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ひとひらの花びらに思いを(未)  作者: 御山野 小判
第一章 ひとひらの花びらに思いを
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第二話 人と人との狭間で その六

 それからすぐにエミリアは、食事を取るべく階下の食堂へと降りていった。スズメの行方が気になったが、元々誰の束縛も受けぬ野鳥、その先を気にしても詮無いことだろう。


 そして階段を下りて玄関ホールまで出てくると、エミリアはふとあるものに目を留めた。

 

 人の顔まで映しそうな程磨き上げられた大理石の床、そこを汚すように泥の足跡がいくつもつけられていたのである。恐らく誰かが汚れた靴のまま上がりこんだのだろう、元がぴかぴかであっただけに、その汚れは非常に目立っていた。


 それにエミリアは居ても立ってもいられなくなった。そして足早に用具置き場へと向かうと、モップを取り出し、その床の汚れているところまで戻ってごしごし擦り始めたのである。


「お……お嬢様!」


 その伯爵令嬢らしからぬ行為に、驚いて近くを通った侍女が慌てて止めようとする。


「大丈夫よ、すぐ終わるから」


 そう言ってエミリアはにっこり笑う。すぐ終わろうが終わらなかろうが、その行為自体が問題なのだが、それに気づく様子もなく、侍女の制止も聞こえないかのよう、エミリアはひたすら床掃除に勤しむ。そしてぴかぴかになったその場所を見て満足げに微笑むと、モップをしまうべく用具箱の方へと体を向けた。すると、


「エミリア……何をやっているのです」


 恐らく食事の為に降りてきたのだろう、母のシェリルが信じられないものでも見たというような表情でそこに立っていた。


「床が汚れていたものですから」


 やはり、何の後ろめたさも感じてないような明るい笑顔をエミリアはシェリルに返す。それにエミリアの行為の意味を察したのか、シェリルは何か眩暈でも覚えたかのようにこめかみに手をやると、


「そう、でももう食事の時間ですから、それは置いて食堂へいらっしゃい」


 どこか引きつった笑みを浮かべながらそう言う。


「そうです、そうです。モップは私が片付けておきますので、どうぞ食堂へ」


 隣にいた侍女もここぞとばかりにエミリアからモップと奪い取り、きっと後で奥様から大目玉だわ、と恐れおののきながら彼女にそう促した。


 それはまるで腫れ物にでは触るかの如くで、その扱いの不自然さにエミリアも流石に気づいて首をひねるが、まあそう言うのならと取りあえず納得して、食事を取るべく食堂へと向かっていった。


   ※  ※  ※


 食堂は微妙な雰囲気に包まれた場となっていた。言いたいこと、聞きたいことは沢山あるのだが、遠慮が働いてそうすることができない、といったように。静まり返る室内。そんな中で何とか切っ掛けというものを作り出そうとしてか、シェリルとヴェルノは何度となく目を合わせてはエミリアを見遣った。だが、それに当のエミリアは全く気づく様子もなく、ひたすら美味しそうに食事を口に運んでいる。


 だがこのままではいけなかった。物事を曖昧にしたまま全てを許すわけにはいかないと、シェリルは意を決したようにナイフとフォークを置き、


「エミリア、あなたは今まで一体どこで何をしていたの?」


 それにエミリアは動かす手を止め、シェリルを見遣った。柔らかではあるが、有無を言わさぬような眼差しがそこにある。そして困ったようにエミリアは表情を曇らせると、


「とある人の所へ。色々お世話になっていました」


「そのとある人って?」


「それは……言えません」


 申し訳ないというように、エミリアは顔をうつむける。


 これは絶対言えない。言えばその人物は父や母の差し金によって、何かの報復のようなものを受けるに違いないから。


「そう……」


 そんなエミリアの気持ちを知ってか知らずか、シェリルはそれ以上追求してくることはなかった。追求しても口を割らないだろうことを感じていたのかもしれない。


 再び微妙な雰囲気の流れる室内。その雰囲気に影響されてか、周りで控えていた使用人達もどこか緊張した気持ちにとらわれていた。そんな時、使用人の一人がエミリアのワイングラスが空になっているのに気づいた。慌てて注ぎに側に寄ってくるが、その者も微妙な雰囲気の毒に汚染されていて、動きはどこかぎこちないものになっていた。可哀相にワインを注ぐ手が小刻みに震えてしまう。そして、


 ガタン!


 なんと瓶の注ぎ口がグラスの縁に当たり、倒してしまうという、普段ならば信じられないような粗相をしでかしてしまったのだ。倒れたグラスの中に入っていたワインは当然テーブルのクロスへとぶちまけられ、赤黒い無残な染みを作った。


「も、申し訳ございません!」


 あたふたする使用人を横目に、エミリアは慌てず騒がず膝のナプキンでそれを拭う。雫が床に落ちる前にせき止めねばと、素早い仕草で。だが、ついてしまった染みまで取ることはできず、テーブルクロスもナプキンもワインで赤く汚れてしまっていた。それを見てエミリアは、すぐに洗わなければ、そうしなければ染みになってしまう、と席を立ち、ナプキンを手に水場に向かおうとした。すると、


「エミリア! 席におつきなさい!」


 シェリルの厳しい声が部屋に響いた。


 先程のモップの件といいこの件といい、到頭堪忍袋の緒が切れたようにシェリルはエミリアを厳しい眼差しで見据えた。そして、


「あなたは、伯爵家の令嬢なのです。そのようなことは使用人にやらせておけばいいのです、分かりましたか?」


「はい……」


「ああ、少し会わないうちにまるで別人のよう。一体どんな生活を強いられてきたのだか……」 


 いたたまれないというように、シェリルはつくづくとそう言う。


 そういえば、自分が伯爵令嬢でいた時、確かにモップ掛けもテーブル拭きもやったことなど全くなかった。全て使用人がすることを当然と思い、それが普通の生活を送っていた。それを思い出せば母親が怒るのも納得できることで、今更の様に自分の変化というものを感じてエミリアは唖然とした。


 ほんとに、たった三ヶ月の間だというのに、身についてしまった癖は出てしまうというか、何というか……エミリア自身も恐ろしいものだとつくづく思いながら、気になって仕方がないテーブルクロスの赤黒い汚れを見つめ、ため息つきたい気分になった。

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