第十話 炎火の姫君 その四
それからレヴィンは少女、イーディスを王宮へ連れてゆくと、侍従に王への言伝とイーディスの小刀を託し、謁見の間へと向かった。そう、これはすぐに知らせねばならない重大事、早速ノーランド王に謁見してイーディスに事情を話してもらわねばとつくづく思って。そしてその部屋へと向かう道すがら、
「君の行方は、この国の一大関心事だったんだよ。殺されたのか、捕らえられたのか、北のフェレールに逃げたか、それともノーランドに来たかって。まさか一文無しで王都をうろついてるとは思いもしなかったけど」
「私だってこんなに困窮するとは思ってもみなかったんだ。着の身着のままの逃走だったんだから、仕方がないだろう」
確かにその困窮振りは、傍目からでもひしひしと伝わってくる程のもので、まったくこれがアデランドの姫とは誰も思わないだろう無残な様相を呈していた。まあ、敵の目を欺くには成功なのかもしれないが、だがそれにしても……、
「でもさすがにこの服と髪は、変装、だよね」
男の子にしか見えないその格好、恐らくわざとだと思いつつも気になって、レヴィンはついそう尋ねてしまう。するとそれに、これが自分と思われてなるものかと思ったのか、イーディスは憤然としたように、
「勿論だ、城では可愛らしい姫で通っていたのだぞ!」
短髪に男装、それが見慣れてしまっていたレヴィン。ドレス姿のイーディスがどうにも想像できず、その言葉に何となくおかしいような気持ちになってしまう。思わず笑いもこぼれてしまって、見られまいとレヴィンは下を向くと……。
「……」
ふと目を移したそこ、そこに納得いかないような視線を投げかけてくるイーディスの顔があった。その様子からして、どうやらこの忍び笑い、しっかりばれてしまっていたらしいことが窺え……。それにレヴィンは思わず苦笑いを浮かべてその場を誤魔化すと、込み上げてくるそれを何とか堪えながら、再び前を向いて歩きだす。すると……大国と呼ばれるノーランド、その王宮は贅の限りを尽くしており、二人のゆく廊下も例外ではなく豪華なものとなっていた。装飾、シャンデリア、調度品、そう何もかもが。それは少女の身形にはあまりにもにつかわしくないもので、いつもとは違う庶民の格好をしているレヴィンと共に、二人の存在はこの空間の中で浮きまくってしまっていた。当然のことながら、誰かとすれ違う度、その姿は好奇の視線にさらされてゆき……だが全く頓着せず、それを悠然と受け流して、二人は謁見の間へと向かってゆくと……、
沈黙。
到着した目的の場所にて、王を待つべく静かに王座の前に跪く二人。
別におしゃべりしても良かったのだろうが、二人だけのがらんとした室内、静けさも漂い、何となくそうすることが躊躇われていってしまったのだ。流れるしばしの沈黙。すると……それほど待たされることなく、やがてカツカツという靴音が聞こえてくる。そして、
「陛下のおなりです」
侍従の声の後、レヴィンに面立ちのよく似た中年の男性が部屋の中に入ってくる。そう、レヴィンの父親グレンヴィル四世だった。
レヴィンの王への言伝は、アデランドのイーディス姫がノーランドに亡命してきたということ、なのですぐに会って欲しいということであった。王がちゃんと侍従からそれを聞いていれば、自分が連れている少女はイーディス姫と知っているはず。そう、そのはずだったのだが……それでもその無残な様相の為か、部屋に入るなり、王は思わずといった感じで驚いたよう目を見開いてゆく。そして、
「そなたがイーディス姫か。よくわが国にいらっしゃった。その道程はさぞかし厳しいものだったと察せられる」
「お言葉痛み入ります」
「その行方をこちらの方も心配していたものだが、こうして生きていたことを実に喜ばしく思うぞ」
それは、決まりきったかのような形式的な挨拶。だが、ここまで言うと、不意に王は言葉を止め、「しかし……」と腕組みをしてうーんと考え込む仕草をし始める。それにイーディスは困惑したような表情をして、
「しかし?」
「そなたは本当にイーディス姫なのか? 確か姫は十四歳だと聞いているが」
それを聞いてレヴィンはあちゃー、と頭を抱えたい気持ちになった。それは全く自分と同じ疑問。確かにそう思いたくなる気持ちもよーく分かるが、その言葉は……。ああ、お姫様のご機嫌はいかがなものかと、レヴィンは横目で恐る恐る少女の顔を窺う。するとやはり……そこには怒りを堪えて拳を握るイーディスの姿があり、
「はい、十四歳です……」
明らかに不本意と分かる声音でそう言ってくる。これこそが真実と、そう言ってくる。だが……それに王はまだ諦めていないかのよう、納得がいかない表情をしていて……。
