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ひとひらの花びらに思いを(未)  作者: 御山野 小判
第一章 ひとひらの花びらに思いを
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第二話 人と人との狭間で その一

 とある扉の前にて、一人の少女が愛らしい顔を悩ましげに歪めながら、溜息をついて立ちずさんでいた。考え込むように俯けていた顔を上げ、上目遣いでその扉を見つめ、自らの姿に目をうつし、そして溜息。扉から去りかけて、だがやはり去り難くもう一度それを振り返り、自らの姿を見てまた溜息。再び扉の前に戻ってもそれ以上の行動には移せず、扉と自分の姿を交互に見つめながら、溜息ばかりつく少女。


 だが、繰り返される不毛とも言えるその行動に終止符を打つよう、少女エミリアは決意を秘めた眼差しでやがて顔を上げると、口をきゅっと引き結び、

 

 やっぱり、もう限界だわ!

 

 心を落ち着けるべく一呼吸置いてから、思い切って目の前にある扉を勢いよく開けていった。


「お師匠様!」


 開けたその先に広がっていたのは、彼女の師匠でもある魔法使いの部屋だった。そこで魔法使いはいつもの如く部屋の中央にある机に陣取り、なにやら熱心に書き物をしていた。だが、その突然のお呼びでない訪問者に、仕事を邪魔された腹立たしさがかき立てられたのか、魔法使いは険しい表情で向かう机から顔を上げると、


「何の用だ」


 冷たい眼差しをエミリアに注がせた。


 予想できた展開、予想できた眼差し。


 いつもの如き鋭く突き刺すような魔法使いの迫力に、いつもの如くエミリアはたじろいでしまうが、今日の彼女はちょっと違った。


 たじろいだまま引きもせず、負けるものかと踏みとどまり、キッとまなじりをあげてその視線を受け止めたのである。そして、


「いつまで私はこの家に閉じ込められていなきゃいけないんですか! もう三ヶ月ですよ!」


 そう、エミリアはこの三ヶ月、屋敷と屋敷の周囲の庭ぐらいでしか生活をしていなかったのだった。掃除、洗濯、炊事、前庭の雑草取り。掃除、洗濯、炊事、裏の畑のお手入れ。掃除、洗濯、炊事……毎日、毎日、毎日。閉ざされた空間での限られた行動がこうも長く続くと、いい加減嫌気が差してくるというものだ。そして到頭もう我慢が出来ないと、エミリアは勇気を振り絞って魔法使いにそう詰め寄ったのだが、返ってきたのは……。


「別に閉じ込めている訳じゃない、外に出るとまずいから留まざるをえない状態になっているんじゃないか」


 彼女の切なる訴えを一蹴する小ばかにした態度で、そんなことも分からないのかとでも言いたげに、魔法使いは呆れたようにエミリアを見遣った。


「うううう……」


 確かに、その辺りの事情はエミリアも十分分かっていた。そう、魔法使いの弁によると、強い探査の魔法が王都からその近郊にかけて張り巡らされているらしいのだ。どうやら行方不明になったエミリアを、王はまだ諦めきれていないらしく、宮廷魔法使いを駆使して彼女の行方を探しているようなのであった。外に出れば、探査の魔法に引っ掛かって見つかる可能性がある、なのでそうされたくなければ結界の外には出るなと、エミリアは魔法使いに何度も言われていた。そうなのだ、分かっているのだ。分かっているのだが……。


「た、確かにそうですけど、もう男物の服なんてうんざりなんです! ぶかぶかで……確かにウエストをぎゅっと絞って、袖と裾はまくって何とか着てますけど、すっごく着心地悪いんですよ。仕事をしててもなんだかずり落ちてきそうで嫌なんです。第一、おしゃれしたい年頃のうら若き乙女が男物の服なんて、絶対変です。いいえ、悲しすぎます!」


 必死のエミリアの訴えであった。だがその気持ち残念ながら伝わらず、魔法使いはそれを蹴散らすようフッと鼻で笑って踏みつけにすると、


「誰が見てる訳でもあるまいし」


「う……」 


 確かに、この屋敷には自分の他に性格の捻じ曲がった魔法使い一人しかいない、他に着飾って見せたい相手がいる訳でもなく、もっともな意見にエミリアは再び言葉を詰まらせる。


「それに、ちゃらちゃらしたドレスよりよっぽど機能的だ。仕事をするにはもってこいだぞ」


「でももう三ヶ月ですよ! これからもここにいることになるのなら、いいかげん自分の身の回りの品というものを揃えたいんです! だからお願いです、買い物に行かせて下さい! お金が問題なら……いつか魔法使いとして独り立ちできたら払います。なので、どうか!」


 買い物に行きたい!


 買い物に行って身の回りの品を揃えたい!


