第二話 人と人との狭間で その十
王と両親との話し合いは、エミリアを置き去りにしたまま、相変わらず長々と続けられていった。口をふさがれていたが悲しいことに耳はしっかり開いていたので、遮られることなく話は入ってきて、その内容から、どうやら両親はこのまま城にエミリアを置いてゆくつもりでいるらしいことが分かった。また逃げられたら叶わない、ならば王に預けて、早く肩の荷を下ろしてしまおう、そんな気持ちなのであろう。王もそれに賛成のようで、シェリル達の言葉に満足げな表情をしながら、
「王室には様々なしきたりがある、それに慣れるのもいいことだろう」
漸く手の中に入りそうな小ウサギを更に確実なものにしようとしてか、もっともらしいことを言ってきた。
「ええ陛下、結婚前のいい花嫁修業になりますわ。エミリア、お城でちゃんと学ぶのですよ」
それにシェリルも納得の笑顔で、王に合わせるようそう言って、おほほほほと声を上げる。
どうやら話はまとまりそうであった。
それを聞きながら、そんなにも自分は厄介者なのかと悲しくなるエミリアであった。だがどんどん話がその方向へ進んでゆくことは止められず、いよいよ王室へ引き渡されようかと、シェリルに前に進むよう勧められたその時、不意に周囲が騒がしくなった。幾人もの人間がこちらの方へと走り寄ってくるような音が響いてきたのだ。そしてその音と合わせるようにカチャカチャとした金属音も聞こえてきて、何事かと訝しんでいると、ノックもせずに突然扉が開けられた。
「結界が何者かに破られました! 今賊を探しておりますが、陛下、身辺十分ご注意ください! すぐに護衛の者をよこしますので! おい! 皆早く位置につけ!」
華やかな金糸の刺繍が施された軍服に、腰にはサーベル手には銃を持った近衛兵が一人入ってくる。どうやらこの男は隊長であるらしく、ことの緊急を示すよう血相を変えてそう叫ぶと、手招きしてその後に続く部下達を中へ招き入れた。
途端にわらわらと武装した兵が謁見の間に入ってきて、にわかにあたりは物々しい雰囲気になる。そして国王やエミリア達を部屋の中央に集めると、それを守るよう、兵達がぐるりと囲んで円陣を作った。銃や剣を外に向け、何者がやってきてもすぐ対応できるように身構える。その様子に国王は険しい表情を浮かべ、ヴェルノ達も困惑したように手を握り合ってこの突然の事態に息を呑んで静観した。すると、そんな護衛たちをあざ笑うかのよう、その輪の中に突如人の影が現れたのだ。
不意に湧いてきたかのごとく現れたその影は、最初はぼんやりとしたものだったが、次第にはっきりとその姿をあらわにし、
「ああ、やっと見つけた。広すぎるんだ、王宮ってやつは」
いかにも嫌々ながらといった雰囲気を醸し出しながら、この地に降り立った。その姿、その声、その態度、それはエミリアにとって非常に馴染み深い者であり……そう、魔法使いである。
「あ……あ……あ……」
何故? どうして? その思いに、エミリアは言葉を無くしていた。あの場所より家を選んだ自分であったのに、魔法使いを見捨ててしまった自分であったのに。それ故きっと彼を怒らせてしまったに違いないと、きっともう許してはもらえないとエミリアは思っていたのだ。だから彼が、まさか自分の前に姿を現すとは想像もしていなく……。
唖然とするエミリアを前に、魔法使いは不敵な笑みを浮かべこう言った。
「ふん、本当は来るつもりなど全くなかった。こいつがあまりにも騒ぐものだから……どうやって手なずけたんだか知らないが、こいつの献身に感謝するんだな」
するとポケットの中から、可愛らしい顔がちょこんとのぞきだした。それはあのスズメであり……。
「まさか、あのスズメさん? あなた、もしかして……」
思わぬ再会にエミリアは顔をほころばせる。すると、二人だけに通じるそんな言葉のやり取りに気に入らない気持ちになったのか、
「ええい! 何をぼけっとしている、賊だぞ、撃て! 撃て!」
王がいらだたしげな表情でそう声を上げる。
