第十話 炎火の姫君 その五
それからイーディスは侍女のラシェルの手に渡り、風呂場へと直行させられることになった。そして何人もの女中達の手によって、頭の天辺から足の先まで磨きに磨きをかれると、何かのオイルやら液やらを塗ったくられ、どうにかこうにか旅のすすを落としていった。だが、長旅からくる褪せ、くたびれ、そういったものはやはり拭い去ることはできず……それでもきれいさっぱりとした体に、イーディスもようやく人心地ついたような気分を味わっていると、今度は衣装といかにも可愛らしい女性物の服をその身にまとわされる。そして、
「どうですか? 殿下の従妹が子供の頃着ていたドレスです。中々素敵でしょ」
そう言って、ラシェルは鏡の中のイーディスににっこりと笑いかける。
それは淡いピンクの、レースがふんだんにあしらわれたドレスだった。確かに可愛らしく、いかにも女の子らしい、ふんわりとした印象の……。だが、鏡に映るそれを纏った自分を見つめながら、イーディスは困惑した。
日に焼けてしまった肌。更に一層痩せてしまった体。まだぱさついている髪はばっさり切られて顎の辺りまでしかない。そして思ったのは、
……似合わない。
誰が見てもそう思うだろうほどに、似合っていなかった。そしてイーディスはそれに見たくない現実でも見たよう、表情をゆがめて顔を背けると、
「ラシェル……といったか?」
「はい?」
イーディスの問いかけに、再びにっこり微笑みながらラシェルは返事をする。するとそれに、イーディスはどこか躊躇いのようなものを見せながら……、
「ちょっと頼みたいことがあるんだが……」
※ ※ ※
一方のレヴィンは、その時ゆっくり自室でくつろいでいた。何せようやく子守から解放されたのだから、そしてイーディスがお風呂から戻ってきたらまた子守りの可能性もあるのだから、今のうちにのびのびせねばとそう思って。だがまた一方で、楽しみな気持ちもレヴィンの胸にはあった。そう、磨かれれば少しは女の子らしくなるだろうかと、彼女が言っていた、可愛い姫とまではいかなくとも、普通の女の子に見えるぐらいには……と。そして、その出来上がりを思って、レヴィンは思わず口元をほころばせていると……、
ガチャリ。
ノックもせずにいきなり扉が開いた。お待ちかねの風呂上りイーディスかと、レヴィンは期待と共にそちらの方を見遣る。そう、レヴィンの想像通りなら、可愛い女の子に変身しているはずの。だが、そこには……、
「え、ええー!」
レヴィンはその姿を見て仰天する。なぜなら……確かに入ってきたのはイーディスだったが、確かにさっぱりもしていたが、その印象は先程とほとんど変わっていなかったのだから。そう、ものは上等になってはいるが、どこから見ても男物の服を身に着けており……。
どうして?
と、後に続いてきたラシェルをみる。するとそれに、ラシェルも困り果てたような顔をしていて、
「どうしても、男物の服がいいとおっしゃって。また何かあった時、この方が動きやすかろうと。それで、侍従長にお話ししたら……」
「これという訳?」
「はい、殿下の子供の頃のお洋服です」
それにレヴィンはくらりと眩暈がして思わず額を押さえる。そして、
「ぼ、僕の……」
何となく腰砕けになったような気分のレヴィンであった。そう、がっくりと。
するとそれを見て、何だか面白くない気分になってゆくイーディス。そう、せっかくさっぱりして気分よく部屋に入ってきたのに、納得いかないような二人のこの態度なのだから。なので少しむくれたような表情をイーディスはすると、
「この髪じゃ、何を着ても似合わん。髪が伸びたら、私の可愛い姫姿を披露してやろう」
か……可愛い姫姿……。
だがやはり、それもどうにも想像がつかないレヴィンなのであった。確かに子供とはいえ彼女は他国のお客様、ちゃんとした服装を準備するのが礼儀とは思うのだが……。なので、これをどうしたらいいものかとレヴィンは一頻り悩んでゆくと……、
まあいいか、
確かに今はこっちの方が似合っているようだし、本人がいいというなら仕方がないかと、レヴィンは無理やりそう納得させる。そして、
「で、彼女の部屋とかはどうすることになったんだい?」
とりあえず、これから彼女はここでどう生活するのか、もし侍従長から何か聞いていればとそう思って、レヴィンはラシェルに尋ねる。すると、
「それが……」
そう言って、恐る恐るといったようにラシェルはレヴィンの顔を上目遣いで見つめていった。そう、まるで何か言いづらいことでもあるかのような様子で、戸惑いながら。それに何となく嫌な予感が過ってゆくのをレヴィンは感じると、
「……姫様の世話は、全て殿下にお任せすると。これは陛下からの命令だと、侍従長が」
その言葉に、レヴィンの頭は一瞬空白になる。そう、全ての思考を拒否するといった感じで、ぴたりと。そして、何だって? そんな気持ちでいると、ラシェルは畳み掛けるよう、
「イーディス姫の部屋も、殿下の部屋の近くに用意したそうです……面倒見やすいように……」
唖然とする思いと共に湧き上がってくる現実。受け入れ難いもしかしての……。そう、明日のお忍び、明後日のお忍び、明々後日のお忍び……数々のレヴィンのお楽しみ。もしかしてそれが全部……子守に?
すると、それにレヴィンは確信に近い思いを抱いてゆく。そう、これは侍従長の入れ知恵に違いない、絶対、絶対、絶対に! と。そして、その思いにしてやったりという、彼の高笑いが聞こえてくるのをレヴィンは感じてゆくと、
「よろしく頼むぞ、世話係」
意地の悪い笑みを浮かべて、イーディスはそんなことを言ってくる。するとそれにレヴィンは、
「へっ?」
世話係、のその言葉に、思わず呆けてそんな声を出してしまうのだった。