 そう、エミリアが外に出たい理由はひとえにそれ一点なのであった。ささやかでありながら切実である乙女の願いであった。それ故冷たい眼差しを覚悟してまで、この魔法使いに訴えたのであった。さすがに三ヶ月も他人のものを借りっぱなしで、自分のものが殆どないというのは、どうにも居心地が悪くて仕方がなかったのである。だが魔法使いは、


「今じゃなくとも、探査の魔法が消えるのを待てばいいことじゃないか」


 無下に願いを叩き潰す。


「でも! いつ陛下が諦めてくれるか分からないじゃないですか!」


「捕まりたくないが、外へ出たい。待てと言ってるのにそれも出来ない。一体おまえは私にどうしろって言いたいんだ」


「どうしろって……」


 そこでエミリアはもごもごと口ごもらせ、曖昧に言葉を濁らせる。実は、考えていなかった。いや、一つ心当たりはあるのだが、それはとある事情から言い難く、「だから……」「あの……」と、意味も無い言葉をつぶやきながら、考えあぐねるようにその先に進むのを躊躇っていた。


 すると、その様子に魔法使いは何か嫌な予感を感じたのか、忌々しげに顔を歪めると、


「言っておくが、あれはもうごめんだぞ」


 先手を打つようにそう言った。


「でも!」


 あれ、


 あれとはつまり、最も単純に今ある問題を解決できる方法であった。そう、エミリアの代りに魔法使いが買い物に行くという、いとも簡単な方法。だが、それは単純なだけあって、エミリアがこの屋敷に住むと決めた時、既に試された事であった。


 そう、弟子入りしてから三日目、渋る魔法使いをなだめてエミリアは彼を王都へと送ったのだ。だが数時間後、戻ってきた彼の手に、彼女の頼んだ買い物の品はなく、顔を合わるなりまず一番に漏らした言葉とは、


「死ね」


「は?」


 何故死なねばならないのか、言われる筋合いの無い言葉を突然言われ、その時エミリアは訳が分からずきょとんとした。だが、魔法使いはこのまま瞳で射殺すんじゃないかと思われる程の鋭い睨みを、これでもかという程エミリアに送ってきており……その意味が理解できぬまま、エミリアはとりあえず買い物の品を試着してみようと魔法使いの両の手を見てみれば、身軽も身軽、品物の影も形もないことに漸く気づく。


「品物はどうしたんですか? 何も持ってないじゃないですか」


 すると、それに魔法使いは触れて欲しくない所にでも触れられたかのように、額に青筋を立て睨みの中に更なる怒りを込め、我慢の限界とエミリアに向かってこうまくし立てた。


「ああ、行ったさ! あのフリルとレースの世界へ! 確かにドレスまではいい、私も我慢しよう。だがな、どこの妙齢のそれも良家の子女が、同じく妙齢の、それも赤の他人の男性に、自分の下着を買いに行かせるってんだ! それも恥ずかしげもなく! ああ、今でも思い出す、店員の疑惑に満ちた視線を。絶対変態だと思っていたぞ、あれは!」


 そう、女性の未知なる世界に踏み込んで、そこで彼を待っていたのはフリルとレースの世界だった。場違いな雰囲気にたじろぐ魔法使いだったが、それでもドレスを選ぶ段階まではまだ耐えられた。だが、


「ほかにご入用は?」


 店員にそう聞かれて魔法使いは固まった。そう、まだまだ買わなければならないものはあったのである。そしてチラリ視線をとある方に走らせると、その先には……。


 フリルフリルフリル、レースレースレース、の下着。


 無理だ、絶対無理だ。


 今更ながら無理難題を吹っかけてきたエミリアを恨みつつ、魔法使いはどうするべきかと逡巡し、現実から暫し離れて考え込んだ。だがしかし、未婚の若い男性に自分の下着を恥ずかしげもなく買い物に行かせるエミリアもエミリアであり、魔法使いはあらん限りの文句をぶちぶち頭の中にめぐらせながら、羞恥心と開き直りの間で葛藤した。そしてそうする間、自然と視線はじっと下着に。


 いけない!


 はっと気がついて視線を戻すと、そこにはどこか凍りついたようにも見える店員の笑顔があった。


 違うぞ、違う、私は下心があってあれを見つめていた訳ではないんだ。


 心の中で弁解するも、それが店員に届く訳も無い。疑惑の目を更に深めながら、店員は「他にご入用は……」と再び魔法使いに尋ねてくる。


 その言葉に、思わずまたあれに向きそうになってしまう視線を堪え、魔法使いは、


「し……」


「し?」


「した……」


「した?」


 店員の眼差しが更に険しくなった、ような気がした。いやもしかしたら、自分は変質者と思われているのではという被害妄想が、この視線の意味をマイナスの方向へ解釈してしまう素地を作ってしまっているのかもしれない。つまり、思い込みと。だが、だがしかし、残りあと一つのあの言葉を言えば、確実に店員の眼差しは思い込みでないものに変わってゆくだろう。確かにこれは一時の恥。だがきっとこれは心の傷となり、この先この店の前を通るたび、あの視線を思い出していたたまれない気持ちになるに違いないのだ。それはあまりにも耐え難い屈辱。あまりにも……。そして、


「した……の棚にある、あの箱を見せてもらえるかな」


 くそっ、言える訳ないだろうが!


