第十一話 心の旅路 その七
そうしてやってきた翌日。どうやら今日も天気は晴れらしく、朝の明るい日差しがエミリアの部屋に降り注いでいた。そう、カーテンを閉め忘れてしまっていたせいもあって、それはもうさんさんと。そして、その日差しに揺り起こされるよう、エミリアは一つ寝返りを打って、
「ん……」
と声を上げ、ゆっくり目を開けてゆく。すると、まずその眩しさにエミリアは驚いてすぐさま目を細める。そして、徐々に慣らすよう再びその目を開けてゆくと、寝ぼけ眼と共にベッドから起き上がり、周囲を見回す。すると、そこに広がっていたのは……。
「??」
全く見覚えのない風景。それにエミリアは不可解な気持ちになりながら、何故自分はここにいるんだろうと、思わず考えを巡らす。すると思い出すのは、確か昨日、両親から国王との結婚を切り出され、それが嫌だと屋敷から逃げ出し、ランバートの下へ行った筈、ということで……。だが、そこも駄目だと分かると屋敷の馬車に潜り込み、脱出を図ろうとして……、
あれ?
それからどうしたんだっけ?
そこからの記憶が全くなかった。そんな訳ないだろうと、脳みそを振り絞って考えに考えたが……やはりそこから先が思い出せず、何故ここにいるかが分からない。
まぁとにかく、ここは自分の屋敷ではないことは確かだった。この素朴な作りからして、知り合いの貴族の家とかそんな雰囲気もないようで……。
一体誰の家なのだろう、つかめぬ状況に不安になりながら、エミリアはベッドから抜け出し、部屋の中を再び見回した。そして、とりあえず寝間着から着替えようかと、自分の姿を見ると……。身にまとっているのは見覚えのない、中産階級ぐらいのドレス。それに何故、と首を傾げながら歩き出し、疑問と共にまずはと自分のトランクを探す。そう、どこか旅行か何かにきて、その泊まり先かも知れないと、思ったからである。そこに自分の服があるかもと、思ったのである。だけど、それらしきものは見つからず、ならばクローゼットに何か無いだろうかと、エミリアはその扉を開けてみる。すると……。
そこにも、中産階級ぐらいと見られる、見覚えのない服が何着かかかっており、エミリアは更に困惑する。
これは私の服じゃない。
ならば、ここは誰か別の人の部屋なのだろうか? とエミリアは思う。となると、勝手にあちこち漁るのは失礼じゃなかろうかという思いが湧き上がり、どうにも困り果てるエミリアだった。だが、とりあえず着替えはせねばならない。そう、人の服をいつまでも来ている訳にはいけないだろうから。なので、一着一着クローゼットにかかる服をエミリアは見てゆくと、一つだけ見覚えのある服が目に入ってきた。それはいかにも貴族的な豪華なドレスであり、確かに自分の持ち物であったと記憶にはっきりあるものであった。だが、何故ここに一着だけ? それに何か変な気もしながら不可思議な表情でそれを取り出すと、鏡の前に行ってそれを自分の体に当ててみた。すると……、
うーん。
これを着るべきかと悩むエミリア。
なぜなら、これは夜会などに着てゆく、一張羅といってもいい服だったからだ。だが、今の所見覚えのある服はこれ一着。なのでこれを着るしかないのだろうが、朝っぱらから、それも普段に着るにはどうだろうかという服にエミリアは唯戸惑うばかり。
そして、その戸惑いを示すよう、少し眉をひそめ、一つため息を吐いてゆくエミリアであって……。そう、服を当てたまま、鏡に向かって。本当にこれでいいのかと、うだうだ悩みながら。そうして至った結論は、もうこうなったら捜索範囲を広げ、他に自分の服はないか部屋中くまなく探していってやる! であり、実際そうしてゆくのだが……探しても、探しても、服どころか、自分の荷物がほとんどないことがそれで分かり、思わずがっくりとしていってしまうエミリア。そうなると残ったのは、自分のではあるが、このド派手な服を着るか、他人のではあるが、一応この雰囲気にマッチする服を借りるか、であった。だがやはり、他人の服はまずいだろうという思いに至ると、仕方なしにエミリアはそのド派手なドレスに腕を通してゆき……。
