第三話 過去という名の鎖 その十六
「えー、現在隣国ルシェフは休戦協定が結ばれたにもかかわらず、相変わらず挑発的な態度に出ており、それに対して我が国はどう対応するべきか、第三次ノーランド・ルシェフ戦争も念頭に入れて話し合わねばならないと思います……」
その時、ノーランド王国の王宮では、今まで何度となく繰り返されてきたルシェフ政策についての会議が行われていた。
そこには他の公務で忙しい王の代理として、レヴィンも参加しており……。
ねむ……。
長々と続く会議に誘われるよう、レヴィンはその席で遠くなりそうな意識と格闘していた。こう毎回同じようなことを延々と、それも全く先に進まない論議を繰り返されれば、いい加減嫌気も差してくるというものだ。第一、こういった堅苦しい公務は自分の性に合わないと常々レヴィンは思っていた。
親善目的のパーティーとか、親善目的の晩餐会とかなら、公務でも喜んで参加するのに。
お祭り好きな性格も露に、思わず心の中でそう愚痴ってしまうレヴィンであった。
だが建前上は王の代理であるのだ、この場で自分はお飾りであることは十分承知していたが、流石に眠ってはまずかろうと、これからの予定でも考えてレヴィンは気を紛らわせようとする。すると、
『もー! どうして!』
そうするよりも前、突然場違いともいえる声が響いてきて、レヴィンは驚いてズルリと椅子から転げ落ちそうになってしまう。
なななな、なんだ?
一体この声の主はどこにいるのかと、きょろきょろ辺りを見回してみる。だが、それらしき者の姿を見つけることはできなかった。第一聞こえてきたのは女性の声であり、男性しかいないこの場からそんな声が聞こえてくる訳はないのだ。
「殿下、どうなされました?」
「いいや、別に」
だがどこかで聞き覚えがあると、記憶の糸をたどりながら、レヴィンはなんとか気を落ち着かせて椅子に座り直す。すると、
『お師匠様! お願い、届いて!』
再び声が響いてきた。
「???」
やはり空耳ではないと、もう一度辺りをきょろきょろと見回すが、やはり声の主らしき人はいない。
「殿下……」
様子のおかしな王子を前に、重臣達はとうとう乱心でもしたかと、怪訝な表情を浮かべ彼の顔を覗き込んでいる。それにレヴィンは引きつった笑顔を浮かべながら、「気にしないで続けてくれ」と取り繕うようにそう言った。そして会議そっちのけで、このことについてじっくり考えてみる。
誰にも声は聞こえてないようだ。とすると、これは心の声か?
『お願いお願いお願い! 届いて、届いてよー! こっちを振り向いて!』
相変わらず声は聞こえてくる。だがレヴィンはもう慌てなかった。冷静に声の主を判別しようと耳を傾け、思考を巡らせる。そう、この声にははっきりと聞き覚えがあった、そしてお師匠様という言葉……。
エミリア、何故?
レヴィンは彼女の言葉をもっとよく聞き取ろうと耳を澄ました。
『彼女の言いなりにならないで! 私に気付いて!』
この切羽詰った声の調子から、どうやら彼女は今尋常ではない状態に置かれているらしいことが察せられた。そして更に、この言葉は自分に向かって放たれているのではなく、彼女の師匠、アシュリーに向かってかけられている言葉であるらしいことも。
彼も尋常じゃない状況に陥っているのか?
