第十一話 心の旅路 その四
そうしてやがて、居間の席に落ち着いた四人。そんなエミリアと魔法使いの前には温かい湯気の立った紅茶が、ヴェルノとシェリルの前にはその紅茶プラス先程エミリア達が食べていたブリュレが置かれていた。勿論、エミリアが用意したのである。そしてそんな中、どこか緊張を孕んだその微妙な空気の中で、四人は無言で顔を突き合わせており……。そう、さてどう話を切り出そうか、とでもいうように。すると、その緊張を振り払うかのよう、シェリルがそのブリュレを口にしてゆき、
「あら、おいしいわ。これ、エミリアが作ったのかしら?」
にっこり微笑んでそう言う。その言葉に釣られるようヴェルノもそれを口にし、
「うんうん、中々なものだな。すっかり奥さん役が板についたようだな」
そう言って笑いをもらしてゆく。
どうやら、あの駆け落ちが偽装ということまでは二人は知らないらしい。それにエミリアは少しホッとするが、また一方で、これは余りに白々しい言葉だなとも、彼女は思った。そう、エミリアのご機嫌をうかがう為、何とか話題を繋ぐ為の……。なので、本当に心からそう思っているの? とエミリアはつくづく思ってゆくと……。
嗚呼、伯爵家の跡取りとして育てた我が娘。その娘がこんな辺鄙なところで、まるで下層階級の妻のように、否、どこぞかの女中のように……ぞんざいともとれる扱いを受けているとは……。
そう全く、エミリアが思った通り、あんまりとも感じる扱いに、複雑な気持ちになっていた二人なのであった。
まぁ確かに、はた目から見れば無残と、そうも取れてしまうだろう。元は、伯爵令嬢のエミリアなのであったから。
だが、エミリアとしてはもう慣れっこになってしまったそれであった。特にどうと思うこともなかった。そう、たとえ両親には無残と映ってしまっても。だから、憐れまれるいわれは全くないのであったが……。
だが、それでも、妙に板についてしまったその姿に、何とも言えず、微笑みながらも困惑してゆく両親であって……。
そう、かける言葉も見つからないとでもいうよう、無言で。正直、それは気詰り、そう言ってもいいような時であった。だが、それなのに……それなのにエミリアといったら、そんな両親の気持ちも知らず、せっかくのブリュレがこの葉っぱ臭さに味が半減してしまうんじゃないかと、そっちの方ばかりが気になって気になって仕方がなくって……。取り敢えず美味しいといってくれているので、一応ホッとはするが、そうは言われてもやっぱり気になってしまうエミリアで……。
そうそれは、変わらぬ警戒心もはらんだ少々微妙な雰囲気。なので、思わず引きつったような笑顔を浮かべると、両親は身を乗り出し、
「で、子供はどうしたんだい? もう産まれたんだろう」
「そうそう、今が一番大変な時なんじゃないかしら?」
出来ちゃったんです発言をしてから既に数ヶ月。それでもお腹がぺったんこなのを見て、もう産まれたと思ったのだろう、問うていいのかどうなのか、戸惑う様子を見せながら、恐る恐る二人はそう質問してくる。だが、それはエミリアにとって非常に非常に困る問いかけなのであった。そう、あの件自体が全くの嘘なのであったから、当然、彼らを納得させるような言葉も思いつかず、突然のことに上手い言い訳も用意しておらず。なので、
「えー……」
と言って、なんて言葉を返していいのかと戸惑うエミリア。
すると、それに何か不安でも過ったのだろうか、
「この際、みんな伯爵家に迎え入れる事だって考えているんだぞ」
「そう、あなたは唯一の跡取りですもの。勿論身分差なんて気にしないで」
「いやいや、赤ちゃんが産まれたんだから、唯一じゃないよ」
「あらそうねぇ。でも、みんなで楽しく過ごせたら、いいわよねぇ」
早口で、そんな夢物語りのようなことを話してゆく両親で……。だが勿論、
「あの……」
相変わらず困惑顔のエミリアだった。そう、どこか歯切れの悪い……。なので、それにとうとう不安は頂点に達したかのよう、
「勿論、無事に産まれたわよね」
「まさか、おまえ……」
煮え切らない態度にもしやと表情を暗くしてゆく両親。正直、困った。困って、これをどうすべきかと思わず言葉に詰まってゆくエミリアで……。そして、狼狽え、悩み、うんうん唸ってゆくと、それを横目に、不意に魔法使いが、
「あれは嘘です」
そんな仰天の事実をあっさり口にしていってしまって……。勿論焦ったのはエミリア。それを言ったら今まで積み上げてきたことが全ておじゃんじゃないかと、思いっきり頭を抱えながら。そして当然、その告白には目の前の両親もあっけに取られていて……。
「嘘って……」
「子供はいません。駆け落ちも偽装。ただの師匠と弟子の関係です」
「お師匠様!」
お師匠様、思わずそれを言ってしまって、あわわと口を押さえるエミリア。すると、
「師匠と弟子……って」
