第十一話 心の旅路 その十四
踊る、踊る、色とりどりのドレスの人達。カラフルで、とてもきれいな……。くるくるくるくる回って、やがて音楽が終わると、流れる時も終わって、一斉に皆の動きが止まる。勿論レヴィンとエミリアもそうで、噛み締めるようその時を味わってゆくと、組んだ手を離し、
「どうする、もう一曲いく?」
エミリアの顔を覗きこみ、レヴィンはそう言ってくる。だが、それにエミリアは首を横に振り、
「少し、疲れました」
「そう、じゃあ、何か飲み物でも飲もうか」
そう言って二人は広間の中央から引いてゆくと、あちらこちら忙しそうに動き回っている給仕係からシャンパンの入ったグラスを受け取り、それを口にした。
「喉が渇いていたから、とっても美味しいです」
素直にそう言って微笑むエミリアに、レヴィンも微笑ましい気持ちになり、釣られてニコリと笑みを浮かべる。それは、思わず見とれてしまう程の美しい笑みであり、エミリアは回ったアルコールのせいもあってか、再び胸がドキドキするような感覚に陥る。
そう、本当は少しこの舞踏会に来たことを後悔していたエミリア。孤独感にいたたまれないような思いになっていたのだが、レヴィンのこの心遣いで何十倍も楽しいものになっていたのだから。それは、今まで知らなかったレヴィンの優しさ、その意外な心に触れて、エミリアのドキドキは最高潮に達する。そう、こんな経験をしたら、誰だってそんな気持ちになってしまうだろうと、密かに心に思いながら……。そして、やがて……そう、そのドキドキが辺りに伝わってしまうような気がして、慌ててエミリアは残ったシャンパンを飲み干すと、
「グラス、返さないといけませんね。給仕の方に返してきます」
そう言って、振り返り、歩を進めようとした。するとその時、ふと見上げたそこに、見覚えのある者の顔がエミリアの視界に入ってきて……。その者とは、
「エミリア……」
いかにもいいとこのお坊ちゃま風の面立ちをした、優男。中々見目のいい……そう、
「ランバート様……」
そう、そこにはエミリアの元婚約者、ランバートの姿があったのであった。だが、あくまで彼は元婚約者、そう、助けを求めにいった時、悲しくも見事砕け散ったという記憶の残る……。なので、その心中、実に複雑なエミリアであり、なんて言葉をかけたらいいのかと、思わず戸惑っていると、
「は、随分と久しぶりだね。いや、よくこの場に姿を現せたと思うよ。感服だね」
どこか険のある顔つきだった。確かに曰く付きである自分であったから、あまりいい態度には出てもらえないだろうことは予想できたが、邪険にされるだろうことも予想できたが、それにしても憎々しいとまでもいえるこの態度、それに、何故そこまでされるのかが分からず、エミリアは思わず困惑して……。すると、
「今の僕の婚約者だ、メラーズ子爵ご令嬢、クレアっていう」
ランバートの隣にいた女性、その女性を彼はどこか自慢げにエミリアに紹介してくる。そして、それにその女性も、どこか優越感を湛えた眼差しで、悠然とエミリアに向かって礼をしてきて……。
「彼女は素晴らしい人だよ、婚約者がいながら別の男と浮気するような人間と違って」
それにエミリアは察する。自分の夫だった者、その者との付き合いが、ランバートと婚約していた時からのものと彼は思っているらしいことに。それでこの険のある態度、と。
思わずため息を吐くエミリア。
そして、思う。それは違う、全く違うのだ、と。そう、これは大きな誤解。なので、出来ればそれを解きたくて、自分を分かってもらいたくて、弁解しようとエミリアはおずおず口を開きかけると……、
「失礼だけど、言わせてもらうよ。彼女が亡くした旦那さんと出会ったのは、彼女が家を飛び出してから後のことだと聞いている。君との婚約は解消してからのことだ。彼女を恨むのはお門違いというものじゃないかい」
その背後から、不意にそう彼女を擁護する声が聞こえてきて……。それに、思わず驚くエミリア。慌ててそちらの方向へと振り返ってみると……そこには、厳しい表情でランバートを睨みつけているレヴィンの姿があって……。それを見てランバートは、
「殿下……」
流石にこの国の王子にそういわれたら返す言葉もないというものだった。なので、少し慌てたようにランバートは忙しなく目を動かしてゆくと、
「ですが、殿下、彼女は殿下のお父上の求婚を跳ね除けて、一介の魔法使いを選んだんですよ。たとえ僕のことを置いておいても、これが許されることだと思うんですか!」
すると、それにレヴィンは眼差しを冷ややかなものに変えて、
「誰を選ぼうと僕は彼女の自由だと思っているよ。彼女は僕の父親より、別の男性を選んだ。ただそれだけのことじゃないか。くだらないことでグダグダ議論している気分じゃない、失礼するよ」
そう言ってエミリアの背を押し、その場から立ち去ろうとした。だが、ランバートは諦めず、
「妊娠しているのに、それを隠して陛下と謁見までしたらしいじゃないか! 旦那が城まで乗り込んできて、あっさり鞍替えしたって! 節操なしとはこういうことか!」
あの件の後、余程嫌な目にあったのか、恨みがたまっているのか……本当に憎々しげな態度をしてくるランバートであった。そして実際、その当時二股かけられていた婚約者として社交界で噂になり、非常に不快な思いをしたランバートであって……なので、そんなこともあって、捨て台詞のような言葉をエミリアの背へと投げかけてしまうランバート。
すると、その言葉に……。
「陛下と、謁見……、夫が城に乗り込む……」
エミリアの頭が痛んだ。そう、何か、そんなことが曾てあったような気がして。否、確かに、そんなことが曾て……。それは、思い出せそうで思い出せないもどかしい気持ち。それを抱いて、エミリアは考え込むよう額に手を当ててゆくと、
これは一体、何?
