第十話 炎火の姫君 その一
9月9日に無事退院しました御山野です。
早速連載を再開してゆきたいと思います。で、ここからまた新しい話になってゆきます。レヴィン中心の話です。アシュリーやエミリアが好きな人には申し訳ありませんが、この第十話、二人は全く出てきません。次の第十一話までお待ちください。すみません……。
で、この第四章は少し長めの二つの独立した話からなります。第十一話は今までで一番長くなるかもしれません。
魔界の蓋が、開けられた。二千年以上の時を経て、魍魎達の眠りが今覚まされる。湧き出す、湧き出す魍魎達。ようやく解放されたとこの世の中に。
そしてこの世は……。
※ ※ ※
アデランド、それはノーランドの北西にある小さな国。ノーランドと同じく長い歴史を持ちながらも、国の力は弱く、国防を盟主であるノーランドに一部頼っていたりもするような……。過去に占領という憂き目にもあったことのあるアデランド。王家が住まう王宮も、豪華というより堅実といった方がしっくりくるもので、その生活も王宮を体現するかの如く列強と比べると質素で慎ましいものとなっていた。
そして今、その王宮にも夜が訪れている。忍び寄る闇が辺りを包み、よき者も悪しき者も全て覆い隠そうというかの如く暗い色に染めている。時はもうそろそろ皆眠りに就こうかという辺り、だが王宮のとある一室では、それにも構わぬよう、一人の少女が机に向かって何か書き物をしていた。それは、赤茶色の、少し癖のある長い髪をした少女。そう、凛とした眼差しが、どこか彼女の性格を表しているような感じもし、また細身の体を包んだ質の良い臙脂色のドレスが、彼女の高貴さを表しているようにも感じられた。そしてその少女、深まる夜を気にするでもなく、眼差しに強い意欲の色を見せながら、本を読み、ひたすら何かをノートに書き綴っており……。すると、集中するその少女を打ち破るかのよう、不意に、
トントントン。
ノックの音が部屋に響いてくる。そして静かに扉が開かれると、
「姫様、もう大分夜も更けてまいりました。そろそろお勉強はおしまいにしてはいかがでしょうか?」
一人の女性が入ってきて、そう少女に向かって言葉をかけてくる。それは金色の髪をきれいにまとめ上げた、上品な雰囲気をかもし出す若い女性。やさしげな笑みを浮かべながら、少女に伺いを立ててくるその態度から、どうやら少女に仕える者らしいことが窺えるが……そう、その通りこの女性、目の前の少女に仕える者であった。そしてまた、彼女が呼んだ通り、少女はこの国の姫であり……。つまり少女はアデランドを統治する現国王の娘であり、そしてこの女性はそれに使える侍女であったのである。
更けゆく夜、女性の言葉にそれをようやく思い出したよう、少女はペンを動かす手を休め、大きく伸びをする。そしてその女性を振り返り、
「後もう少しで終わる。ちょっとサボってしまってな、明日までに仕上げなければいけない宿題をためてしまったのだよ」
やれやれといった調子で、少し疲れを見せてそう言った。それにその女性は困ったような笑みを浮かべて頷き、
「ふふふ、学園の先生は中々厳しいようですね。かしこまりました。では、終わりましたらお呼びくださいませ」
そう言ってドレスの襞をつかんで身を屈め、形式通りの挨拶をする。それに少女は「分かった」と言って了解した頷きを見せると、立ち去る侍女を見送って、再び体を机へと向けた。そして、
「はぁ」
思わずといったよう、大きなため息がその口からこぼれる。そう、どうやら根を詰めすぎて、疲れてしまったらしい。なので、気分転換すべく少女は席から立ち上がると、部屋の窓辺へと歩いていった。そう、新鮮な外の空気を吸うべく、窓を開けようとしたのである。すると……外界は、黒絵の具で染めたかのような闇が覆っており、辺りの様子をうかがい知ることもできないほど、暗い夜がこの地に訪れていた。だが今は新月、それも当然のことと、特に何を気にするでもなく、少女は大きく窓を開けてゆく。すると……流れ込んでくるのは、少しずつ秋めいてきている夜の涼しい風。聞こえてくるのは虫の声と、そして……。
何?
思ってもいないざわざわとした物音が少女の耳を打ち、困惑に表情を歪める。一体何の音かと耳を澄ましてみれば、それは何かが羽ばたき、鳴き、木に宿る物音であった。それも一匹ではない、何匹もの。鳥か、と少女は思った。いや、それしか考えられないだろう。だが、いつもとは違う、それはどこか緊迫したようなざわめきで……。
こんな時間に鳥達がざわめくとは……。
今までにないことであった。何かがあったのだろうかと、少女の胸は騒いだ。そして何となくよぎってゆく嫌な予感に少女は表情を歪めたままでいると、
バタン!
