第三話 過去という名の鎖 その三
それからエミリアは久しぶりの食事に腕によりをかけ、少し遅い昼食を二人は取った。魔法使いは普通に、エミリアは活動停止をしていた胃袋をいたわることなくかっ込むだけかっ込み、漸く二人のお腹も満足すると、到頭やってきたのは待ちに待った午後の時間であった。
魔法。
弟子としてこの家に住むようになってから約三ヶ月、ひたすら家事にこき使われる日々を送っていたエミリアであったが、やっとそれらしく魔法を教えてもらえることになったのだ。
未知の世界へのわくわく感に胸躍らせながら、「こっちだ」の言葉と共に先を歩く魔法使いの後をエミリアはついてゆく。すると、まず案内されたのが屋敷内の書庫だった。そこは本が詰まった棚が所狭しと立ち並ぶ部屋で、魔法使いはあちらの本棚こちらの本棚と移動しながら早速本を選別し始めた。そしてその中から何冊かの本を抱えてエミリアの元へと戻ってくると、
「実践に入る前に、まずこれを読め」
どん、とその本達をエミリアの前に積み上げたのである。その本の数、
一、二、三、四、五、六……六冊!
そう、六冊だった。
その多さに目を丸くしながら、一体何の本なのかと見ていってみれば、まず一番上にあったのが「しょくぶつのしくみ」であった。中身はどんなものだろうとぱらぱらめくっていってみると、「しょくぶつは、おひさまからひかりのエネルギーをもらい、ねっこから、みずやみずにとけたようぶんをすいとってせいちょうするのです……」平仮名ばかりの簡易な文章が目に優しい、まるっきり子供向けの本であった。自分は十八歳、女学校も通ったし、それぐらいのことは分かるわよと、馬鹿にされたような気分になって少し不機嫌に上から順に見てゆくと、「新しい理科」「中等学院理科二分野」「高等学院生物」「植物生理学講座」「植物ホルモンの分子細胞生物学――成長・分化・環境応答の制御機構」
「植物ホルモンの分子細胞生物学――成長・分化・環境応答の制御機構????」
下の方へゆけばゆく程訳の分からない小難しい題名の本となっていたのである。そしてエミリアは一番最後にあった、中身はなんだかさっぱり分からないまるで暗号か何かのような題名の本を、怖いもの見たさで試しにめくってみた。すると、目に飛び込んできたのは……、
な……なに、これは。
専門家であればなんてことはない、それは植物ホルモンの一種であるジベレリンの化学構造式であったのだが、そのようなもの見た覚えも聞いた覚えもなかったエミリアは、とんでもなく恐ろしいものを目にしてしまったような気持ちになって、慌てて本を閉じた。
「何も全部読む必要はない。この中の植物の構造や生きる為の仕組みや成長に関する部分だけ、理解できるところまで読め。期間は一週間与える」
「一週間……」
この本の量である。全部読む必要はないということは確かに救いであったが、後で待ち構える魔法使いの反応を考えたら、まさか一、二冊で終わらせる訳にもいかないだろう。となると……理解できるところまでと魔法使いは簡単に言うが、理数系が苦手であるエミリアにとって、はっきりいってそれは気が重い以外の何物でもなかった。
だがきっと、魔法を学ぶにはこれを乗り越えねばならないのだろう。だからこそ出された課題に違いないのだ。
だったら、やってやるわよ。
意外な難題に身構えながらも、学校の試験勉強の時にも見せなかったやる気をみなぎらせて、いけるところまでいってみる! と戦いを挑むよう、エミリアは目の前の本達に向かってそう誓った。