動揺も露わに、そんな思いを胸に渦巻かせる。
そうそれは、本当に危ういとも思えるエミリアの様子。なので、それに気づいたレヴィン、流石にまずいと察したのだろう、
「いいんだ、あんまり考えなくっていいんだよ。分からないことは分からないままにするといい」
そう言って、エミリアの頭を抱いてゆく。そしてその後、レヴィンは優しくエミリアの背を押すと、そのままゆっくりそこから立ち去っていって……。そう、唯ひたすらテクテクと。出来る限りそこから遠ざかるべく。そうして、やがてランバート達が見えなくなったところで、ようやく歩みを止めると、
「気分は大丈夫? お水でも飲む?」
心配そうな表情でレヴィンはエミリアの顔を覗きこむ。するとそれにエミリアは、
「はい、もう大丈夫みたいです。すみません、心配かけました」
そう言って額に当てていた手をのけ、レヴィンへと向かって微笑みを浮かべる。そう、もう心配しないでと、それを伝えるかのように。そう、思いっきりレヴィンに気を使って。
正直それは、思わず「本当に?」と確認したくなるもので、実際そうしてゆくと、
「はい」
どうやら一応本心のようで、レヴィンはホッと胸を撫で下ろす。そして、
「あまり……気にしないで。彼も、色々巻き込まれて大変だったみたいだから、きっと、つい……」
その言葉にエミリアはコクリと頷き、
「私……色々な人に迷惑をかけてしまっていたみたいですね。ほんとに……記憶がないのがもどかしいくらいで……」
健気だった。そう、本当に、あまりにも……。その健気に、レヴィンは胸が痛むよう首を横に振ると、
「無理して思い出そうとしないで、これは神様の慈悲なんだよ。きっとつらい思いをしたから、そのつらさを引きずらない為に」
すると、そんなレヴィンの気遣いに感激してか、思わずうっすらと涙を浮かべるエミリア。そして、そうしながらエミリアは再び微笑みを浮かべると、
「ありがとうございます。こんなに親しくお話したのは初めてですが、なんか、思っていたより、殿下って優しいんですね。こんな私にも親身になってくれて……。こう言っては失礼ですけど、もっと、軽薄な人なのかと思ってました。女性の方が放っておかない気持ち、なんか分かった気がします」
キラキラとした眼差しだった。そう、それは、レヴィンを取り囲むあの女性陣たちと似たような……。それもあり、状況もあり、嬉しい筈の言葉なのに、何故か複雑な気持ちになるレヴィン。そう、確かにこれはエミリアだった。エミリアはエミリアであった。だけど、これは自分の知っているエミリアではなく……。そして思う。これは恐らく自分に好意を持っているだろう態度だということを。確かに……チャンスだった。そう、彼女の心をこちらに向ける……。だが……。
どうも素直に受け取れず、困った笑顔を浮かべるばかりのレヴィンで……。すると……、
「!」
不意に、何か視線を感じたのであった。そう、じっと、こちらを見つめているような。それになんだと思ってレヴィンは辺りを見回してゆくと……穏やかに談笑する人々。躍るステップにあわせて舞うドレス。チラリチラリ目が合うことがありながらも、じっと見つめる視線とぶつかることはない。そう、この視線ではないのだ。ならばと、更にレヴィンは注意深く辺りを窺ってゆくと……、
広間の壁際。そこに背を持たせかけ、じっとこちらを見ている中年の男性がいたのであった。服装は軍服。礼装をして、胸に勲章をいくつも下げている所からそれなりの身分のある軍人のようであり……。流石に遠すぎて階級までは分からなかったが、腕章に魔法協会のエンブレムが刺繍してあるのがチラリと見える所から、どうやら魔法軍の将校のように思われ……。
そう、これはレヴィンにとって思わぬこと。何故なら、全く知らぬ者だったのだから。なので、更にその者を観察してゆくと、そんな時、
コクリ。
不意に、その者とレヴィンの目が合ったのだった。その者はこのことにより自分の存在が相手に察知されたのを悟ったようで、お辞儀の後、ゆっくり壁から背を離し、こちらの方へと近づいてきて……。そして、
「第一魔法師団長キース=バレル中将です。殿下、エミリア嬢」
