第十一話 心の旅路 その十
そして、一方エミリアの部屋では……、
「なんだか凄く久しぶりな気がするわ」
自分の部屋に入り、感慨深げに辺りを見回すエミリア。それをティアは微笑ましげにみつめながら、
「そうですね、約七ヶ月ぶりになりますから」
すると、その言葉に思わずといったようエミリアは目を丸くし、
「七ヶ月! そんなに長い間、私は別の場所にいたの?」
「はい」
重い一言だった。そう、シェリルの言ったことが本当なら、過去の記憶を取り戻させてはいけないのだから、きっとその間にあったことも触れてはいけないのだろうと思って。なので、会話にも気を使わねばいけなく、流石のティアもこれには重圧を感じずにはいられないというものであって……。それは、本当に重大任務を任されたティア、どんな言葉が飛び出すかとひたすらドキドキしながらエミリアと対峙する。だが……。
それに当のエミリア、ティアの緊張にも構わず、小首を傾げながら、
「一体その期間、私はどうしていたのかしら……」
気になって仕方がないといった表情でそう言ってため息をつく。確かに、エミリアにとってそれは知りたくて知りたくて仕方がないことであろう。だが、ティアにとってはなんとも返事に困る内容で……。
陛下の求婚を振り切って、魔法使いの男性と駆け落ち。簡単に言えば、そういうことなのであった。そう、ティアの知る限りでは。だが、記憶がないというには何か事情があるのだろう。そして、その記憶を取り戻させるな、ということにも。だが、これは明らかに記憶取り戻させる返事。なので、口をつぐんでいた方がいいことははっきりわかったが、余りに熱心なエミリアに、思わず悩んでしまうティアで……。そして、判断に困ったような表情をすると、
「えーと……実は、私もよく分からないのですよ……」
なんていったらいいのか、何が妥当な答えになるのかが分からないので、とりあえずそんなことをいって誤魔化す。すると、
「ティアも知らない、ってことは……私はこの家にはいなかったって、ことなのね……」
見つけた一つの真実に、気がついてエミリアは困惑も露にそう言う。
そうそれは、思わずティアも困惑してしまう言葉。なので、背中に冷や汗を流しながら、ひたすら愛想笑いでその場を誤魔化してゆくティアで……。そう、恐らく、きっと、シェリルはこの件について今対策を練っているのだろうことを思って。それ故この部屋にエミリアを引き止めておくようティアに言ったのであり、ティアに任されたこのいたたまれない時間なのであろう、と。だが、シェリルがどういう方向で話を進めていこうとしているのかさっぱり見当がつかないティア、自分の言動からエミリアが少しずつ状況を把握していってしまうのではないかと、ひたすらそれに不安が募っていって……。そう、果たしてこの方向で話を進めていっていいのかと。だがまさか、いましたよ、家に、とも言えず、
「まあ、そんな感じですね……」
ああ、曖昧な言葉しかだせない自分が辛い。
そう思ってゆくティアで……。
そして、早くシェリル達が片付かないかと、早く誰かやってきて助け舟を出してくれないかと、切に切に願いながら、困惑のままエミリアとの話を進めてゆくティア。そう、
「ほんとに、何も知らないの?」
とか、
「誰も知っている人はいないの?」
とか、何とか自分の過去を知ろうと、色々尋ねてくるエミリアに焦り、誤魔化し、困り果てながら。そうして、せめて違う方向に話を持っていってくれないかなと、流石に追い詰められてそう思っていると、ようやく、
トントントン、
そう扉をノックする音が聞こえてくる。そして、
「お嬢様、アナベルです。入ってよろしいでしょうか?」
他の侍女仲間の声が部屋に響く。それに神の助けを感じたような思いになるティア。
勿論、エミリアもその声に気づいて、
「ええ、どうぞ。入って」
すると扉は開かれ、ティアと同じくらいの年齢の若い女性が部屋に入ってきた。そう、実に静々とした足取りで。そしてその女性は膝を少し曲げてエミリアに礼を示すと、
「奥様にティアを呼んでくるよう言われました。申し訳ありませんが、彼女を連れていってよろしいでしょうか?」
それに、まだ話をしていたそうな表情をするエミリア。だが、母親の指示なら仕方がないとでも思ったのだろうか、それに頷き。
「ええ、分かったわ。ティア、いってくるといいわ」
すると、その言葉ににっこり、そう、心からにっこり微笑んで少し膝を曲げるティア。そして、
「では、失礼いたします」
といい、アナベルの方へと向かってゆく。そう、ひたすら平静を装って。そして、やがて彼女の側に寄ってゆくと、
「ああ、よかった。寿命が縮まるような思いをしたわ。色々問題は解決したのかしら?」
今にも泣きそうな表情で、声を潜め、足がガクガクしそうになるのを堪えながら、ティアはそう言う。するとそれにアナベルは、
「とりあえずはね。これからそれについて奥様からお話があると思うわ。大広間にいらっしゃるから、早くいってきなさいな」
これも声を潜めてそう言うと、それに何度もティアは頷き、扉の前で一礼してそこから恭しく退出する。そして扉を閉めると、それ急げとばかりに、その話とやらを聞くべく、猛ダッシュで大広間へと駆けてゆくティアなのであった。
※ ※ ※
そうしてやがてティアは大広間へ着くと、早速そこで待っていたシェリルから話を聞いていった。するとその内容は……非常に、非常に驚くべきこと。そして、そこからこれからの方針を知ると、エミリアを部屋に引き留めていた時、彼女が言った、自分はこの家にはいなかったのね、という言葉が取り敢えず正解だったことにホッと安堵する。それは、この屋敷で最後から二番目に知った深い深い事情。そしてそれにより、このことを知らない者はとうとうエミリアばかりとなった。そう、最も懸念される……。なので、シェリルはキッと眦に力を込めると、