突然物音がこの部屋に響いてきた。それは扉が勢いよく開けられるような音。だがそれは、この部屋の扉ではなかった。くぐもったような音からして、もっと向こう側の扉のようであるが……だがここまで音が聞こえてくる程の荒々しい開け方、これは絶対侍女のものではなかった。ならば入り口から入ってきた来客の者かと、少女はそう判断する。何となく取次ぎもせず突然入ってきたような雰囲気もして……何者? とその無作法さに腹立たしい思いになりながら、またそれと共に嫌な予感もあおられながら、少女はこの部屋から出てゆく。すると、すぐに少女の目に飛び込んできたのは、近衛兵の軍服を身にまとった数人の男性、そして一人の身なりのいい男性が、血相を変え何かを探し回っているかのような姿であり……。
場所は部屋に入ってすぐの居間、その真ん中には立ちすくんだ侍女がおり、
「な……何なんですか、いきなり!」
どこか怯えを見せた表情で、そう周りの者に問うている。
それは突然の、ただならぬ気配を発する訪問者だった。何事かと少女は眉をひそめていると、一団は彼女の姿に目を留め、ようやく探し物を見つけたかのような表情をして、その側に駆け寄ってきた。そして、胸に手を当て一礼をし、
「姫様、突然の訪問お許しください。実は……大変なことが起こりました」
「大変なこと?」
その言葉、様子、何もかもが理解できず、少女は困惑の表情を浮かべる。すると、その言葉を発した者、近衛兵の制服ではない、質のいい貴族風の服を着た者が「はい……」と言うと、しっかり少女を見据え、
「落ち着いて聞いてください」
心の準備をさせるかのようそう言って一呼吸置く。そして一つ一つ言葉を搾り出すよう、
「ベルフォード公爵が、謀反を起こしました」
ベルフォード公爵、それは少女の母であるアデランド国王の弟であった。そう、実の弟。その人物が……。
「叔父上が……謀反?」
「はい。軍部の一部を味方につけ……。ただ今、宮中の兵達を招集して事態に当たっていますが……」
目の前の者達の様子から、どうやら切迫した状態であるらしいことが感じられた。悠長に構えていられるような、そんな事態ではない、と。だが、そんな言葉だけでは何も分からない。戦況は、兵は、城内は、街は、民衆は……いや、それより、
「父上は! 母上は!」
謀反ならば、まず狙われるのが国王であろう。少女はわき上がる不安感と戦いながら、居ても立ってもいらないよう、そう男性に叫ぶようにして問うた。するとそれに男性は、悲痛な表情をして顔を背け……。
「残念ながら……」
無情な言葉であった。その言葉の意味するところは明らかに……。すぐに鎮圧されるだろう、そんな甘い期待すらも打ち砕くかのような、あまりに無情な……。
襲いくる衝撃に呆然として言葉を無くす少女。すると、
「姫様、公爵は後継者であるあなたにも手を伸ばしてくるでしょう。ぐずぐずしてはいられません、早くここからお逃げください!」
だが、それに少女は頷くことはなかった。代わりにキッと眼差しを鋭くし、
「何故! 何故私がここを去らねばならぬ。寝返ったのは一部の人間なのだろう。ならば、この国の姫として、我らにつく皆を統率する義務がある。その者達を一掃する為にも!」
王の直系は自分一人。自分こそが残された正当な後継者。ならば逃げ出す訳にはいかないと、少女は必死で懇願するよう男性に向かって叫ぶ。そう、そんなことをしたら王家の名折れとでもいうように。
だが、男性は首を縦には振らなかった。悲しみの中に絶望の色を目にたたえ、静かに首を横に振ると、
「姫様。公爵についたのは一部の軍部だけではありません」
「軍部だけではない?」
少女は眉をひそめた。まだ他にもいるのかという気持ちもあったが、この男性をこんなにも沈痛な表情にさせてしまうものとは何なのかと訝しんで。そう、軍部以外の一体何が公爵に味方をし……。
するとそれに、男性は無念さを露にし、絞り出すようにして、
「スノーヴィス山の魍魎も公爵につきました」
その言葉に更に唖然とする少女。だがしかし……。
ありえない、と思った。なぜならスノーヴィス山の魍魎は……、
「そんな……スノーヴィス山の魍魎は……」