どこか意味ありげな笑みを浮かべながらその者は胸に手を当てそう言ってくる。確かに肩章をチラリと見ても階級は中将を示しており、自分には馴染みのない者ではあったが、まぁそうなんだろうとレヴィンは判断して、コクリと挨拶を返す。そして、今度はなんだと思いながら、意外な客人にレヴィンは戸惑っていると、
「色々な目に遭われて、エミリア嬢も大変に存じます」
どうやら彼は、ランバートとのいざこざも見ていたらしい、それをほのめかす言葉に、ずっと監視されていたような気がして、ずっと見つめられていたような気もして、レヴィンの警戒心はどんどん上昇を始めてゆく。上昇したついでに、エミリアは彼を知っているのだろうかと、気になってそちらの方を見てみると、彼女もどこか困惑の表情を浮かべていて……。ならば、自分もエミリアも知らぬ人間かと、そんな人間が一体何の用なのかと、レヴィンは、
「ありがたく言葉は受け取っておくけど、何の用なのかな、単なる冷やかしなら……」
「いえ、とんでもございません。私は……ほんの断片だけですが、失われた彼女の過去というものを知っている者であって……」
ピンと、レヴィンは得体の知れない危険を察知する。確かに、彼女に記憶がないこと、そしてその経緯などはヴェルノ達から何らかの手段で聞いた可能性もあるだろう。だが彼は、それ以外の彼女、皆の知らない彼女、それを知っているとでもいいたげな雰囲気をどこか不気味に醸し出しているのであって……。何を知っているかは分からないが、もしそうだとしたら、これはまずいことであった。なので、慌ててレヴィンはその男の腕を取り、エミリアから背を向けると、
「一体何を知っているっていうの。彼女は過去のショックで記憶を無くしてるんだ。あまり刺激するようなことを彼女の前で言うことは避けてくれよ」
すると、それにその男性、キース中将はニヤリと笑うと、
「では、殿下に」
そう言って声を潜め、
「エミリア嬢はあの、迎賓館でのルシェフ皇太子襲撃事件に加担しています」
その言葉にレヴィンは目を丸くした。そう、迎賓館でのルシェフ襲撃事件。これは、身内では有名な事件。ノーランドの面子にかかわる、重大事件で……。そう、その名の通り、ノーランドの迎賓館で、ルシェフの国賓が襲撃されたという。だが、意外にもルシェフの方からこれ以上追求しなくていい申し入れがあったこと、更に、皆無事だったこともあり、内々に片付けられた事件で……。まぁ勿論、ノーランドの王子であるレヴィンの耳には入っていたが……。だが、その襲撃事件にエミリアがかかわっていた、と? 初めて聞くそれに、レヴィンは驚きで言葉を無くす。するとそれにキース中将は続けて、
「その時、私はルシェフ皇太子殿下に謁見する為、迎賓館に来ていました。そして自分の順番が来るまで控えの間にて待っていたのです。ですが、不意に外が騒がしくなり、扉の外に出てみると、館内の者たちが謁見の間である翠玉の間へと走ってゆくではないですか。私も急いで駆けつけると、部屋の中からは大きな叫び声が。慌てて扉を開けると、そこには……」
キース中将は、そこで一旦言葉を止め、再びニヤリと笑い、
「後は殿下も聞いておられるでしょう。謎の巨大な食虫植物が皇太子やその側近達を飲み込んでいたのですよ。そう、私はその場に居合わせていたのです。そしてそこには一人の少女と青年が。まぁ、転移魔法ですぐに彼らは姿を消してしまいましたがね。そう、気になりつつも、すでに消えてしまった彼ら、私はもうそれを追うことは出来ず……。また、そんな暇もなく……。何せ、ルシェフの方達をその食虫植物から引きずり出さねばならなかったのですから。全く、大変でした。ですが、その時私はずっと思っていたのです、あの少女はどこかで見たことがある、と。そして、今日ここで、その正体がはっきりいたしました」
スッキリしたとでもいうような晴れやかな顔でキース中将はそう言う。するとそれにレヴィンは、
「少女が、エミリアという証拠はあるのかい?」
「正直申し上げて、ない、ですね。証拠は私の記憶だけ。ですが、調べれば面白いことがでてくるかもしれませんよ」
嫌な予感がした。そう、とんでもなく嫌な予感が……。そしてレヴィンは恐る恐る、
「面白いことって……一体?」
「それをその少女、エミリア嬢がやったということですよ」
「エミリアが!」
思わず飛び上がるような気持ちになるレヴィン。だが、そんな彼に構わぬようキース中将は落ち着いた様子で、コクリ頷くと、
