第十話 炎火の姫君 その十一
それからレヴィンとイーディスは場所を書斎へと移すと、そこにある本棚の中からアデランドやノーランドの地図を取り出し、部屋の真ん中にでんと居座る机の所までやってきた。そしてそれを机の上に大きく広げてゆくと、
「で、その魍魎の大群に襲われたって場所はどこ? 詳しい場所を教えてもらえるとありがたいんだけど」
まず目をやるのはアデランドの地図、それを前にイーディスはうーんとうなると、
「アデランドの王都、バージルベルから南へ向かい、ヘザーランド、セントローラの町を通って道をそれ、森の中に入った。そこからずっと脇道を通ってきたんだが……」
自分が通ってきただろう、道筋を思い出しながら、イーディスは地図の上を指でたどってゆく。そして、
「森を抜けたその先が、確かノーランドの国境だった。だが、一体森のどのあたりに出てきたのか、はっきりとは分からない……」
地図上の森、水霜の森と書かれた森の出口を見つめたまま、表情を曇らせるイーディスであった。それは、広くノーランドに迫る森であり、それを見てレヴィンも困ったように顔をしかめてゆくと、
「うーん、そうか。でも、位置が分からないと、こっちもその場所に行きようがないからなあ……」
無情に響くレヴィンの言葉。確かに、これだけの手掛かりで場所を特定するのは、例え転移魔法の達人であっても難しいことだろう。ならば、なんとか他に手掛かりのようなものを思い出せないかと、イーディスはしばし考え込んでゆくと、
「そうだ……森を出てしばらく南に向かって彷徨ってゆくと、小さな町に到着したんだ。確か……えーと……そう、フィンウィッチという町だと、土地の者が言っていた。国境付近の町だと。そこで私達はノーランドに入ったことを知ったんだ」
それにレヴィンはなるほどと頷きながら、アデランドとノーランドの国境付近の町を探していった。アデランドの、恐らく水霜の森を抜けた先にある町である。そしてレヴィンは一生懸命指でたどりながらそれを目で追ってゆくと、
「あ、あった!」
地図上にまさしくその名前の町を見つけ、レヴィンは思わず顔を綻ばせる。そして、
「で、そこから?」
「そこから再び道を南下していった。そして、次の町へ行こうとしている間に、魍魎に襲われたんだ。だが……」
「だが?」
「その道の、一体どのあたりだったのか……そこまでは分からない。あまり先へは進んでいないところだったような気はするが……」
自信なく語尾を小さくしてゆくイーディスだった。確かに、大分近いところまではきているようだったが……。だが惜しいところでイーディスの記憶は止まってしまっているようで、レヴィンは歯痒い思いをする。そして、再び困ったようレヴィンは顔をうつむけると、
「そうか……それだと、ピンポイントで行くのは難しいかもしれないね……うまく探し当てられるといいんだけど」
見つけてあげたい気持ち、それは十分にあった。だがそうは思っていても現実は……少し大雑把過ぎるその記憶に、探し当てることの可能性の低さを口調ににじませて、レヴィンはイーディスにそう伝えてゆく。すると、
「そうか……」
いかにも残念という表情をするイーディスであった。だが、ここで諦めるのは何か勿体ないような気がした。なので、何か別の方法はないかと、しばし二人は頭を悩ませ沈黙してゆく。すると、やがてレヴィンが、
「そうだな……じゃあ、フィンウィッチの町を南に出たすぐの辺りの道に転移して、そこから南に歩いて探していってみるのはどうかな。面倒だけど、試してみる価値はあるかも」
少し時間がかかってしまうかもしれないが、闇雲に探すよりも見つかる可能性は高いような気がして、そう提案する。それはきっと、ほんの少し望みが高くなる程度のもの、だがそれでも何もやらないよりはいいと思って、レヴィンはそうイーディスに言う。すると、それにイーディスは元気付けられたように頷き、
「ああ、そうしてくれるか。たしか……もう後ろを振り返っても町の姿は全く見えないところまではきていた」
その言葉にレヴィンも頷き、
「わかった。じゃあ、その位置に転移して、後は歩いていってみよう」