王宮の数限りない結界をやぶっただけでも稀有なことであった。それなのにこうもいとも簡単に王の側まで近づかれてしまって、兵達は皆唖然としてしまっていた。だが国王のその声で何とか我に帰ると、慌てて銃を構え直す。一方の魔法使いもいち早くその動きを読み取って、王の言葉と同時に呪文を唱え始める。そして銃が発砲されようかという時、
「うっ!」
構える銃の銃身が何かに熱せられたかのように赤く染まると、溶けた飴の如くぐにゃりと曲がってしまったのだ。頼るべき武器を奪われた兵たちは、何もすることが出来ず、その曲がった銃を見つめてまたもや唖然とするばかり。
「は……早い」
呪文を唱えてから、魔法が発動されるまでの時間についてである。それに魔法使いはニヤリと笑い、
「私を甘く見ないでもらおうか」
「お……おまえは一体誰なんだ……」
「私? 私は……」
魔法使いが口を開きかけたその時、
「いけません、危険です!」
「だけど、こう騒がしいとおちおち寝てもいられない」
そんなやり取りが部屋の外から聞こえてきて、靴音と共にこちらに近づいてくる気配がしてきたのである。
「ですが、どこに賊が潜んでいるか!」
「このままじゃ気になって眠れないよ。それとも君は僕を睡眠不足にしたいのかい?」
「そういう訳ではございませんが……」
次第に大きくなる音、それに皆耳を傾けていると、不意にその音が止まり、
「ここか……全く一体何があったっていうんだ、騒々しくてたまらないよ」
物腰も優雅な一人の青年が、どこか眠そうな眼を擦りながら、謁見の間の扉から顔を出してきたのだ。絹糸のように真っ直ぐで艶やかな金髪、端整な顔立ち、それはどことなくこの部屋にいる国王の面影を色濃く残していて……。
「殿下!」
青年の姿を見て、彼を知る者達が声を揃えてそう言う。そう、彼は国王の第二子、レヴィン王子であった。どうやら賊の侵入に城中が上に下にの大騒ぎになっているのに気づいたらしく、様子を見るべくやってきたようだった。王子は起き抜けの寝ぼけ眼でこのもっとも騒々しい場所、謁見の間に顔を出したが、突如目の前に広がった尋常じゃない光景に流石に眠気も吹っ飛んだらしく、驚きの表情で状況を把握すべく周囲を見回す。すると、ある一点でその視線は立ち止まり……。
「アシュリー……」
「くそ、嫌な奴に会った」
魔法使いの姿を見て、呆然とする王子。それに魔法使いは忌々しいモノにでも出会ったよう目を細めると、苦々しげにそんな言葉を吐いた。
「なんだ、レヴィン、知り合いか?」
「ええ……まあ。ほら、彼は転移魔法の……」
王子のその言葉に、王の表情に理解の色が浮かび上がる。
「ああ、あの」
王子だけでなく、王も彼のことを知っているようだった。そして、
「あの魔法使いが、ここに一体何の用があるというんだ」
不機嫌も露に王がそう問うてきた。すると魔法使いは、
「助けを求める彼女の声を受け取ったのでね。どう見ても彼女は嫌がっているとしか思えない、ならば返してもらおうと思った訳だ」
相手が王であっても、相変わらず不敵な態度を崩さない魔法使いであった。だがその言葉は、何も知らない者にとっては聞き捨てならないもので、魔法使いが漏らした、「返す」という部分に敏感に反応して、シェリルは顔をしかめた。
「どういうことなの、エミリア。あなたまさか……三ヶ月姿をくらませていたのはこの人と何か関係があるの?」
壮絶な美貌を備えた若い魔法使い、女性が夢中になる要素を兼ね備えている……。そのような男性を前にしてシェリルは不安になったのだろう、そんなこと無いわよね、希望にすがる色を滲ませながらも、どこか気がかりを拭い去れないよう焦ってエミリアに問い掛ける。それにエミリアは、
「あ、あの……」
言葉に詰まっていた。魔法使いとの間に、やましいような関係は何もない。だが、もしそれを正直に言えば、ここぞとばかり自分は魔法使いから引き離され、無理やり王室へ引き渡されてしまうのだろう。そして、恐らくこの時点でもう怪しい人物と認定されてしまっている魔法使いは、何らかの罰を受けることになるに違いない。彼は何も悪いことなどしていないのに。ただエミリアのわがままにつき合わされ、巻き込まれただけで、望んでこんな状態に陥った訳ではないのに……。