「はい、封印されているはずです。ですがどうやら……解かれようです。まだこの部屋までは迫っておりませんが、既に奴らによって王宮内は混乱状態。制圧されるのも時間の問題でしょう。ならば、せめてあなただけでもこの場を逃れ、機を見ていつか……」
「嫌だ! 自分だけ逃げるなんて! 私も戦う!」
首を大きく横に振りながらそう言って、その言葉を実践しようとするかの如く、少女は寝室へと向かって駆けていった。することは戦いの準備。そう、しまってあった剣を取り出し、それを腰に佩いて。そして、少女はそのままの勢いで寝室を飛び出してゆくと、更に皆のいる居間をも駆け抜け、この部屋を出てゆこうとする。そう、こうしてはいられないと、部屋を出てゆこうとする。だが……悔しいかな、それがなされることはついにはなく……。そう、少女を引き止めるかのよう、男性がその手を取り、
「いけません。この国を思うならば、今は引くことです。この国を魍魎の手に渡さないためにも、今は。陛下の嫡子はあなた一人、あなただけが希望なのです!」
感情に流されている場合ではない、冷静になれ。冷静になって先を見据えろ、恐らくそう言いたいのであろう。
だが、頭では分かっても、感情がそれについてゆかなかった。嫌だ嫌だとつい少女は首を横に振ってしまう。だがそんな少女に反して、男性の眼差しはあくまで冷静、そして真剣だった。そう、冗談ごとでは済まされない事態、そう伝えようとでもしているかのように。それに、わがまま言っている自分がどうしようもなく融通のきかない矮小な人間に感じられて、この状況に、少女はとうとう観念したよう顔をうつむける。そして言葉をなくしたままそうしていると……。
「セリア殿、護衛にはこの者達をつけます。あとはよろしく頼みます」
何とか納得したらしい少女を察してか、男性は傍らに並ぶ近衛兵達を指し、侍女に向かってそう言う。
するとその言葉に、ようやく我に返ったよう侍女は目に生気を取り戻し、少女の肩に手を添えて強く頷く。だが……、
「アルトン伯爵は! 一緒に来ないのか!」
まるで全てをこの侍女と近衛兵達に任せようとでもするかのような男性の言葉。それにまさかという思いが過って、少女は不安げな表情をする。すると予感通り、男性はその言葉に淡く微笑み、
「私は残ります。残って、なんとかこの状況を少しでもいい方向に……」
「それでは、伯爵が……魍魎たちに……!」
絶望的ともいえる男性の覚悟であった。いや、そうとしか少女には感じられなかった。だが、それでも男性は微笑みを崩さず、
「状況を変えるには、内部に残る人間が必要なのです。心配には及びません。きっと生き残って見せますから……」
嘘だ、と少女は思った。今の危機的な状況を考えれば、それは自分を行かせるための、あまりにも見え透いた嘘にしか聞こえなかった。確かに、何かの考えというものが、もしかしたら男性にあるのかもしれない。だが、例えそうだったとしても……。
「駄目だ! 一緒にくるんだ!」
そう言って目に涙を浮かべながら、少女はその手をつかもうとする。だが、男性は首を縦には振らなかった。その上冷たく少女の手を振り払うと、目を傍らの近衛兵達に向け、何らかの合図を彼らに向かって送っていった。それと共に、少女の背後に回ってくる近衛兵達。そして無理やりその場から離すべく、彼らは少女の体を抱えずるずると引きずり始め……。
「さあ、もう時間がありません。早く行くのです。退路は……」
届かぬ手、思いも通じぬまま、少女はただ引きずられてゆくばかり。そして皆を急かせるようそんな言葉が男性の口からこぼれると、
「セリア殿、分かっていますね」
その促しに、侍女は力強く頷く。
「はい。隠し通路があると、噂では」
「そう、場所は姫君が知っているはずです。そこを通って、城外へ」
そう言って、男性は侍女に小刀と幾ばくかの金銭が入っている小袋を握らせると、しかとした眼差しを彼女へと向けていった。
そう、頼りはこれ、これで後は任せたとでもいうように。まったくもって、ほとんど着の身着のままといってもいい出立だった。それは、なんとも心細いものではあったが、託された望みに答えるよう、侍女はしっかりそれを受け取ると、再び強く頷いていった。
そして……。
少女はまだ涙に暮れている。そんな少女を何とか引きずりながら、目の前に広がる、遥かなる逃走の旅へと一行は向かっていったのだった。