第十話 炎火の姫君 その十六
そして、それからレヴィン達は侍従長を始めとして、色々な者達の色々な感情の出迎えを受けることになった。安堵、怒り、心配、気遣い等々。そして、とりあえず怪我の手当てをして、散々な身形を整えると、思ったとおりやってきたのは侍従長からのお説教であった。やはり事が事だっただけに、御大の登場となってしまった訳である。そして、ここぞとばかりに侍従長は、
模範となるべき大人である殿下なのに、また状況も分かっているはずなのに、イーディス姫を外に連れ出すとは。それも命の危機すらあるようなこんな目に遭って! なんとか助かったから良かったものの、もし一歩間違えれば……。
ぐちぐちぐち。
自分でも十分分かっているお言葉が、延々とその口から紡ぎ出される。そう、うんざりする程に紡ぎ出される。
そして、それをレヴィンは自室のベッドの上で聞いており……。そう、怪我のこともあって、無理やりそこに押し込められたレヴィン、そういう訳でこんな状態でお説教を聞く羽目になったのであるが……。嗚呼、こうなってはもう逃げることもできやしない、なので、「はい、はい」と大人しく頷きながら、耳を傾けてゆくしかないレヴィンなのであって……。
そう、こってり絞られた油、もういい加減にしてくれ! とも思うレヴィンだったが……だが意外や意外、負傷した彼を気遣ってか何なのか、侍従長の説教は思っていたよりも長くはならず、あれっと思うような所で切り上げられたのだった。また、更に意外なことに、しばらくは大人しく養生して体の傷を癒すことです、などと、嗜めなのだろうけど気遣いにも感じられる言葉がその口からこぼれるものだから……。
思わずあっけに取られるレヴィンだった。だが、まあ、確かにここへたどり着いた時の二人の格好といったら、レヴィンの服は焦げているわ、魍魎の残骸のようなものはこびりついているわ、イーディスもイーディスで、魍魎の毒液まみれになって髪はカピカピだわ、服もしみだらけだわという悲惨な状態であったから、お説教したくともあまりきつくそうすることができなかったのかもしれない。
そう、二人の身の上に起こったこと、確かにそれは諌めるべき行動ではあったが、それ以上に助かった命に安堵すべきものでもあったのだ。怒りよりも心配、そして安堵ということだろう、それを示すよう、これで気がすんだとばかりに侍従長は口をつぐむと、どこか表情に穏やかなものを浮かべ、静かにこの部屋から立ち去っていったのであった。
そう、相変わらず呆気に取られているレヴィンを一人残して……。
そして……それからレヴィンはしばしの時をベッドの中で過ごすことになった。自分はそこまで大げさにしなくても大丈夫だと思っていたが、とりあえず大事を取ってと周りがいうものだから、仕方なく。のんびり、だが退屈とも言える時間がしばし流れてゆく。すると……そうする中で、なんとも納得いかないことが一つでてきたのだ。それは、
「おい、林檎をむいてきたぞ、私の初皮むきだ」
「???」
何故かベットの傍らにはイーディスの姿が。
「口をあーんと開けろ、あーんと」
「???」
大分いびつな、まだ赤い部分が所々残っている林檎。そんでもってちょっと茶色くなっていたりもする、無残な林檎がレヴィンの目の前に迫る。
「ほら、あーんと開けるんだ」
再三の促しに半ば脅されるようレヴィンは口を開け、毒でも入っているのではとおののきながら、恐る恐るそれを口にする。
そしてもぐもぐと咀嚼するが……、
何故?
レヴィンの頭の中は疑問符でいっぱいだった。
イーディスのお見舞い、それは分かる、一度や二度なら。いや、三度や四度でも分かるだろう。だが……、
「どうだ、美味しいか?」
「ま、まあね」
林檎は林檎だ、手を加えていなければ、普通に林檎の味がするだけなのだが、まるで自分がその味を作ったかのようイーディスはレヴィンの言葉に嬉しそうな笑みを浮かべてゆくのだった。それは、本当に心からといった笑顔で……そう、そうなのだ、何故かこの調子で、イーディスはレヴィンの側にほぼ付きっ切りの状態でいたのだ。それに、全く訳が分からないレヴィン、何故? といった眼差しをイーディスの背後につくリディアに向けてゆく。すると、
「どうやら好かれたようですな」
誰が見てもそうだろうというこの状態。呆れる程に明らかだったのだが、それにレヴィンは驚いて目を丸くし、
「な……」
今度は言葉に出して、なんで? と問おうとする。だが……。
「ほれ、あーんとしろ、あーんと」
口を開きかけた時、再びいびつな林檎が目の前に迫ってきて……。それに仕方がなくカプリといって、もぐもぐ食べていると、
「おまえは、意外と見所があるぞ。アデランドの姫とノーランドの王子、身分もぴったりあってるし、いい組み合わせだと、私は思うがな」
ニコニコ笑顔を崩さずにそう言うイーディス。
それにレヴィンは呆然として、
な……なんなんだ、この変わりようは。
思わず口の中の林檎を丸呑みしそうになりながら、そんなことを考えてしまうレヴィンであった。そして、相変わらず呑み込めぬ状況に動揺も露にしていると、間髪をいれずリディアが、
「おめでとうございます。これで殿下も年貢の納め時、是非とも結婚式には呼んでくださいね」
冗談の欠片も見せず、いつもの如く生真面目な表情でそう言ってくる。そう、まるでそれで決定とでもいわんばかりに……。
それに、思いっきり焦るレヴィン。そして、なんで、どうしてそういう話になるのと、不吉な予感に胸がざわついてゆくのを感じながら、レヴィンはリディアにこれでもかという程の睨めつけを送る。そう、本当にそんなことになったらどうするんだとでも言いたげに。
するとそれにリディアは、我関せず、相変わらずしれっとした表情をしていて……。
この、意地悪!
思わずレヴィンはそんな言葉を心でもらしていってしまう。
だが、それにしても……。
分からない、本当に分からない、一体どうしてこうなってしまったのか……。
傍らの、ニコニコ顔のイーディスを感じながら、レヴィンはそう思ってついため息をついてしまう。そう、そのニコニコに、更に心が重くなるのを感じながら……。
まぁ確かに、人から好かれるのは悪い気はしない。例えそれが恋愛感情であっても、素直な気持ちであるならば。だけど、僕には他に好きな人がいて……。
「ほら、あーんだ、あーん」
再び林檎が目の前に。
それにレヴィンは泣きたい気分になりながら……。
エミリア、愛しいエミリア、僕の好きな人は君。だけど、なんか違った歯車が動き出しているようで……。
そして、
一体僕はこれからどうなってゆくんだろう……。
届かない思いに切なさを募らせながら、何かに救いを求めるかのよう、レヴィンはそう心の中で呟いてゆくのだった。
第十話はこれで終わりです。次から第十一話が始まります!