かべながら、ナイフを魔法使いの手に握らせようとしていた。そのナイフが幻影でないことは、そこだけがより色鮮やかな形を持って存在していることから明らかであった。


「ああ、お師匠様……殿下、早くしてください!」 


 だが、エミリアの声などまるで届いてないかのよう、レヴィンは目の前にした情景に呆然としていた。


「フィラーナ……まさか……いや、これは幻影か。どうやら精神魔法のようだが……そうか、あらかじめ仕掛けられた罠だな」


「そうなんです。だから、早くなんとかしてください!」


 それにレヴィンは少し考え込みながら結界を見つめると、やがて一つ大きなため息をついた。


「今結界の中とアシュリーの心は一体化している、無理に結界を壊すと、彼の心にも傷が入る恐れがある」


「ならどうやって……」


 目の前の師匠はまだ逡巡してはいつつも、今にもその誘惑に負けそうになっている。それなのにレヴィンの言葉は望みを絶つ様なもので、エミリア泣きたい気持ちになっていた。


「結界にそっと小さな穴を開ける。そこから気を吹き込み、彼を現実の世界に引き戻すんだ。結界を壊すのはそれからだ」


「気って……」


 エミリアが訝しく思ってそう尋ねようとすると、とりあえずそれは後回しと、レヴィンは結界の一部に手を当て、意識を集中しながら呪文を唱え始めた。王子が手を当てた部分がほんのり暖色系に輝く。


「彼は仕事の丁寧さより時間の短縮を選ぶ方だからね、だからどうしても乱暴になってしまう。だけどね、本来結界破りとは繊細なものなんだよ。ゆっくり時間をかけて、相手の魔法使いが作り上げた結界を読む。そして優しく丁寧に解いてゆくものなんだ。そうすれば誰にも気づかれることなく美しい穴があくんだよ」


 そうしてレヴィンはしばし意識を集中させて結界から手を離すと、そこにはこぶし大の滑らかな線を描いた小さな穴が出来ていた。


「さあ、エミリア、早く」


「早くって、一体何をすれば……」


 展開の早さについてゆけず、戸惑ってエミリアはレヴィンにそう問い掛ける。


「彼に話し掛けるんだ、今のこの現実に引き戻す心に響く何かを」


「現実に引き戻す言葉……」


 そんな重要な言葉なんて、一体……。


 何を言ったらいいのかなんて全く分からなかった。ただひたすらこちらに戻ってきてくれることを祈って、エミリアは開けられたその小さな穴に向かった。


「お師匠様! 私です、エミリアです! 聞こえますか!」


 当然の如く、結界の中の魔法使いは何の反応も見せない。


「お師匠様の今見ているものは、現実じゃないんです! 幻です! 目を覚ましてください!」


 だが、そんなエミリアの必死を嘲笑うかのよう、幻影のフィラーナは余裕の表情で、恐らく契約書なのだろう、懐から何か紙のようなものを取り出した。


「お師匠様……過去に生きないで下さい。お師匠様は今を生きる人間なのですから! 目の前の彼女は幻影です、もうこの世にはいないのです!」


 そしてフィラーナは握らせたナイフの上に手を添え、魔法使いの耳元に何ごとかを呟く。それに頷く魔法使い。


「私を見てください……。今を見てください……。お師匠様には私が見えてないんですか……」


 だが、何を言っても効果はないようだった。悲しいかな魔法使いは目の前の恋人しか見ておらず、その促しに従って、今まさにナイフで指に切れ目を入れようとしていた。


 もう、駄目なの……! 


