第三話 過去という名の鎖 その六
そして翌朝、めずらしく綺麗に身だしなみを整えた魔法使いが、どこか神妙な面持ちでエミリアの前に現れた。そしてその神妙な表情のまま、
「……これから私は仕事で出かけなければならない。いいか、あれから結界を強化しているから大丈夫だとは思うが、先日のことがある、誰かがこの場所を尋ねてきても、無視しろ。絶対結界の外に出るな、わかったな」
夕べ、あんなことがあってすぐの外出であった。エミリアひとり残して出かけなければならないことに不安が拭い去れないのだろう、声の調子から表情から態度まで、魔法使いは気がかりの文字を端々からにじみ出させながら、そう諭してきた。だがエミリアは、そんな魔法使いの不安などお構いなしのよう、屈託の無い、ある意味脳天気な笑みを浮かべると、
「はい」
そう明るく返事をする。魔法使いの不安を払拭し、安心して出かけていってもらう為に。自分は大丈夫ですから、そういう気持ちを伝える為に。
「……」
だが、その取ってつけたような笑顔は、魔法使いの不安を更に濃くしただけのようであった。それに魔法使いは釈然としないような、どこか困惑した表情で黙り込むと、ローブの下に着込んでいる上着のポケットを弄り、
「これをおまえに預けていこう」
そう言ってそこから細い銀製の輪を取り出した。その輪の表面には何か文字のようなものが無数に刻まれており、光に反射してまばゆいばかりの光沢を放っていた。
「綺麗……これ、腕輪ですか?」
「そうだ。魔法の使えない者でも、魔法を使えることができるようになるという魔具だ。腕輪に手を当てて、念を送ればいい。そうすればその念は私に届くようになっている。なにかあったらそれを使って私を呼べ」
「念……」
腕輪の美しさに目を奪われながら、エミリアは本当にそんな効果がこの腕輪にあるのかと試してみたくなって、大事そうにそれを両の手に包み込むと、早速念を込め始めた。
『お土産はシルクのスカーフ、でなかったらアンティガのバック……』
すると途端にぺちっと音がして、ごく軽くエミリアの頭が叩かれる。何だと思って目の前にいるそれをやった張本人を見上げてみると、むすったれた表情をして魔法使いがエミリアを睨んでいた。
「バラノフのクッキーで十分だ」
ふざけるなとでも言い出しそうな魔法使いの雰囲気に、心で思ったことが通じていることを察して、エミリアは感動して言葉を失っていた。
「効果覿面……」
「ふざけた実験は終わりだ。ああ、それから、もし私が何らかの理由でおまえの呼び出しに答えられない場合、一応保険はかけてあるが……」
何かを言おうとして、だが躊躇ってそこで魔法使いは口を噤んだ。そして少し忌々しげに顔をしかめると、
「まあ、恐らく使う事は無いだろうから……もういいな、私は行くぞ」
そういい残して、魔法使いは屋敷を後にした。