「今からこれをエミリアに話しにいくから、ティアもついてきて」
それにコクリと頷くティア。そして緊張を胸に二人はエミリアの部屋へと体を向けると、その決意も露わにズンズンと力強く歩いていって……。次第に見えてくるエミリアの部屋の扉。それに胸が高鳴っていくのを感じながら、その扉を二人は前にすると、
トントントン、
「私よ。お母さんよ、入るけどいいかしら?」
そう言ってエミリアの反応を待つ。
すると、それに扉の向こうから、
「どうぞ」
というエミリアのくぐもった声が聞こえてきて……。その声に心を決めて中に入ってゆくシェリルとティア。それは、少しいつもと違った気を発していて、それを感じたエミリア、不思議そうな顔で、
「何の用事でしょう?」
そう尋ねてくる。それにシェリルはにっこり、なるべく引きつらないようにっこり笑い、
「記憶がなかった間のあなたについて、お話しておこうと思って。あなたも知りたいでしょ?」
途端に表情が明るくなるエミリア。そしてその表情のまま、
「はい!」
無邪気な笑顔だった。
だが……これから話すことは、きっとエミリアにとって衝撃なものになるに違いないだろう。それを察していたシェリルだったから、この笑顔が消えてしまうだろうことを思うと心痛くなり、躊躇いがちに「実はね……」と、口ごもりながら、皆と示し合わせたあの話をしていって……。そして……。
「……」
全ての話を聞き終わった後、シェリルの予想通り、エミリアは衝撃の表情をしていた。その衝撃の表情のまま、
「私に……夫がいたんですか……」
エミリアはそうポツリと呟く。すると、それにシェリルは、
「そう、魔法使いだったそうよ」
「でも、私の記憶では……ランバート様の屋敷から逃げ出そうとした時点では、そんな人はいませんでした。私の婚約者はランバート様だと……」
記憶のある範囲ではそんな人知らないエミリアであった。そう、あくまで記憶のある範囲では。なので思いっ切り困惑していると、シェリルも何故だか一緒に困惑していて……。そう、これは思ってもいなかった質問だと。そしてまた、口裏を合わせていなかった質問だと……。なので、思わずといったようシェリルは言葉を詰まらせると、すぐに気を取り直して口を開き、
「どうやら、その後に知り合ったみたいね。その逃走中に。私達も詳しいことはわからないのだけど」
「そう、なんですか……」
信じられないことであった。あの後、何もかも捨てて、駆け落ちのようなことをしてまで一緒になった人がいるとは。そう、国王もランバートも振り切って、そんなことをした自分が……。それもお腹に赤ちゃんまでいたという。それは、どこか知らない人の話を聞いているような気持ちのエミリアで……。だが、他の人が言うには、それはまさしく自分の身の上にあった出来事、現実なのだという。正直受け入れがたかったが、母が言うならそうなのだろうと、どこか遠い世界のことのように感じながら、エミリアは思わずポツリ涙を零し、
「私、全く覚えてないんです。そんなに好きな人がいたというのに、顔も、名前も……」
「それはきっと仕方のないことなのよ。その悲しみから逃れる為に、きっと神様はあなたから記憶を取り上げたのだと思うわ。だから……無理して思い出そうとしないで。ゆっくり心を落ち着けてこの屋敷で休んで」
慰めようとするシェリルの心を感じ、それにコクリと頷くエミリア。それを見てシェリルはホッとすると、取り敢えず全ては喋り終わったと、大きな山は何とか無事越えたようだと、今この時をつくづく噛み締める。そして、シェリルは再びにっこり笑い、
「じゃあ、もうすぐ昼食もできると思うから、それまでゆっくりしてらっしゃい。後は……ティア、アナベル、よろしくね」
そう言って後は侍女に任せこの場を去っていった。
残されたのはティアとアナベル。そんな部屋に置かれている長椅子の上では、エミリアがまだ気持ちがおさまらないよう、暗い表情をして顔をうつむけている。それに思わず気の毒になってティアは、
「お嬢様、元気を出してください。せっかく家に戻ってきたのですから。皆お嬢様を待っていたんですよ」
再び慰めるようそう言う。するとその言葉にエミリアは、
「でも私……色々あったみたいで……」
「何があってもお嬢様はお嬢様ですよ。変わりありません。いつも通りお嬢様らしくしていればいいんです」
ティアの励ましに、少し元気付けられたようにっこりと微笑むエミリア。それは思わずホッとさせるもので、もっとエミリアに元気になって貰おうと、もっと笑って貰おうと、更ににっこりとした微笑みをティアは彼女に向かって放ってゆく。そうそれは、本当に屈託のない笑顔で、しばしその笑顔のままでいると……不意に、何故か不意に、エミリアはどこか居心地が悪いよう下を向き、もじもじとした様子を見せ始めて……。そして、やがて思い切ったように、
「あの……えーと……。そう、言おう、言おう思って、忘れてしまっていたのだけど、私、家から逃げ出すため、ティアを利用して、ウィートパークに置いてきてしまったのよね……。ごめんなさい! そう、ずっと……ずっと謝りたかったの。本当に、ごめんなさい。あれからお母様達から怒られなかった?」
それは、はっきりとした反省の気持ち。
だが、ティアにとって、その言葉は二度目ともなる謝りの言葉なのであった。そう、きっとエミリアの記憶には残っていないが故の。だが、ティアにはしっかりその時の記憶が残っており……。なので、それに胸が痛いような気持ちになると、
「大丈夫ですよ。気にしないでください」
そう言って、微笑みのままティアは、許しを示すようエミリアの手を握っていった。