第十話 炎火の姫君 その十三
「イーディス! 魍魎だ!」
鋭いレヴィンの声にイーディスも顔を上げ、弾かれたように立ち上がる。そして辺りを見回すと……
「こんなに……沢山……」
遺品に気をとられている間に迫ってきていたのだろう、おびただしい数の魍魎がいつの間にか周囲を囲んでいたのである。本当に、大群といっていい程の数が。それに蘇ってくる、あの時の記憶。そう、これはまさしくあの時のような……。とすると……。
「もしかしてまた戻ってくるかもしれないと張っておりましたが、まさか本当に戻ってくるとは」
魍魎達の中心に、一人の黒髪の男性が不敵な笑みを浮かべて立っていた。それは、どこか冷たい印象のある鋭い目の男性。そう、まるでこの魍魎達を、自分が引き連れているとでもいわんばかりの様子で。
「おまえ! またおまえか!」
どうやらイーディスはこの者を知っているようだった。そう、二人の言葉から察するに、前の襲撃でもこの者がいたらしいことが窺える……だが一体この者は……。
「イーディス、この者は一体?」
「こいつは魔法使いだ! 魍魎たちを操る! 仲間達を……この魍魎達の餌食にした張本人だ!」
それにレヴィンは表情を変えた。そして、
「魍魎使い……黒魔法使いか!」
「さよう。私の名はキリル、以後お見知りおきを。もう次はないと思っていましたが、姫の処遇は惨殺から捕獲に変わりましたので」
ニヤリと笑う魍魎使い。
そこからレヴィンは察した。アデランドに伝わる古代魔法の知識を知る者はもうイーディスだけだということ、そしてそれをとうとうルシェフは知ってしまったということを。それにレヴィンは嫌な汗が流れるのを感じながら、警戒も露に身構えると、
「やはり、ルシェフの者なのか、君は」
「はい。ルシェフ王室に従える黒魔法使いです、レヴィン王子」
その正体、しかと分かっているとでも言いたげに、そう言ってキリルは再び口元に笑みを浮かべる。
だが……王室に従える黒魔法使い……現在、黒魔法は世界的に禁止の方向へと向かっている。なのに、その国の長たる王が公然と黒魔法使いを従えさせているとは。これは許されざるべきことであった。そして、思い出されるのは……そう、ルシェフは黒魔法をちゃくちゃくと手に入れつつあるというアルヴァの言葉。それは、彼の言葉が嘘ではないことを示すもので……。レヴィンの背に思わずといったよう冷たいものが走ってゆく。そう、目の前にまざまざと突きつけられた紛れもない現実、そのあってはならぬ現実に心から衝撃を受けて。そして、走る怖気を抑えながらイーディスを守るようレヴィンはその前に立つと……、
「今ここで、イーディス姫の身柄を渡していただければ、殿下の命は見逃して差し上げましょう。さあ、どうしますか?」
キリルの問いが荒野に冷たく響く。だが……こうなったのは自分のせい。ある程度こうなる可能性を予測することができたはずなのに、イーディスの気持ちを思ってついズルズルと長居してしまったのだから。少しで戻ればよかったものを、そうせずここまで連れてきてしまったのだから。ならば、自分の取るべき行動は……。
「イーディスは渡さない」
イーディスの前に立つたまま、レヴィンは鋭い眼差しをキリルに送った。
すると、それにキリルは面白くないような表情をし、すぐ様その言葉を鼻で笑い飛ばすと、
「では、ここで散ってもらうだけですな」
そしてキリルは大きく両手を上げ、
「魍魎達よ、行け! イーディス姫を捕らえ、レヴィン王子を殺すのだ!」
そう魍魎たちに号令していった。
※ ※ ※
蠢く無数の魍魎達、レヴィン達を狙って、じりじりと間合いを詰めてくる。それは、実にのったくったとした動きではあったが、その不利をおぎなって余りある程の大群で、逃げ場をふさぐ層の厚さで二人に迫ってきていた。そう、流石のイーディスとレヴィンも、思わず背に冷や汗が流れてしまう程に……。だが、いつまでもこうしている訳にはいかなかった、なので、素早く二人は背を合わせると、これをどうすべきかと考えながら、魍魎達へと向かって身構えてゆく。そう、今はこのペースに巻き込まれている場合ではないのだと、魍魎達へと向かって身構えてゆく。そして、お互い顔を見合わせると、すぐさまその場から駆け出し……、
ザンッ!