 それに店員は営業用の笑みを更に輝かせてにっこり微笑むと、魔法使いの指差す場所にあった一つの箱を取り出し、恭しい手つきで箱の蓋を開けてそれを彼に見せていった。中から出てきたのは細かい花の刺繍の施されたリネンの白いハンカチ。買うつもりもないそのハンカチを見つめながら、魔法使いは心の中で呟いた。


 断念……。


 そして魔法使いは、店員の探るような視線に到頭いたたまれなくなると、注文したドレスも受け取らずそのまま帰ってきてしまったという訳だったのだ。


 そういったそこら辺の事情というものを、エミリアは魔法使いの言葉や態度から察すると、今更ながら頼んだ品物の内容のまずさに気づき、頭を抱えたい気持ちになった。そう、買い物はドレスだけではない、シュミーズ、ドロワーズ、ペチコートなど、いわゆる下着類も確かに頼んだ。必要不可欠なものだったから、それも仕方がないと思っていたのだ。だが、服飾店でレースに縁取られた下着類を選ぶ師匠の姿を想像してみると、やはり変態以外の何物でもない。湧き上がる恥ずかしさに思わずこっちまで顔が赤くなってしまうが、エミリアより誰より一番恥ずかしい思いをしたのは、それを買いに言った魔法使いだったのであろう。そう、若い男性一人でそんな買い物をすれば、やはり奇異な目で見られることは避けられない。


 怒りに「死ね」と魔法使いが言いたくなる気持ちも分からないではなく、エミリアはこれ以上何も言葉を返すことができなくなると、こうしてこの一件は触れてはいけないこととして処理され、何事もなかったよう時が流れてゆくことになるのであった。だが、我慢に我慢を重ねて三ヶ月、とうとうエミリアに限界がきたのである。


「お師匠様が嫌だというのなら仕方がありません。でも、何か他に方法はないんですか? 例えば、探査の魔法を弾くようなシールドを張って買い物に出かけるとか」


「シールドは外からの攻撃から身を守る為にあるものだ。確かに探査の魔法を弾くが、それ以外のものも弾くぞ。つまり、試着もできなければ、品物を受け取ることも、金のやり取りもできなくなるってことだ」


 閉ざされた一つの希望。断ち切るような魔法使いの言葉に、自分の無知に、エミリアはがっくりと頭をたれた。


「じゃあ! ……じゃあ……」


 他にいい案はないかと、エミリアはじゃあを繰り返しながら考えをめぐらすが、結局何もでてこず、じゃあといいながらその語尾は段々と小さくなっていった。そして、到頭望みが消え果てたような気持ちになると、エミリアは無念に肩を落として目を伏せる。


 それに魔法使いは付き合っていられないというような表情をして彼女を見ていたが、少しでも哀れを感じたのか一つため息をつくと、


「取りあえず、まだ探査の魔法が張り巡らされているか確かめるだけ確かめてみよう。それで魔法が消えていたらおまえの買い物に付き合ってやる。魔法がかかっていたら諦めるんだな。だが、昨日までは探査の魔法はかかっていた、あまり期待するな」


 魔法使いのその言葉に、エミリアは再び希望の光を見出したかのよう目を輝かせると、何度も頷きながら、師匠の魔法に望みを託した。


 わくわくしながら魔法使いが魔法をかけるのを待ちわびるエミリア。そんな視線を前に魔法使いは手を正面に出し印を結ぶと、ぶつぶつ呪文を唱え始めた。そして目を閉じ、何かを感じ取るかのよう神経を鋭敏にさせ、この家の結界上を通り抜ける魔法の気配を探ってゆく。結界上には多種多様な魔法の気配が飛び交っていた。その中から王都より放たれているもの、更には探査の魔法をとらえ、方々に念を散らせながら道をたどってゆく。気を拾い集めて漸く王都に辿り着いた時にはその数莫大なものになっており、それらの中に目的のものがあるのかと、更に王宮へと向かって念を走らせてゆくと……。


「ふ……ん、成程」


 そう言って魔法使いはゆっくり目を開けた。


 出される結果をドキドキして待ちながら、エミリアは魔法使いの顔を覗き込み、


「どうです?」


「着替えて出かける準備をしてくるといい」


 その言葉に、エミリアはもしかしての期待感を湧き上がらせ、だがまだ早いとそれを押しとどめ、緩みそうになる顔を必死で堪えながら、魔法使いの言葉の先を待った。すると、


「諦めたのかは分からないが、取りあえず王宮から探査の魔法の気配は消えている。行くなら今だろう」


 買い物への道を示す、明らかな言葉であった。それを聞いて漸くエミリアは嬉しさに顔をほころばせると、


「はい!」


 勿論断る理由などどこにもない、魔法使いの言葉に二つ返事で頷いた。

第二話、新しい話の始まりです! どうぞよろしくお願いします。

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