「確かにレヴィンから小刀の印は見せてもらった。だが、それは奪い去れば誰でも姫に成り代われるというもの」
それは、どこをどう聞いても、イーディスの素性に疑問を抱いているとしか思えない言葉であった。当然それにイーディスは納得がいかず、思わずといったよう眉をひそめると、
「陛下は、私の言葉を疑っておられるのでしょうか?」
「そういう訳ではないが……。ただ、もっと確かな証拠を、と」
そこまで言って、王は意味ありげにニヤリと笑う。この意味、本当におまえがアデランドの姫ならば分かっているだろう、とでも言いたげに。そして、
「確かかの国の王家には……」
すると、それにイーディスは王の言葉を遮るよう、「なるほど」と、突如厳しい声で言い放った。
「なるほど、分かりました。あれを見せればいいのですね」
どうやら少女は王の意図を察したらしい、表情に理解の色を浮かべて頷く。
「では、早速披露いたしましょう。アデランド王室に伝わる力を。これこそ王の娘と納得させる力を」
そう言ってイーディスは手を前に出し意識を集中するよう目を閉じた。するとその手からは……。
不意に炎の球が浮かび上がり、そこから何かが触手を伸ばすかのよう、するすると炎が長い線を描いて宙を飛んでいった。そして傍らのレヴィンの体をぐるぐる縛り付けるよう螺旋を描いて上ってゆくと、その炎の先端は彼の目の前までやってきて……。
ただの炎の固まり、それが突然竜の顔に形を変え、口を大きく開けて、炎を吐き出したのだ。
一体何をされるのかと、おののきを隠せないでいたレヴィンであった。束縛する炎に身動きもとれず、体を固まらせたままで……。そして不意に吹きかけられたこの炎、驚いてレヴィンは思わず目をぱちくりさせる。
そう、それは呪文を介さずに発動された魔法。近代魔法ではありえない……。
「ほう、確かにみたぞ。古代魔法の力を。太古から脈々と続く、その血筋を」
そう、アデランド王室はあのノーランド建国記に書かれた、王の左に従えていた魔法使いの子孫達であったのである。スノーヴィス山に封印した魍魎が解き放たれぬよう守護する役目を負った、あの。あれからずっとその地を治めることになり、古代魔法の能力も……一般に、古代魔法は遺伝しないものと考えられている、だがこの魔法使いの力だけは例外で、代々女性にのみ遺伝していたのであった。だがしかし……。
「ですが、かつての威力は失われております。ほんの目くらましですよ、これは」
確かに、その通りだった。初代の力を守る為、王を代々女性としてきたアデランド。更に血を強く残す為、近親結婚が繰り返された時期もあったが、断絶の危機に陥ったこともあって現在はなされておらず、その力は最初の頃と比べると、大分弱くなっていたのである。だがそれに、
「いや、見事なものを見せてもらったぞ。確かにそなたはイーディス姫だ」
それでも素晴らしいとイーディスをたたえてくる王。もしかしたら本物を目にするのは初めてなのかもしれない、それもあってか、イーディスの魔法を前に少し興奮気味でもあるグレンヴィル四世であった。そう、本当に素晴らしい、と。
すると、それにイーディスは、どうやら信じて貰えたらしい王のその態度に、ホッとして胸を撫で下ろす。そして、深々と頭を垂れ、
「ありがとうございます。それで……早速本題に入りたいのですが……」
そのイーディスの促しに、厳しく表情を変えるグレンヴィル四世。そして、
「うむ、魍魎が解き放たれたらしいな」
「はい。聞いたところによると、そのようです。詳しいことは私にも分からないのですが……」
ほとんど訳の分からぬままの逃走、当然上手く説明できる訳もなく、自分へのもどかしさにイーディスの語尾は段々と細くなっていってしまうのであった。だが、それを気にするでもなく王はコクリと頷くと、
「アデランドに駐屯していたノーランド兵も、魍魎に襲われ、被害を出している。そして……」
「そして?」
「そなたは聞いているだろうか? その後ルシェフがアデランドに侵攻し、親ルシェフ政策を取るベルフォード公爵……今はガヴァン二世を名乗っているが……によって迎えられたと。ノーランドの保護からルシェフの保護へ。我々は撤退を余儀なくされている」
「ルシェフが……」
それは今初めて聞いた話であった。予想もしないあまりのことに、イーディスは驚いて言葉をなくす。するとそれを見てグレンヴィル四世は頷き、
「そう、恐らく全てはベルフォード公爵とルシェフによって仕組まれたことと、我々は見ているが」
イーディスは信じられなかった。そして何より、叔父の考えが全く分からなかった。そう、何故、どうしてそのような行動に出たのか、どう頭を巡らしてもルシェフと手を結ぶ理由が思い浮かばず……、
