第十一話 心の旅路 その三
それから魔法使いはひたすら考えに耽っていった。
そう、暇さえあればボーっとして。
例えば……。
虚ろな眼差しで、窓の外を見つめてボーっと。
食事をしていても不意に考え込み始め、スプーンを手にボーっと。
それに、何かおかしなものを感じていたエミリアであったが、何故か問うのが躊躇われて、思わずその様子を見守っていってしまうばかりの彼女なのであった。
そして、そんな魔法使いの脳裏に過っていったのはあの時思った記憶のこと。そう、思わず考え込んでいってしまった、あの。なので、魔法使いは思わずまた考え込むと、悩みに悩んだ末、とうとうとある決意をし……。
早速書斎へと行って机の椅子に座り、紙とペンを取り出す魔法使い。そして、魔法使いは何やら文章を書きはじめる。しばし続くその時間。そう、真剣な表情で、じっくりとそれをしたためながら。すると……。
どうやら書き終わったらしい、やがて顔を上げると、小さく息をつき、それを何度も折って魔法使いは細い帯状にしてゆく。そして窓辺へとより……。
開けた窓から空へと向かい、魔法使いは指笛を鳴らす。すると、すぐに姿を現してきたのは一匹の小さな鳥。そう、まん丸に肥えた魔法使いの使い魔、あのスズメであった。
くるくると屋敷の前を飛び回るそのスズメ、やがて窓辺へと降り立って「ピーチク」と可愛らしい鳴き声を上げると、何? とでもいいたげに小首をかしげる。
すると、それを見て魔法使いはスズメの頭をチョンチョンと撫でると、その足に先程の文字を書いた紙を結わえつけ、とある場所の名を言っていった。それは……。
「いいか、これをそこに届けるんだ。場所は……分かっているな」
その言葉にスズメは「ピーチクチク、パーチクチク」と言うと、
「じゃあ、行け」
命令に従うよう大空へと飛び立っていった。
段々小さくなってゆくスズメの姿。しばしその姿を魔法使いは見送っていたが、その時、
トントントン、
不意に扉をノックする音がする。
それに魔法使いはなんだと思っていると、
「エミリアです。お掃除に来ました、入りますよ~」
朗らかな、エミリアの声が扉の外から聞こえてくる。その声に魔法使いは「ああ」と言うと、勝手知ったるという感じで扉が開かれ、ほうきとちり取りを手にしたエミリアが中へと入ってくる。それは、いつもの如くのニコニコとした笑顔。そう、なんとも思わないいつもの光景であったが、今の魔法使いにとってそれはどうにもこうにもやるせなく……。
「お仕事中でしたか? お邪魔じゃなければお掃除したいんですけど、いいですか?」
そう問いかけてくるエミリア。それに魔法使いはコクリと頷きエミリアの方へと向かうと、その頭をぽんぽんと撫で、
「ああ、私は席を外していよう」
そう言って、部屋から出て行った。
そう、頭を撫でるなど、珍しい仕草に驚いたような表情をしているエミリアを残し。
※ ※ ※
そうしてそれから魔法使いは書斎にこもり、とあることをし始めた。それは、何かを作るということ。そう、色んな葉っぱをぐつぐつ煮詰めたり、干からびた訳の分からないものをすりつぶしたり……。全く、黒魔法に続き、今度は一体何を始めたんだとおののくエミリアだったが、魔法使いは研究の一言でそれを片付け、理由を口にしないのだった。まあ、この前のようでなければ、黒魔法という訳でなければ、彼の仕事に自分がとやかく口に出すことじゃないと思っていたので、それはそれでエミリアは良かったのだが……だが唯一つ、困ったことがあって……。
それは、魔法使いがそんな行動を始めてから三日後、食事も終わった午後の昼下がりのことだった。
食後のおやつと、エミリアと魔法使いは居間の席にて向かい合わせに座って、彼女お手製のブリュレを口にしていた。そしてその時エミリアがポツリ、
「お師匠様、これ、何とかなんないんでしょうか?」
「これ、とは?」
魔法使いのその言葉に、思わずガクッとくるエミリア。なので、ついつい、
「この臭いですよ! 屋敷中葉っぱ臭くってどうにもなりませんよ! 食べてるおやつまでこの葉っぱの味がするようで……」
「……そんなに酷いか?」
どうやらやってる本人、あんまり気にしてないようだった。その様子にエミリアは思わず笑いを引きつらせると、
「服に臭いが移っちゃってるんじゃないかって、お買い物してても気になって、気になって。一応花も恥らう乙女なんですから、葉っぱ臭い乙女だなんて……」
悲しくて泣けてくる、といったエミリアの表情であった。だがそれに魔法使いは、
「……葉っぱ臭い……ね」
そう言ってくんくんと自分の腕に鼻を当て、臭いを嗅いでゆく。だがやはり魔法使いにはそんなに気になるものではないようで、
「さわやかなミント系って感じじゃないか。気にするほどのものじゃ……」
「絶対ミントじゃありません!」
確かにスーッとする臭いだが、爽やかともいえなくはない臭いだが、ミントが腐ったというか……いや、腐ったミントの臭いなどかいだことないので分からないのだが……でなければ、ミントに苦い薬の臭いが混ざったとでもいうかのようなにお……いや、香りといった感じだったのだ。なので、臭い、絶対臭い、と、あーだこーだエミリアは考えていると、魔法使いは、
「でも、ま、一応作ってたものは完成したから、しばらくすれば臭いは消えるだろう。しばしの辛抱だ」
