第十一話 心の旅路 その十六
そしてその頃、モントアーク伯爵家では、
「はぁ」
エミリアが自室の窓辺に椅子を置き、そこに座って外を眺めながら深いため息を吐いていた。そう、外は秋晴れ、気持ちの良い光が部屋にも庭にも満ち溢れている。だが、そんな素晴らしい景色なのに、目だってそちらの方を向けているのに、エミリアは全くそれを見てないようで……。そして、
「はぁ」
再びのため息。
するとその姿を見て、侍女のティアが心配そうな顔をしてエミリアにこう尋ねる。
「どうしたんですか? 何か悩み事でも?」
それに、にっこりと笑ってエミリアはティアの方へと振り返ると、その笑顔のまま、
「喜んでいいんだか、悪いんだか、どっちとも取れない悩み事」
そう、それは、どこか思わせぶりなエミリアの言葉であって……。だが、その思わせぶりに、ティアは興味を引かれたのか、いそいそとエミリアの側へと寄ってくると、期待に目を輝かせ、
「まぁ、一体なんでしょう。気になる言葉ですね」
するとそれにエミリアは戸惑って、一瞬ばかり言葉にするのを躊躇う。だが、それも一瞬のこと、本当は言いたくて言いたくて仕方がないようで、すぐに口を開き、
「ふふふ、昨日の舞踏会で、とても素敵な人と出会ったのよ」
その言葉に、驚いたような顔をするティア。そして、「まぁ」というと、
「一体誰です? お嬢様の心をつかんだのは」
相変わらず、戸惑ったような表情を見せるエミリアだった。いや、照れている、とでも言った方がいいだろうか。そして、少しもったいぶって「それは……」と言葉をためてゆくと、
「レヴィン殿下」
そう声に出してから、「きゃっ」と恥ずかしいようにエミリアは顔を両手で隠す。
すると、それにティアは微笑ましいような表情を浮かべながら、
「それは良かったですね。落ち込んだお嬢様を見ていたりもしてましたから、少し心配だったのですが……」
「ええ、なんだか昨日の舞踏会で随分元気が出たみたい」
笑みが止まらないエミリアであった。勿論ティアもそれにつられて微笑みを浮かべてゆくが、でも……と、胸を過るある気がかりに、彼女は表情を曇らせていって……。
「でも、レヴィン殿下といったら、取り巻きの方も多く、争奪戦が激しいと。殿下自身の女癖の悪さも耳にしますが……」
すると、それにエミリアはムッとし、
「それは噂よ。女癖が悪いとか、そんな風には見えなかったわ。とってもやさしくって、気が利いて、頼りになって。確かに、そんな人だから、競争率も激しいのだろうけど……」
そう、昨日の様子からはそんな感じは全く受けなかった。なので、エミリアはレヴィンを庇うよう、少しむきになってそう言うと、不貞腐れた表情でぷっと頬を膨らませる。そう、ティアまでそんな言い方するのかと、恋する乙女の熱い思いで。そう、全く、エミリアらしくないともいえる感情の出しかたで……。
なので、それにティアは少し呆れて、ハイハイとでもいうように笑うと、
「そうですか、お嬢様がそう言うのなら、きっとそうなのでしょう。私はお嬢様が悲しむ姿はもう見たくないので、あまり深入りして傷つかれたらどうしようかと、少し心配でもあるんですけどね」
ティアの、親心であった。その親心にエミリアは考え深いよう顔をうつむけると、一つため息を吐き、
「……深入り……そうね。それは……ちょっと恐いわ。遠くからあこがれているくらいがちょうどいいのかもしれないわね。私に、あの取り巻きの中に入る度胸もないし。でも……私、夫を亡くしたばかりだというのに、いいのかしら、こんなに浮かれてて。記憶がないとはいえ、いけないわよね」
今の状況を忘れて、浮かれている自分に喝を入れるかのよう、そう言ってゆく。そう、近しい者が死んでいるというのにこんな調子でいいのかと、かつては人妻だった自分、なのにもうこんな気持ちになって、それが世間的に許されるのだろうかと、強い罪悪感に苛まれて……。
そして、その気持ちを表すかのよう、途端に顔を曇らせてゆくエミリア。だが……。
それにティアはいえいえと首を横に振り、