「その名の通り師匠と弟子の関係です。私は彼女の隠れ蓑になったに過ぎません」
「と、いうことは……」
少々言い出しづらい言葉なのだろう、ヴェルノはその先に進むのに戸惑って口ごもる。だが、それを察したよう魔法使いは、
「彼女には指一本触れていませんので、ご安心を」
その言葉に、力が抜けたようガックリと肩を落としてゆくヴェルノとシェリル。確かに、ここはホッと安堵すべきなのだろうが、身分違いの結婚と出来た子供を受け入れようと決意してきた二人、なので、これはその二人にとって余りに脱力といってもいい展開で……そう、本当に、ガックリと……。そして、
「嘘……」
もう一度噛み締めるようにそう言ってエミリアの方を見遣る。そう、またなんでそんなことを……とでもいうように。すると、
「それっ位、陛下との結婚が嫌だったんです」
その心を察して、ちょっとむくれたようにそう言うエミリア。そう、無理やりあんなことをされたんだから、これは当然、と。
すると、その怒涛の展開に、更に呆然とするヴェルノとシェリル。だが、いつまでもぼけっとしていてはと思ったのだろう、切り替えるようヴェルノは表情を厳しくしてゆくと、
「大事な話とは、そのことだったのかね? あれは全部嘘だった、と。ならば……」
何故そんな話を今になってしてきたのかと、問いたかったのだろう。だが、それを魔法使いは遮って、
「お話はこれだけではありません。後は……」
そこで言葉を止めて魔法使いは傍らのエミリアを見る。それに「何?」と小首をかしげて魔法使いを見返すエミリア。すると、
「おまえは下がっていろ。これからはおまえのご両親に話がある」
それに、「えー!」とエミリアは大きな声を上げ、思いっきり反発する。そう、さっきから、全く訳の分からないこと続きだったのだから、それもそうなるだろう。勿論、両親を呼んだこともそうだったし、嘘をばらしたことも。そして、更には自分に内緒の話をしようとまでしてきて……。納得いく筈がなかった。何か計り知れぬ事情というものがあるとしか考えられなかった。なので、
「何で!」
とせめて説明だけでも求めようとするが、
「下がれ」
魔法使いは冷たくそう言い放つのみで……。否応ない命令であった。エミリアにとってそれは本当に悔しいばかりの……。なので、唇を噛み締め、仕方がないようその場から立ち上がると、思いっきり渋々この居間から退出してゆき……。
部屋に残されたのは三人。再びなんとも気まずい緊張が辺りに走る。するとそんな中、魔法使いは一人構わぬよう紅茶に、勿論お砂糖たっぷり入った紅茶にゆっくり口を付けていって……。そしてカップをソーサーの上に置くと、小さく息をつき、
「率直に言いましょう。お嬢さんは、実は……どうやら古代魔法使いのようです」
それに、一気に空気が固まったような雰囲気になる。そう、古代魔法使い、その者の行く先は……誰もが知っていることだったから。なので、それにヴェルノとシェリルは途端に顔を引きつらせると、
「まさか……エミリアが……」
「はい。魔法を習得してゆくうちに分かっていったことです。いうなれば、私が魔法を教えていなければ防げていたかもしれない事態、この点に関しては非常に申し訳なく思っています」
魔法使いが謝る、それは実に珍しいことなのであった。だが、そんなこと全く知らない二人、とにかく目の前に突きつけられた現実の方が先で、更にその現実に打ちのめされていて、どうやらそれどころではないようだった。そう、魔法使いの言葉も右から左といった感じになっていて……。だが、どうにかこうにか気を持ち直して、ヴェルノは言う、
「一体、どうすれば……」と。
そう、これからどうすればいいのか、第一に思うのはこの点だろう。だが、特に魔法というものには縁が無かったから、全く何の知識も無かったから、取り敢えず魔法使いに聞いていってしまうヴェルノで……。致し方ないことではあるが、魔法ということでついつい彼を頼っていってしまう……。すると、それに魔法使いは、
「勿論、彼女を研究所に引き渡す訳にはいきません。幸いなことに、彼女が古代魔法使いということに気がついているのは恐らく今ここにいる三人だけ。ならば、とにかく隠し通すということが第一だと私は思います」
魔法使いのその言葉に納得するよう頷いてゆくヴェルノとシェリル。そして、
「だが……我々がここに呼ばれたということは、何か意味があるのだろう。これを伝える以外に」
そう、ただ隠すだけなら二人でやればいいこと。なのに今自分はここに呼ばれている。こうして話を聞いている。それは一体何故なのかと、少々疑問に思ってそう問うてゆくヴェルノで……。すると、それに魔法使いはコクリと頷き、
「とにかく古代魔法を発動させるという事態を避けねばなりません。その最悪の事態を避けるためにも、周りだけでなく、彼女にも古代魔法使いである事を隠す必要があります。ですが、ここにいれば、彼女は弟子として魔法を覚えようとしてくるでしょう。魔法を使うこともあるに違いありません。それは、危険とも隣り合わせになるということになります。なので……」