なんとも軽い感じなのであった。そう、別に取るに足らないことじゃないかとでも言いたげに。だが、それにまだ納得のいかないような表情をしているエミリア。心の中で思うのは、絶対絶対ミントじゃない! ぐちぐち、ぐちぐち、で……。しばし続くその思い。だが、まぁ、やがてそれは中断されていって……そう、
「!」
不意に魔法使いの表情が厳しいものに変わったからだ。
「どうしたんですか?」
「結界に何か引っかかった」
またか、という思いだった。だが、来客の予定は聞いていなかったエミリア、なので今度は一体なんなんだろうと思っていると、
「また何か厄介ごとでしょうか?」
そう問うてゆく。すると、恐らく訪問者は誰なのか探っているのだろう、目を瞑り、手を天へと上げ、結界に気を張り巡らせてゆく魔法使い。そうしてしばしの集中の時が過ぎ、やがてゆっくり目を開けると、
「いや、予定していた来客だ。心配ない」
それに驚くエミリア。そう、
予定していた? と。
全く何も聞いていなかっただけに、エミリアは思わず不可思議な気持ちになるが、取り敢えず納得を示して頷いてゆく。すると、一方の魔法使いはその者たちが結界内に入ることを許す為だろう、何やら再び呪文をぶつぶつ唱え始めていて……。そしてその者を出迎える為か、早速玄関へと向かってゆく魔法使い。勿論、当然といったよう、エミリアもその後をちょこちょことついてゆき……。
そうして到着した玄関にて、魔法使いはその扉を開けてゆく。すると、その目に入ってきたのは、
中々に上質な服を身にまとった一組の男女。
そう、恐らく上流の。そして、そんな二人のまず一人目とは……そう、歳は四十代前半ぐらいだろうか、どこか人の良さそうな顔立ちをした中肉中背の男性だった。対して女性の方は、四十そこそこの年齢で、服から化粧から髪型から、一分のすきもないような身形をした、完璧なる貴婦人といった人物で……。
そんな二人が、どこか決意を持ったかのような足取りでこちらへと向かってやってくる。そうそれは、エミリアにとって非常に非常に馴染みのある顔で……。否、馴染みがあるどころじゃない、その人物とは……、
「お……お父様! お母様!!」
意外な人物の訪れに驚いて素っ頓狂な声をあげるエミリア。
そう、その人物とはエミリアの両親だったのである。
な、な、な、なんで。
その予想外の出来事に、またもや自分を連れ戻そうというのかと、警戒して魔法使いの背に隠れるエミリア。そして、この危機を何とか逃れるべく、
「私は、陛下の元には行きませんからね! 絶対、絶対に!」
心からの叫び。するとそれに、二人……ヴェルノとシェリルは困惑した表情をして、顔を見合わせると、
「エミリア、私達は……」
何かを言おうとするヴェルノ。だが、それを魔法使いは手で制して、
「これは私が呼んだんだ。ノーランド王の件とは関係ないから、ちゃんと出迎えろ」
それに驚くエミリア。思わず、
「おししょ……いやいや、あなた、が?」
余りの久しぶりに、妻ということを忘れそうになって、エミリアは慌てて取り繕ってそう言う。だが、信じられないことだった。どんな理由があるのかは分からないが、そんな行動に出た魔法使いというものが。そう、居場所が知れてしまえば、彼らが取り戻そうとしてくるのは明白だというのに……。
だがきっと、そうきっと、何かの意味があるのだろう。否、絶対に。なので、師匠がそう言うのならと、仕方なく納得して、おずおずと魔法使いの背から出てくるエミリアであって……。するとそれを見て、ヴェルノとシェリルは懐かしいような表情をして、
「元気にしていたかい?」
「とっても心配していたのよ」
そんな言葉をかけてくる。それは、久しぶりの再会に感激するかのよう涙すら浮かべている二人であり、また今までの心労のせいもあるのだろう、どこかやつれたような姿も見せている二人であり……。だが……前回もこれで騙されたのだった。なので、そんな簡単に警戒心は解けないと、絶対絶対無理だと、相変わらずの調子でじとっと二人を見つめてゆくエミリアであって……。すると、その心を感じ取ったのか、ヴェルノが大きくため息をつき、
「あの結婚のことは悪かったと思っている。もうあんなことはしないから」
「そう、陛下も諦めたようですしね」
なだめるような言い方だった。そこには心から反省しているような雰囲気もあり、エミリアの心は少し揺れるが……。だが、やはり、
ツン!
変わらぬ警戒心に、顔を背けるエミリア。
すると、それにヴェルノとシェリルは再び顔を見合わせて深いため息をついてゆき……。そしてとうとう説得することを諦めたのか眼差しを魔法使いの方へと向け、
「で、大事なお話があると言うことだが、一体何なのかな。随分と重要なことのように書かれていたので飛んできたが、詳しいことは手紙に書かれていなかったものでね」
そう、魔法使いが使い魔に託した手紙、それはエミリアの両親宛だったのである。なので、その言葉に魔法使いはコクリと頷くと、
「それは中でお話しましょう。……エミリア、お茶の準備を」
それにエミリアは納得のいかない表情のままコクリと頷くと、客、あくまで客におもてなしをするのだと、そう言い聞かせ、屋敷の奥へと引っ込んでいった。そして魔法使いもエミリアの両親に中に入るよう促すと、二人を案内するよう居間の方へと向かってゆくのだった。