そうして二人は早速探索の準備と、動きやすく目立たない服へと着替えてゆくと、庶民が使うような肩掛けの布袋を用意し、その中に地図や水筒などの必要なものを片っ端から詰めていった。見つかりそうになかったらすぐ引き返すつもりだったが、状況によっては長くかかってしまう可能性もありそうだったので、一応そうしていったのである。そして、
「じゃあ……」
と言ってレヴィンは、イーディスに近づき、転移魔法をかけるべく、彼女の体を横抱えにしようと手を伸ばしてきた。すると、それにイーディスは、
「な、何だ!」
レヴィンの行為に焦ったよう、一歩その場から後ずさる。それを見てレヴィンは困ったような表情をして、
「転移魔法を使うんだから、しっかりつかまっててもらわないと」
「つかまる!? そ、そんな小っ恥ずかしいことしなきゃならんのか!」
どうやら転移魔法は初めてらしい、そんなの知らないぞとでもいうよう、動揺も露にイーディスはそう言葉を投げてくる。それは意外ともいえる反応で、レヴィンは意地の悪い笑みを浮かべると、
「あれ、照れてるの? ガラにもなく」
きわどい言葉は平気で言うくせに、そういうところはまだ恥じらいが残るのかと、からかうような口調でそう言う。そう、どうやらませているのは口だけで、中身は可愛い女の子ということらしい。だが、そのまま可愛く照れていればいいのに、素直じゃないというか、へそ曲がりというか、それにイーディスはうろたえながらも、無理がありありと分かる態度で平気を装うと、
「ふん、別に照れてなんぞいないわ。抱きかかえるなり担ぎ上げるなりなんでもしてゆけばいいだろう」
そう言ってそっぽを向く。だが、思いっきりばればれなその態度。それにレヴィンは心を見透かしたかのような笑みを口元に浮かべると、ならばお言葉に甘えてと再び手を伸ばし、動揺するイーディスの体を横抱えにしていった。腕にかかるのはあまりにも軽い体。それを感じながら、
「亜空間は強い風が吹いているからね。飛ばされないように、しっかり僕の首につかまってるんだよ」
それにイーディスは納得いかないような、むすっとした表情をしながら、
「分かった……」
そう言ってとりあえず頷く。そして不承不承ながらもイーディスはレヴィンの首へ腕を回してゆくと、飛ばされないようにとしっかりそこにしがみつき、その時を待っていった。やがてイーディスの耳に聞こえてくるのは、
「では、出発!」
どこか脳天気に、そんなことを言ってくる、レヴィンの声だった。
※ ※ ※
それから二人は強風吹きすさぶ亜空間を抜けると、目指す場所へと降り立った。
するとそこは、背の低い雑草がはびこる渺渺たる荒野のど真ん中。
どこを向いても町らしきものは見えず、辺り一面見晴らしのいい荒れた野原が広がるばかりの辺境の地域だった。そしてその野原の真ん中には、乾いた赤土の道が一本、どこまでも途切れがないかのよう、延々と一直線に続いていて……。そう、それは全く本当に乾ききっているといっていい道で、激しく足踏みすると土ぼこりが立ってしまいそうな、そんな素朴な田舎道であった。
その道の真ん中に降り立ったレヴィン。とりあえず抱えたイーディスを道の上に降ろすと、立ったその地点から、位置を確認するよう辺りを見回していった。
「フィンウィッチを南へ出てそう先へはいってない場所だ。町の姿も見えないようだし……」
それにイーディスも見回し、確かにといった表情で頷き、
「そうだな」
どうやらたどり着いたらしい出発点、それを感じてレヴィンはイーディスの顔を覗きこむと、
「どう、ここには見覚えある?」
「あるといえばあるような気もするし、ないといえばないような……」
何とも心もとない返事がイーディスの口から返ってくる。確かにどこを歩いても同じように見えてしまいそうな風景、そんな言葉が出てしまうのも分からないではないレヴィンであった。だが一方で、本当に大丈夫なのだろうかという不安も過りながら、レヴィンは、
「じゃあ、とりあえずここから南へ下っていってみようか。歩いているうちに何か思い出すかもしれない」
その言葉に納得を示して頷いてゆくイーディス。するとそれを合図として、レヴィンは布袋からコンパスを取り出すと、方角を確かめ、南へと向かって二人は歩いていった。
そう、わずかな希望へと向かって。