「なので?」
口籠る魔法使いに、一体何が言いたいのだろうかとヴェルノは小首を傾げる。そして、しばし魔法使いの言葉を待っていると、
「彼女を家に帰そうかと思うのです」
重々しい口調で魔法使いはそう言ってくる。
だが、それは彼らにとって願ってもないことだった。そう、ずっとずっとそれを待ち望んでいたのだから。なので、ヴェルノは思わずといったよう表情を明るくすると、
「それは嬉しいことだが……エミリアが納得するか? 前の一件で娘は我々にかなりの不信感を抱いてしまっている。さっきの態度を見ても……」
エミリアがあの調子な限り、無理なんじゃないかと、今度は少し疑問な様子でヴェルノはそう言ってくる。すると、
「勿論ただ返すだけじゃありません。今の状態では素直に聞くとはとても思えませんから」
「では?」
「記憶を消します」
思ってもいない案だった。その、あまりの思いがけなさに、一瞬言葉を失うヴェルノ。その後、思わず、
「記憶を!?」
「はい。魔法に関すること全て。記憶は色々な事物と絡み合って出来上がっていますから、部分部分を消去するのは困難です。なので、魔法に携わっていた、つまりここにいた時の記憶全てを消し去ります」
「では、あなたのことは全て……」
「そういうことになりますね。ですが、魔法に関する知識がある限り、古代魔法に近づく危険性が高くなる訳です。その為にも記憶は消さねばなりません。これは致し方ない処置だと思います」
あまりに大胆ともいえる案だった。本当にそんなこと出来るのかとも思える。なので、それに唖然とする二人であったが、エミリアを守る為ならばそうすることも必要不可欠ではないかとも思われ、二人はコクリ頷くと、
「その点は全てあなたにお任せしよう。で、我々にできることというのは何かあるのかな」
それに魔法使いもコクリと頷き、
「先程も言ったように、記憶とは色々な事柄と関連して形作られているものです。何か思い出させるような事物に出会うとそれに刺激されて忘れていた記憶が蘇る可能性があります。なので、まずは、そういった事柄になるべく触れさせないこと」
「なるほど」
魔法使いの言葉に納得するヴェルノ。するとそれを見て、再び魔法使いは口を開き、
「後は……記憶を取り戻さないよう注意していても、避けられない事物というのがあります。その為に……」
そこで魔法使いは言葉を止めると、「ちょっと待っていてください」そう言って、座っていた席から外れていった。そして部屋を出ると、しばらくして……、
「すみません、お待たせしました」
そう言って、手に……そう、黒い小さな球が一杯詰まっている大瓶を手に居間へと戻ってきた。そして、その瓶をテーブルの上に置き、ヴェルノとシェリルの前に差し出すと、
「これは記憶をリセットする薬です。日が経てば経つ程魔法の力は弱まり、記憶が戻りやすくなります。その戻りそうになった記憶をリセットする薬です。一日一回飲ませてください。あと、何か不意なことがあって記憶が戻りそうになった時にも飲むといいでしょう。ただし、完全に記憶が戻ってしまってから飲んでも効果がないので、その点ご注意を」
その言葉から、どうやら中に詰まっているのは丸薬のようであった。ほのかに臭いも漏れていて、そこから、魔法使いがあの臭いを発しながら作っていたのはこれだったのかということが分かる。それは、中々に不味そうな、得体の知れない不気味なモノ。だが、ヴェルノはそれに希望を見出したかのよう、差し出されたそれを手にまじまじと見つめてゆき……。そして、
「記憶をリセットする薬……」
しみじみとそう言う。すると、それに魔法使いは、
「はい。とりあえず作れるだけ作っておきましたが……なくなりそうになったら郵便ででも知らせてください。送り先はこちらです」
そう言ってメモ用紙を取出し、郵便番号と局留めにしてある郵便局と自分の名前をそこに書いてゆく。そして、そのメモ用紙を二人の前へと差し出すと、
「期日をお知らせする手紙をこちらからも出しますので、その時またきてください。それまでに新しい薬を作っておきますので」
それにヴェルノは頷き、
「分かった。で、エミリアにはこのことをどう説明したら……」
恐らく、ここでの話をエミリアは疑問に思って聞いてくるだろう。両親をここに呼んだ理由も、偽装駆け落ちをばらした理由も。ならば……、
「疑問に思われてしつこく尋ねてくるようだったら、ある程度のことは話してしまってもいいでしょう」
「そうか……反応が恐いが……」
気がかりを全開にして、腕を組み、うつむくヴェルノ。
すると、それを見て、魔法使いはどこか切ないような表情をしながら、こう言う。そう、
「どうせ、次の日には全て忘れているのですから」