これだとちょっと寒いかしら。
着てみて、七分丈の袖だということを思い出し、エミリアはそう心で呟く。
そう、確かエミリアの記憶では今は春の筈だった。ぽかぽかし始めた辺りではあっても、流石に薄い生地の七部丈は寒いだろうと、再びエミリアは困惑する。そして、何か策はと頭を悩ませる。だが……どう考えても、これ以上無いものは無いのだった。なので仕方ないと納得して、エミリアは失礼ながら家捜しさせてもらった時に見つけた、自分のバッグや懐中時計、ハンカチなどを……いや、まるでこの部屋に住んでいたかのようにそれらが棚に収められていたのがまた不思議ではあったのだが……そのバッグの中に納めると、それを手にとりあえず状況を把握しようと、部屋から出て行った。目の前に現れるのは木造のやはり素朴な作りの長い廊下。だが、素朴ではありながらもそれなりに広い屋敷のようで、右を見て、左を見て、何か記憶の手掛かりになるものは無いかとあちらこちらに目をやると、
「うーん……」
そう、どうやらどこをどう見ても全く記憶にない場所のようで……。正直、どうしたものかと不安になるエミリアだった。なので、目に入ってきた階段をとりあえず下りてみようかと、そちらの方へと向かって歩いてゆくエミリア。すると、その途中、廊下の一番突きあたりにあったとある部屋の扉が、
バタン!
不意に開いたのだった。そしてそこから一人の青年が出てきて……。
突然の人の出現に、思わず慌てるエミリア。どうやら向こうもエミリアの存在に気づいたようで、お互い視線と視線を合わせてくる。
それは、どこか近寄り難いような冷たさを持った青年。長身の、見とれてしまいそうなほどに整った顔立ちをした……。
だが、恐らくこれは知らぬ顔。なのに、何となく見覚えがあるような気もして頭を捻らすが、思い出せず、ならばやはり知らない人だろうとエミリアは結論付ける。そして、その容姿に少しぽおっとなってしまいそうになりながら、何故だか複雑な表情を浮かべているその青年に、エミリアはにっこり微笑んで少し膝を曲げ挨拶をする。そして、
「この家の方ですか? すみません、私、ここがどこなのか、どうしてここにいるのかよく覚えていなくって……」
こうなったらたとえ見ず知らずの人でも聞くしかないだろうと、エミリアはそうその青年に尋ねてみる。すると、それにその者は、困惑の色を更に深めたような表情をするが、すぐに邪気のない淡い微笑みを口元に漏らしていって……、
「……お嬢さんは、道に迷われてここにたどり着いた。それで一日の宿を提供した
のですよ。お父上もお母上ももう起きてらっしゃる。これから居間の方へご案内いたしましょう」
この青年とは、勿論魔法使い。魔法使いは丁寧な……いや、記憶を無くす前のエミリアが見たら仰天するだろう、他人行儀ともいえる態度でそう言うと、エミリアを導くべく先に立って歩こうとした。すると、
「ま、待ってください!」
どこか慌てたような様子でそう言ってくるエミリアで……。それに訝しげに魔法使いは振り返ると、
「お父様と、お母様もいるんですか?」
その言葉に、訝しい表情をまたも浮かべて頷く魔法使い。すると、
「私、嫌な結婚から逃げ出してきたんです! お父様とお母様に引き渡されたら、私、その人と結婚させられてしまうんです! お願いです! 見逃してくれませんか! 少しの間でいいです、かくまってください!」
「……」
それは、いつぞやの出来事を思い出させる言葉。何ヶ月も前に聞いた覚えのある。だが……。
「その件はもう心配ないようなことを昨日ご両親は言ってましたよ。とにかく、居間へ行きましょう。話し合って、事はそれからでも遅くはないでしょう」
そう、今回はその言葉に応じてやることは出来ないのだ。なので、未だ「でも……」と言って不安そうな顔をしているエミリアの背を押すと、そのまま階段を降りるよう魔法使いは歩みを促していって……。