エミリアの言葉の内容や、彼女の呼びかけにアシュリーが全く答えないというところから、レヴィンがそう判断する。
だが、その声が何故自分に……。
どうやらエミリアは自分の声がレヴィンにまで届いていることに気付いていないようであった。レヴィンはどうするかと一瞬逡巡するが、とりあえずその声に答えてみようと、周りに気づかれないよう小さく呪文を唱えた。
会議は進む。その中で一人レヴィンは目を閉じると、静かに意識を集中させていった。そして念じながら心の声を飛ばすように……。
『エミリア』
『あーん、やっぱり駄目なの。私の声は届かないの』
『エミリア』
『もう絶望的? 他に方法はないのかしら……って、え? 何、何、なんか声が。お師匠様?』
『違うよ、僕だよ、レヴィンだ』
『殿下! どうして!』
『それは僕が聞きたいことだよ。でも一体どうしたんだい。なんだか切羽詰ったような声が聞こえてきたけど』
『な、なんか私、怪しい人達に捕まっちゃって、変な建物に連れてこられて、腕輪で呼びかけたらお師匠様が助けに来てくれたんですけど、そのお師匠様も大変なことになっちゃって……』
どうやら動揺で上手く説明できないらしく、エミリアの言葉はなんとも要領の得ない内容になってしまっていた。これでは状況の把握が全くできず、レヴィンは困ったようにして眉間に皺を寄せて考え込む。だがそう悠長に構えている場合でもないようで、仕方なく分かる部分だけ拾い集め、
『うーん、詳しい事情はよく分からないけど、つまり、君もアシュリーも大変な状況に陥っていて、助けを必要としている、ってことかな』
『はいっ!』
とりあえず重要な点は理解してもらえたこと、絶望の中で何とか希望が繋がりそうなことに勇気づけられて、エミリアは力強く答える。
『分かった。今から僕が行こう。で、そこは一体どこなんだ』
そこで沈黙が訪れた。何事かあったのかと思ってしまうほどの長い沈黙が。レヴィンは不安になるが、もしかして位置を特定しようと考え込んでいるのかもしれないと、そう思ってしばし待っていると、
『えー……どこでしょう?』
『どこでしょうって……場所が分からなきゃ、そっちへ飛びたくても飛べないよ』
『で、でも、お師匠様はきましたよ!』
『……君の師匠と僕の力を比べないでくれ。彼にできても僕にできないことだってあるんだ。何か手掛かりのようなものでもあれば別だけど……』
『探査の魔法は?』
『君が近場にいるのなら探せるかもしれないが、そうでない場合、膨大な時間がかかってしまうよ。たとえ近場でも、探査の魔法を弾くようプログラムされた結界内に君がいれば、僕にはもうお手上げだ』
『じゃあ、じゃあ……』
せっかく繋がった希望もかき消えそうになり、エミリアは泣きそうな声でそういいながら、このままでは引き下がれないと何か方法を探すべく考え込む。すると、
『そうだ! お師匠様は、自分が何らかの理由で私の呼びかけに答えられない場合、保険をかけてあると言っていました。それが、殿下なんじゃないんですか? なら、きっと殿下にも分かるよう、何か目印を残してあるはずです!』
確かに、それなら自分にもエミリアの声が聞こえてきた意味が分かるというものだった。レヴィンはなるほどと頷いて少し頭を悩ませた。考えてみれば、何の目印もなしでどこにいるのかも分からない者をすぐに探し出すのは、アシュリーといえども容易いことではない。なら何かの目印をつけていると考えるのが妥当だろう。
『試しに……試しにだけど、ずっと僕に向かって念を送り続けてみてくれるかな』
『はい!』
その言葉に従うよう、返事と共にエミリアの念がレヴィンの頭に途切れなく入り込んでくる。
『殿下早く来て! 早く、早く早く来てー!』
その念を追ってみると、微弱ながらではあったが、どこかの方向へと道筋を示しているようであった。そのまま辿っていってみれば、念は王宮を抜け、結界も抜け、空へと突き出し、北の方へと向かっているようだった。
更にその念をずっとずっと辿っていってみる。それはどこまでも続き、いつか果てはあるのかと思われるほど、長い距離を伸ばしていった。そして、
『北に約四百キロメートル……って、おい……』
レヴィンの背に冷たい汗が流れた。
『殿下、どうしたんですか?』
『……国境を越えてるじゃないか』
それもわが国ノーランドの真北にある国と言えば、
『エミリア、そこは隣国ルシェフの領地内だよ。わが国と非常に非常に仲の悪い、ね』
『私を連れ去ったのはルシェフの特殊工作員なんです、ここがルシェフってのも大いにありえます。でも、それが何か都合悪いんですか?』
『何かって……うちとルシェフはこの十年の間に国境を巡って二度もどんぱちやってるんだよ。今だって状況変わらずで……そこにノーランドの王子である僕が忍び込んだなんてばれてみろ、大問題だぞ』
『でも、こっちはもうそれどころじゃないんです! ほら、今こそお忍び好きの本領発揮ですよ!』
脳天気なエミリアの発言に、レヴィンは思わず泣きたくなる。
『王宮を抜けるのとは訳が違うんだ……』
『お願いします! このままじゃ、お師匠様は契約書にサインしてしまいます!』
『契約書? なんだい、それは』
『血の契約です! 悪魔と契約してしまいます!』
その言葉には、流石にレヴィンの表情にも緊張が走った。
そして思い浮かぶのは、謎の失踪をとげる魔法使い達の記事。更に、かの国は悪魔と契約しているのではないかという噂。それはこのルシェフ政策の会議でも時々議題としても持ち上がるもので……。
『それは……見過ごせないことだな……』
そう念を送ってレヴィンは席を立つと、「ちょっと失礼するよ」周りの人間に声をかけて、この会議の場から辞した。自分がいなくても会議は何の滞りもなく進んでゆくだろうことは十分承知していたし、それは周りも分かっていただろうから。そして議場を出て人の目がから解放されると、
『いいかい、僕にずっと念を送り続けてくれ。もっと詳しく位置を特定するから』
『はい!』
そしてレヴィンはエミリアの念を感じ取りながら、急ぎ足で歩みを進め、とある場所へと向かっていった。そこは……。