まずは魔法使いの身の潔白を証明せねば、そう思うが、それには自分の身と引き換えにしなければならなかった。できればそれも避けたいことで……エミリアは悩んだ。そして思った。もうこの状態では、きっと何を言っても言葉通りに受け取ってもらえることはないのだろうということを。そう、自分も彼も、もう引き戻れない渦中に放り込まれてしまっているのだ、と。
「ちゃんと説明なさい!」
煮え切らないエミリアの態度に苛立って、命令するようシェリルが言う。
その声にびくりとしてエミリアは我に返ると、厳しい眼差しで見つめる母の顔を見た。
ならばせめて、この場を上手く逃れる方法を、この場を上手く逃れる方法……。そして、頭の隅から隅まで知恵をかき集めるように、様々な考えをものすごい速さでエミリアは巡らせた。そして思い至った。エミリアが家を出る前、この結婚から免れる方法はないかと頭を悩ませた時、浮かんだ考えに。それはこの家から逃げ出すこと、そして誰もが顔を背けるような粗相を犯すこと。ならば……エミリアの脳裏に、そのとんでもない粗相が過った。いや、これは粗相どころかとんでもない不祥事であった。そう、これを言えば何かが変わるかもしれない。それぐらい衝撃のある言葉。だが、それは……。
エミリアは、戻ってくるだろう反応にドキドキしながらも腹をくくると、きっと鋭い眼差しで母親を睨みつけた。そして、
「そ……そうよ! この人は私の恋人。心の底から愛しちゃっているの。なんてったって私、なんてったって……そう、おなかに赤ちゃんがいるんですから!」
その言葉に、シェリルの、周りの者達の表情が凍りついたように固まった。そして刹那の時を置いて、
「エミリア!」
シェリルの悲鳴のような声が辺りに響く。周囲の皆も衝撃に言葉を失っており、たとえようも無い沈黙が辺りを覆った。
ごめんなさい、やっぱり巻き込んじゃいましたと申し訳ない気持ちでエミリアは魔法使いを振り返ると、あまりにも突拍子もない告白に仰天してか、目を白黒させている彼の姿がそこにはあった。それも当然だと思いながらエミリアはシュンとすると、不意にお互いの目が合った。途端に魔法使いの額に、怒りの青筋が立ってゆく。
お願いです! 今は話に合わせて下さい!
魔法使いの怒りをひしひしと感じながら、今だけは調子を合わせて欲しいと、エミリアは目で必死に訴えた。それに魔法使いは額に青筋を立てたまま王達の方へ向き直ると、
「私から言うことは何も無い……皆さんの想像にお任せする」
そう言って魔法使いはエミリアの細い腰に手を添え、ぐっと側に引き寄せた。魔法使いのその行為にあたりの空気がまたしても一瞬にして固まる。
「な、な、な、な、な」
近づく顔にエミリアは胸をドギマギさせていると、更に顔は近づき、唇が耳元へと寄って来た。
「転移魔法を使って城を脱出する。途中結界を強行突破する。かなりの衝撃があると思うから、振り落とされないようしっかりつかまってるんだ」
低い声でそう囁かれて、エミリアは悩んだ。しっかり、とはどの程度のものを指すのだろうか。公衆の面前であるだけに、あまりぎゅっと抱きつくのは、恥ずかしさもあって避けたかった。なので、しっかりと言われてエミリアはおずおずと魔法使いの服の端っこを握った。すると、
「亜空間に吹っ飛ばされたいか」
その遠慮がちな態度に苛立つように魔法使いが再び囁く。それにぶんぶんぶんとエミリアは首を横に振ると、魔法使いの首に腕をまわし、ぎゅっと抱きついた。
「それでいい」
そしてその言葉の後、恐らく呪文なのだろう、訳の分からない言葉が低く続くと、
「う、うわ!」
とんでもない風圧がエミリアの体を襲ってきた。初めて亜空間というものを経験したが、こんな強風吹きすさぶ凄まじい場所とは。更に結界を突破しようとしているのだろう、大きな振動までもがエミリアを襲ってくる。怖くて回りなど見ている余裕はない、とにかく吹っ飛ばされないようひたすらエミリアは魔法使いにしがみついてこの時が過ぎるのを待った。
そして……。