 打ちひしがれてガクリと床に膝をつくエミリア。顔をうつむけて目に入ってきた腕輪に、思わず手が伸びる。蘇る記憶。魔法使いと出会って、屋敷に転がり込むようになって、弟子になって、色々なことがあった。そのどれもこれもが忘れがたい鮮烈な記憶であり、今を生きる為につむいできた足跡であった。少なくともエミリアにとっては重要な。なのに鎖で縛る過去に流されてしまう程、魔法使いにとってそれは軽い出来事だったのだろうか。この腕輪を作ってくれたことだって、エミリアには例えようもなく嬉しいことであったのだ。だがそんな思いなど、すべて過去の出来事の前に飲み込まれていってしまう程、ちっぽけなものだったのだろうか。全く心動かされることなく、幻影の言うがまま契約書にサインをして……。巡る記憶に、届かぬ思いに、胸が切なくなって涙があふれ、ぽたぽたと床にこぼれ落ちてゆく。そう、頬も、服も、床も濡れるがまま、辺り構わずしばし泣き濡れて……。


 すると、


 そんなエミリアの上に、不意に黒い影が降ってくるのを感じたのだ。何かと思って顔を上げてみると、


「あ……」


 なんとそこには魔法使いの姿があったのだ。


 呆けるような時が流れ、結界を挟んで暫し二人は見つめ合う。そして、


「お師匠さ……ま?」


 正気に戻っているのかと不安になって、エミリアは魔法使いにそう声をかけてみる。すると、先程までの心弱さはどこへやら、それに魔法使いはいかにも不機嫌そうな表情を返してきたのだ。


 彼の背に目を向けてみても、あの女性の幻影は消えている。


「お師匠様!」


 どうやらこちら側に戻ってきてくれたらしいことを察すると、嬉しさに声を上げてエミリアは満面の笑みを浮かべた。そして結界に手を当てて、魔法使いの反応を待つ。だが彼は沈黙のまま、どこかばつが悪いような、苦々しい表情をすると、


「これで貸しを作ったと思うなよ」


 表面上は何事も無かったかのよう、心の傷なども無かったかのよう、まるで強がりでも見せるかの如く努めて平然と振舞ってくるのだった。


 お師匠様だ、正真正銘のお師匠様だ。


 それにいつもの彼に戻ったことを改めて感じ取ると、感慨深げにエミリアはそう何度も心の中で呟いた。


 そして魔法使いはどうやらレヴィンの存在にも気づいたようで、そちらに目を向けると不機嫌な眼差しで一言、


「不本意」


「結構な言い草だな」


 せっかく助けに来たというのにこの出迎え、確かに彼はこちらに帰ってきたと、つくづく実感しながらレヴィンはため息をついた。


「結界は」


「自分で破る」


 そう言って魔法使いは呪文を唱えると、今まで自分を苦しめてきた結界をここぞとばかり粉々に砕いていった。


「さて、次はこいつらをどうするかだな」


 そして転がる三つの体を足蹴にしながら、忌々しげに魔法使いはそう言う。


「僕は顔を見られた訳ではないんでね、君の好きにするといいよ。ああ、でも一人は王宮に連れて帰ろうかな、尋問して吐かせたいことが山ほどある」


「散々いたぶって吐き出させてやれ、どうやらこの国は悪魔の支配下にあるらしいからな」


「みっちりとね」


 そう言ってレヴィンは、この工作員達が起きていたならきっと背筋に悪寒が走っていただろう妖しげな笑みを口元に浮かべた。


「で、誰を連れて行く? まあ、おまえのことだから、どうせ女を選ぶんだろうが……」


 それにレヴィンは「よくお分かりで」と言って頷いている。


「……となると、私が好きにしていいのは残りのこいつらか」


 そう言いながら魔法使いは足先で二つの男性の体を小突くと、低く呪文を唱え始めた。すると、途端にふっと二人の姿が掻き消える。


「ど、どうしちゃったんですか、あの二人は」


「心配するな、亜空間にふっ飛ばしただけだ」


「あ、亜空間って……」


 寒風吹きすさぶ、あの何かに飲み込まれたかのような真っ黒な空間を思い出して、エミリアは背筋に冷たいものが走っていった。あんな果てなどないような場所に道しるべもなく置き去りにされたら……。