守りの薄い所を狙って、イーディスは剣、レヴィンは魔法で魍魎を倒してゆくのだった。そう、そうやってなんとか退路を確保しようとしたのである。一匹、二匹と魍魎を切り倒してゆく二人。そうして、やがて隙間のない輪の中から何とか人が抜けられる空間を作ると、急いで二人はそこから外へと出る。安全圏を目指して、ひたすら走る。そう、走って、走って、もう大丈夫という所まできて再び魍魎の方へ向き直ると……レヴィンは改めてその数の多さに唖然とした。
これは……無理だ。
たった二人だけの力では。
だが、イーディスはそんなことに構う様子も見せず、輪から抜け出したと思うとすぐに身をひるがえし、そこから再び走り出して魍魎に向かって切りつけていった。どうやら迎え撃つつもりでいるらしい。これにまずいと思いつつも、まさか彼女一人に任す訳にもいかず、レヴィンもその後に続いて魔法で魍魎を切っていった。
そうして、一匹、また一匹と、再び魍魎を倒してゆく二人。だが……やはりきりが無かった。それに、苛立つ思いを感じながら、これをどうすべきかと悩んでレヴィンはイーディスの様子を窺う。すると……。
相変わらずイーディスは渾身の力を込め、猛然と魍魎を切り倒していっていた。当然魔法使いであるレヴィンのように、遠方からの攻撃は出来ないから、魍魎の懐まで入り込んで、切る、ということを繰り返し。毒液を吹きかけられ顔を背けても剣の動きは止めず、見えないままでとりあえず魍魎を切る。そして小さくなったのを見計らって、今度はとどめを刺すべく核もろとも切る、と。そう、毒液に気をとられて立ち止まっている暇はないのだ。
それは、鬼気すら感じる程のイーディスの気合。魍魎のこの猛攻に、初めから勝負は見えている筈なのに、意固地な程に引く様子もなく。それに、レヴィンは思う。そう、これは、何日か前に見た、リディアと手合わせをしていた時のあのイーディスだ、と。それとどこかダブるものがある、と。そう、今の彼女の勢いを支えているのは、怒り、そして恨みだ。過去の記憶が彼女の感情を昂らせ、今の行動へと走らせている。
まずい、と思った。
恐らく、今自分が置かれている状況など全く頭の中に入れず、イーディスはただ感情だけで戦っているのだろう。ひたすら前へ、前へ、と。
このままじゃいけない。その思いになんとかせねばと、レヴィンは魍魎を倒しながらイーディスの側へと寄っていった。そして、その傍らにまで来ると、
「ここはいったん引こう、こう数が多いときりがない」
とりあえずの退却をレヴィンはイーディスに耳打ちする。
だが、それにイーディスは、厳しい眼でレヴィンを睨みつけると、
「私は引かん!」
「だけど、このままじゃ、二人とも無駄死にを待つだけだ! 状況を考えろ!」
迫ってきた魍魎に一太刀魔法を浴びせかけながら、レヴィンは叫ぶ。だがやはり、
「おまえだけさっさと尻尾巻いて逃げるがいい。私は行く」
そう言って、魍魎へと向かってゆくのだった。怒りにまかせた無謀な戦い。それを見てレヴィンはため息をつくと、こうなったら無理やり担いで退却するのみと、再びイーディスの元へ寄ろうとする。だがその時、
「!」