「はい」
慌てていた。相変わらずレヴィンは慌てていた。ついでに気も動転していた。そして、その気持ちをありありと表しながら、
「ありえない、絶対ありえない! 大体、彼らがそれをやったという確証はあるのかい? いや、もし彼らの仕業だとしても、その魔法使いの青年がやったのかもしれない。そうだろ」
すると、それにキース中将は少し不本意とでもいうような顔で眉をひそめ、
「ですが、彼らを助ける時、口々に皆言っていたのです。あの小娘が、あの小娘が、と。ですが、彼女が魔法を習っていたという話は聞いていない。たとえその行方不明の間、魔法使いの青年から魔法を習っていたとしても、あの短い期間ではたかが知れている。なのに……」
「何がいいたいの」
「あれが彼女の仕業だとしたら、とんでもないことです。絶対ありえないこと。となると、もしかすると彼女は……」
そこで、キース中将はもったいぶったよう言葉を止める。そしてゆっくり、
「古代魔法使いかと……」
レヴィンの背筋に戦慄が走っていった。そう、全てを見通している者がここにいる、と。そう、とんでもない危険人物がここに……と。そして同時に思う。恐らくアシュリーもこの件から彼女の力を察していったのだろう、と。中将と同じルートをたどって、このとてつもない力を察していったのだろう、と。そう、悲しくも、その話を聞いてレヴィンは否が応でもそれを悟ってゆき……。
そして更にレヴィンは……。
いけない、これはいけない。何とかして彼の確信を崩さねば。
そして、
尚いけないことに、彼は魔法軍将校だ。古代魔法の研究所は軍所属でもあるのだ。この興味を他へそらさねば大変なことに……。
「ばかばかしい。古代魔法使いは何十万人に一人とも何百万人に一人とも言われてるんだよ。そんな都合よく目の前に古代魔法使いがいるとは思えないけどね。僕なら、その魔法使いの青年がやったんじゃないかと思うよ。ルシェフの人達の言葉は、何か違ったものをさしていたのか……気が動転してそんなことを言っていたのか。それに、その少女がエミリアっていう確証もないしね。もし別人だったら、その少女も魔法使いだったってことも考えられる。大体、古代魔法の力ってのはもっと巨大なものなんじゃないかな」
なるべく平静を装って、レヴィンはキース中将にそう言う。するとそれにキース中将は考え込むよう腕組みをし、そのまま黙り込んでいってしまって……。そして、
「力の弱さ……。確かにそれは……私も気になってはいたのですが……」
どうやら、古代魔法の力についての言葉は、キース中将の心を突いたようだった。それにレヴィンは、よし! と思うと、そらせた気持ちに勝ちを感じながら、今が好機と、
「僕の考えはこんな感じだよ。君もあんまり考え込まない方がいいと思うよ。どう考えても、ありえない話だ。だが……ああ、いけない。これで僕は行くけど……もっと柔軟に考えなね。じゃあ」
そう言って、まだ難しい顔をして考え込んでいるキース中将を残し、レヴィンはそこから立ち去っていった。そう、早く、早くこの場から消えてゆかねば、と。エミリアを連れて、すぐここから逃げ出さねば、と。そうしてレヴィンは再びエミリアの元へと戻ると、その背に手をあて、前へ進むよう彼女を促し……。勿論、早足で。するとそれに、不思議そうな表情をしてレヴィンを見上げるエミリア。そして共に歩みながら、
「何のお話だったんですか? 随分真剣な表情でしたが……」
「いや、なんでもないよ。エミリアは何も気にする必要はないんだ」
そう、何も……。
そして、それからレヴィンはその不愉快な出来事に心囚われてしまったのか、ずっとエミリアにつきっきりでいた。そう、こうなったら意地でも彼女を守ってみせる、と。そんなレヴィンの心の中は、また何か起こる可能性もあるし、油断もまだ出来ないし……で。なので、ひたすらエミリアの為にと動いてゆくレヴィン。それは、本当に甲斐甲斐しいといえるもので、否が応でもその姿は目立ちまくってしまっていて……。勿論、皆の注目を集めていた、何故と皆の口にものぼっていた。だが、愚かにも当の本人はそれに気づいていなくって……。そして、
「あの女、むかつく……」
厄介なことに、レヴィンの取り巻き達の嫉妬を更に買ってしまっていたのであった。