「公爵とルシェフが手を組んで、そして父や母を……。ですが、一体何故、何故そんなことを!」
すると、それに今まで黙って事の成り行きを見つめていたレヴィンが、
「これは推測なんだけど……ルシェフは全ての魔法を掌握して統一国家を作ることを目論んでいる。君の国は古代魔法の礎のような国だ。古代魔法使いも多いし、君自身古代魔法を使う。そして、失われた古代魔法についての知識が伝わっているとも、書物が残っているとも噂されている。恐らく、古代魔法の力を得るというルシェフのその目論見と、王になりたいベルフォード公爵の野心が結びついたのではないかと思うんだけど……」
「古代魔法の力を得る為に……」
それにレヴィンはコクリと頷き、
「そう、恐らく最大の目的は、伝わっているという古代魔法の知識だと僕は思う」
その言葉にイーディスは目を剥き、そしてしばらくしてクツクツとどこか空虚な笑いを漏らした。
「その為に……そんなものの為に、父と母は殺され、国はルシェフの手に委ねられたというのですか! ええ……確かにそんなものも伝わってはいますが……ばかばかしい」
「書物が、あるの? それがルシェフに渡ってしまう恐れが?」
だとしたらこれは危惧すべきこと、更にルシェフの勢いを盛り上げる材料となる……。なので焦ったようにレヴィンがそう問いかけると、それにイーディスは落ち着いた眼差しで首を横に振り、
「いえ、ルシェフはそれを手に入れることは出来ないでしょう。書物はあの魔法使い狩りが行われた時に、全て消失しています。ご存知かとも思われますが、あの時わが国は唯一古代魔法擁護に動いた国。それ故わが国は周囲の国と緊張状態になり、一時期他国に占領されております。そして正史に書かれている通り、その時に書物は全て焼かれました。ですが……全てが失われた訳ではありません。これは公にはされてないことなのですが、なんとか後世に伝えるべく、一部が口伝で伝わっております。そう、わが国を継ぐ者だけに。つまり、母と私だけが知っているのです」
「じゃあ、君を捕らえない限り、それはルシェフの手には渡らないと?」
それにイーディスは不敵に笑い、
「私がルシェフの手に渡ったとしても、伝わることはないでしょう。口伝は長い時の間に少しずつかけてしまったのか、今は全く意味の分からない言葉として伝わっておりますので。いえ、その前に私が口を割りませんが」
「でもこれは……もしこのことがルシェフに知れたら、ますます君は狙われることになるね。いや、もう知っているかもしれない。古代魔法の謎を知る者として捕らえようと、躍起になって……」
何となく嫌な予感をもたらす材料であった。わだかまる不安にどこか表情を曇らせてレヴィンはそう言うと、それに触発されたかのようイーディスも両手を頭にあて、首を左右に振っていった。そう、まるで思い出した嫌なことを振り払うかのように。そして、訴えるような眼差しで、
「陛下! どうか、わが国のために動いていただくことはできないでしょうか! その為に、私はここにきたのですから!」
だが、それに王はすぐには返答しなかった。深く考え込むよう顎に手を当て、
「これは……重大なことだ。私の一存で決めることは出来ない。官僚や貴族達を集めて、話し合わねば」
するとそれにイーディスは、是非とも力をという気持ちを込めて深々と頭を下げ、
「よきご判断を期待しております」
力強い言葉でそう言う。それに、とりあえず承ったことを示して頷く王。そして、これでもう話はいいだろうとでもいうよう席を立つと、悠然と、王はこの部屋から出ていった。
後に残されたのはレヴィンとイーディス。
その場所でイーディスは一人もどかしい思いを胸に抱いていた。そう、本当は今すぐにでも出陣してもらいたい気持ちでいた彼女、だが返事は保留というのだから。残念な結果と先の見えない不安でか、思わず暗く沈んだ表情となってしまうイーディス。確かに、ここに来るまでだけでも色々つらいことがあっただろう。なのに、更にといったよう、その肩には国を左右する大きな重圧がのしかかっているのだから。そう、まだこんなに小さいのにあまりにも大きすぎる重圧が……。当然ともいえるこの表情、全く、なんて慰めていいのかもレヴィンには分からなかった。だがその苦労の計り知れなさは感じ取ることはできて、レヴィンはにっこり笑ってその顔を覗き込むと、
「とりあえず、しばらくはここでゆっくりしていきなよ。ここにいれば敵に追われることもないしさ。長旅の疲れもたまってるだろう。嫌なことは忘れて、まずは……そう、お風呂にでも入ってさっぱりしよう」
その言葉に、イーディスは自分の姿を見た。それは、とても姫とは思えない無残な姿で……。そして、イーディスは自分自身に呆れたような表情をすると、
「確かに……」