「一流の魔法使いなら、いつかは帰ってこられるだろう」


 ……いつか……はは、いつなのかは考えないことにしよう……。


 情けがあるんだかないんだかよく分からない魔法使いの処置に、エミリアは眩暈を覚えて思わず額に手を当てる。すると、


「こんな所にいつまでもいる必要はない。戻るぞ、エミリア」


 もう用事は済んだとばかりに、そう言って魔法使いが促す。


「はい、スズメさんも大丈夫ですか?」


 その言葉にスズメがエミリアのポケットから顔を出し、「ピーチク」と鳴いて返事をする。するとその場の雰囲気に便乗するよう、レヴィンが満面の笑みを浮かべてエミリアの前に立つと、


「君のお師匠様はお疲れだ。僕と一緒に行こう、エミリア」


 いつでもいらっしゃいというように、両腕を広げて彼女を迎えようとする。それに魔法使いは面白くないものでも見たように顔をしかめ、


「心使いありがたいが、気を失った人間を運ぶ方が厄介なんだが……」


「彼女とエミリアとだったら、エミリアと一緒に行きたいって思うのが人情」


 相変わらずなレヴィンに、魔法使いは軽蔑も露な笑いを口元に浮かべる。


「あんな色ぼけにかかわるな、何か変なものをうつされるぞ」


 その言葉に、聞き捨てならないと王子は憮然とする。


「僕は、確かに市井に出て色々見聞したりもするけど、節操なしに女性に手を出している訳じゃないよ。そこまで女性に困っている訳じゃないし……」


「不特定多数の女性と関係を持っているのは事実だ、大体この女をおまえが運ばないでどうする。それともおまえは、また私にどでかい穴を王宮の結界に開けさせたいのか」


「そういう訳じゃないけど……ああそうか、結局君はなんだかんだ言って、彼女を手放したくないんだね。色ボケとか何とか言ってないで、もっと素直になったらどうなんだい」


 それに魔法使いはフンと鼻で笑い飛ばす。そして、


「私は相手がおまえというのが気に食わないだけだ」


 先程からの散々な言いよう、へそ曲がりもここまで来るとお手上げだった。もう相手にしていられないと、レヴィンは到頭呆れたように天を仰ぐと、パタパタと手を振り、


「……エミリア、哀れな師匠のもとへ行っておあげ……」


 エミリアを魔法使いの所へと送り出そうとする。


 エミリアはそんな王子を気にしながらも促しに従って、おずおずと魔法使いの方へと歩み寄っていった。目の前に立ちはだかるのは威圧の壁。転移魔法をかけてもらう為、抱きつかねばならなかったのだが、とてもそんな雰囲気ではないようだった。流れに乗って抱きついてしまえればよかったのだが、改まって魔法使いの前に立つと恥ずかしさも手伝ってそれができず、エミリアは思わず逃げ出したい気持ちになってしまった。戻るためにはしなくてはならない形式的な動作、なのだが……。


「何をためらっている」


「いえ……あの……」


 魔法使いを前にもじもじしているエミリアに、乙女心を解さぬ魔法使いが苛立ったように言う。そしてそのじれったい時間に魔法使いは我慢の限界とでもいうように眉をひそめると、エミリアの手を引いて抱き寄せた。


「う……うわぁっ!」


「早くつかまるんだ」


「は、はいっ」


 はっきりと見せる魔法使いの苛立ちに、エミリアは恥ずかしがっている場合じゃないと、慌てて彼の首に手を回した。背伸びをして首筋に顔をうずめ、きゅっと抱きしめると、薬草の匂いがエミリアの鼻腔をくすぐった。


 どこか安心感を覚えるその匂いに包まれながら、エミリアは全てを委ねるように身を預けると、静かに目を瞑った。魔法使いの低い呪文が耳朶を打つ。そして、どうにも慣れないあの強風吹きすさぶ空間を抜けると……。

次回で第三話、終了します。

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