「いえ、いいんですよ。お嬢様には笑顔が一番です。笑顔になられるような出来事があっただけでも素晴らしいことですわ。確かに、旦那様のことを忘れてはいけませんが、前へ進むことは決して悪いことじゃないと思いますよ」
家でも外でも、どこか孤独を感じていたエミリアであった。なので、その言葉にエミリアは勇気づけられたような気持ちになると、思わずニコリと笑い、
「ありがとう。そう言ってもらえて嬉しいわ。本当に、こんな気持ち久しぶりだったから。だけど……嗚呼、また殿下に会うことはあるのかしら? 不謹慎だけど、それを思うと心がワクワクしてきてしまって……」
明るいエミリアの微笑みに、ティアもフフフと共に笑う。そして、
「そんな機会があるといいですね。……でも、今それは置いておきましょう。そう、お薬です。取り敢えず、お薬でも飲みましょうか」
そう、これを忘れちゃいけないと、上手く話をそちらに持ってゆき、あの黒い丸薬の入った瓶が置かれている部屋の棚の方へと歩いていった。そして、その瓶からいく粒か薬を取り出すと、水差しを手に取り、ティアはコップに水をついでゆく。それは、いつものことながらの手慣れた作業、なので、緊張しつつも平然を装い、ティアは薬とコップをエミリアの方へと差し出すと、
「はい、どうぞ」
それを見て思わず渋い表情をするエミリア。そう、正直言ってエミリアはこの薬、
「これ、嫌い」
苦手だったのだ。するとそれにティアは困ったような表情をし、
「でも、お嬢様は記憶の病気なのですから。お薬は飲まないと」
だが、納得いかないと、再びプッと頬を膨らませるエミリア。そして、
「全然効いてるように感じないんだけど」
「そう思ってるからですよ。もし飲んでなかったら、今より酷い状態かもしれません」
そうはいわれても、まだ納得がいかないエミリアだった。そう、記憶以外特に体調が悪い訳でもないのに、薬なんてものを飲まされるのだから。それもその薬、とても記憶に効いているようにはどうにも感じられず……。そう、どこか胡散臭い、と……。
「だって、この薬、すごく臭いのよ。苦いし、飲んだ後にもしばらくその味が口の中に残っていて、自分がその臭いになってしまったみたいになるの」
すると、それにティアはクンクンとその薬に鼻を近づけ、臭いを嗅いでゆくと、
「さわやかなミント系って感じじゃないですか、気にするほどのものじゃ……」
「絶対ミントじゃないって!」
と、そこまで言って、エミリアはふと考え込むような様子を見せる。そして、
「なんか、このやり取り、前にもあったような……」
頭が痛いように額に手を当てるエミリア。
そう、どうやら地雷を踏んでしまったらしい。その様子にティアはまずいことを言ってしまったのを察して、思いっきり慌てると、
「さ、さあ。それはいいですから、お薬、飲みましょう。はい」
無理やりそれをエミリアに渡し、早く飲むように促す。すると……。手の中の丸薬、それをエミリアはまるで憎々しいものでも見るような目つきで見つめると、息を止め、覚悟を決めて口の中へと放りこんだ。ゴクゴクゴクと水を飲むエミリア。すると、一気にあの嫌な臭いが口一杯に広がって……。そして、いかにも変なものでも口にしてしまったかというよう顔をしかめると、空のコップをティアに返し、エミリアは再び窓辺の椅子へと座っていった。それを見て、ホッと安堵するよう微笑むティア。そして、そのコップをチラと見遣ると、片付けるべく、一礼してこの部屋から立ち去ってゆき……。
カチャリと音がして、扉が閉まる。
すると、それをじっと見ていたエミリア、完全にティアがいなくなったことを確認すると、これはチャンスとばかりに部屋の窓を開け、手の中にあったものを外へと向かって投げ捨てた。そう、実は薬を飲んだと見せかけて、まだ手の中にあったのだった。どうしても飲みたくないと、そうやって外に捨てることを選んだのである。否、実はここ最近、毎回そんな感じであったのであって……。そう、これがそんなに大事なこととも知りもせず、また、それが何を引き起こすことになるのかも知りもせず……。