第一話 令嬢と性悪魔法使い その二
「ほんと、いいお天気ですねえ」
抜けるような青空の下、まるで陽だまりのような微笑を浮かべ、ティアはほんわかとそう言った。それに対して傍らのエミリアは、そんなのんきに天気をめでる余裕などなく、
「ええ、そうね」
どこか気もそぞろにそう言葉を返すばかりだった。
ここはウィートパーク、庶民だけではなく上流階級の者達もお散歩に訪れる、王都一広大で美しい公園であった。二人はそこへ馬車で訪れると、今は徒歩でゆっくりと公園内をめぐっていたのだった。
「こんな日は、ベンチに座ってボーっとお日様に当たっているのもいいですねえ」
穏やかにそう言うティアに、だが、先程から落ち着かないエミリアは「ええ、そうね」と、やはり体のいい相槌を打つことしか出来なかった。
何故ならば、エミリアは窺っていたのである。ティアを巻いてこの場から抜け出す瞬間を。それ一点に意識は集中して、ティアの話どころではなかったのだ。
「どうです、少し座って休みませんか?」
ティアの促しに、エミリアは首を横に振った。そう、そんなことしている場合ではないのだ。
「それよりも、気になるお店があるのよ。そこに行ってみない?」
「気になるお店……」
「とっても美味しいと噂の、ミートパイのお店よ」
「ミートパイ、ですか」
エミリアには策があった。この先に、露店が何軒か並んでいる場所がある、その一つにいつも行列が出来ているミートパイの店があるのだ。それにティアを並ばせ、待たせている途中で逃げ出してしまおうと思ったのであった。ランバートの屋敷はここから徒歩でいける距離にある、ここさえ乗り切れば、後は楽勝だった。
「でも、そんな下々の者が食べるものをお嬢様が召し上がるだなんて」
「たまにはいいじゃない」
でも、お母様たちには内緒ね、と微笑みと共にエミリアはそう言うと、唇にしーっと指を当てた。
それにティアは「そうですね……」と、小さく呟く。多少無理やりの感もあったが、こちらの策略に気付かせる事なく、一応納得させることが出来たようだった。相手がティアであったからこそできたことかもしれない。
やがて建ち並ぶ露店が見えてきた。その中に、いつもの如く、人が並んでいる一軒の店があった。目的の店である。その行列具合にエミリアはほっと胸を撫で下ろすと、
「私はここで待っているから、ティア買いに行ってきてちょうだい」
そう言いながらバッグの中から幾ばくかの硬貨を取り出し、ティアに渡した。
「私とティアの分ね」
「私もいただけるのですか? ありがとうございます」
ティアは嬉しそうに笑う。それにエミリアもついつられるように微笑むと、身を翻してうきうきと店へ向かっていくティアの背中を見送った。後は隙を見て逃げ出すだけ、湧き上がる緊張を胸に、エミリアは視線をティアから外さないまま、近くのベンチに座った。
どうやらティアは列の一番後ろに並んだようだった。だが、ティアはきょろきょろと何かを探すように辺りを窺っていた。一体何をしているのだろうと疑問に思っていると、やがてエミリアの視線を捕らえ、
にこっ
微笑みを返してくるのだった。そして列が少し進むと視線を外し前に詰め、再びエミリアを探しては、
にこっ
大人しく並んでいればいいのに、前へ進んでは一時とおかずエミリアの姿を探し、目を合わせ、
にこっ
更には手まで振ってくる。隙を見て逃げ出すつもりだったエミリアだったから、これはたまったものではなかった。お願い、並ぶ事に集中して、エミリアは心に願うが、ティアは相変わらずエミリアと目を合わせてはにっこりしてくる。
順番はどんどん近づいてくる。人選ミスだ、もう駄目だとエミリアはがっくり項垂れた。するとその時、後三番目くらいの順番になっただろうか、漂う美味しそうな匂いに誘われたのか、ティアは惹きつけられるよう露店の中へ視線を移すと、店員の手元を食い入るようにして眺めはじめたのだ。少し様子を見ていても、そこから視線を動かす気配はない。今だ! エミリアは立ち上がった。まだティアは露店の中を見つめている。エミリアはティアに背を向けると、出口のほうへと向かって、脱兎の如く駆け出した。
ごめん、ティア! ごめん!
このことが知れたら、きっとティアはお母様達に大目玉を食らうのだろう。何か罰だって受けるかもしれない。心の隅でそのことがちょこっと気になりながら、でもやっぱり結婚は嫌なのよと、エミリアは我が道へと向かって駆け出した。
※ ※ ※
ここはレッグスター伯爵邸のダイニングルーム。そこでレッグスター伯爵とその息子のランバートは向かい合わせに座り、昼食後の紅茶を手に一息ついていた。だが、その長閑な午後のひと時に、影を落とすようランバートは暗い表情をしていた。
「父上、何か嫌な予感がするのですが」
愁いを帯びた眼差しで、ランバートは父レッグスター伯爵にそう言う。だが伯爵は、
「そんなことはあるまい、今あれをしているのだから、おかしなことは起こらん筈だ」
憂鬱な雰囲気を払拭すべく、勤めて明るくそう言葉を返した。
「ですが、まだ終わった訳ではありません。油断は禁物ではないでしょうか?」
「まあ、確かにあの占い師の言うことは当たった訳だから、あれだけでは済まないということも、ありえるがな……」
「ええ、そうです」
憂鬱な雰囲気が拭い去れないまま、しみじみそんなことを言いながら、二人は紅茶を口に含んだ。そしてカップを置き、再び二人がほっと一息ついた時、
「失礼いたします」
壮年の一人の男性がいささか緊張したような面持ちで、このダイニングに入ってきた。そして伯爵の側に近づくと、口を耳元に近づけ、ぼそぼそとなにやら呟き出す。すると、
「なんと、まさか……」
その言葉を聞きながら、伯爵は険しい表情をして、「ううん……」だの、「これは困った」だの、あまり芳しくない言葉を吐き出していた。どうも良い知らせが運ばれてきたのではないらしい、顔色もいささか青ざめて、傍目にもそれが良くない知らせであるということがありありと分かった。
その様子に気になって、ランバートは父親の顔を困惑の表情で覗き込んだ。
「どうしたのですか? 父上」
息子の問いに、伯爵は厳しい表情で額の汗を拭った。
「息子よ、嫌な予感は当たってしまったようだよ」
「はい?」
「エミリア嬢が、我が家に来たそうだ」