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ひとひらの花びらに思いを(未)  作者: 御山野 小判
第三章 始まりの予感
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第九話 夢路の果ての歌姫 その十

 そしてそれから魔法使いはレティスを馬車に乗せると、御者から聞いた近くの病院へと運んでいった。


 夜の病院、当然の如く扉は固く閉まっており、何人も入れないというかの如く、三人の前に立ちふさがっていた。だが、魔法使いはそれにも構わず声を上げ、扉を蹴り、中の者を叩き起こすよう、大きな音を立てていった。すると……。


 しばらくして夜勤の看護師らしき者がその扉から出てきた。この夜中のこの大騒ぎ、一体何事だといぶかしむような表情で。だが、扉を開けて目に入ってきたのは、若い男性の腕に抱えられたぐったりとした一人の女性。それも手首に深い傷のある……。それにどうやら急患である事を看護師は察すると、「少々お待ちください!」と表情を変えて声をあげ、慌てて当直の医師へと取り次いでいった。


 そして、すぐ救急の処置室へと運ばれるレティス。当然自分らもと、エミリアと魔法使いは続いて中に入ろうとするが、看護師によって遮られ外で待っているよう告げられる。仕方なく待合室の椅子へと腰掛けてゆく二人、訪れるのはひたすら待つばかりの歯痒い時間で……。止血してある分、不安は大分軽減されているが……それでも湧き上がる心配な気持ちに、自然二人とも無口になってしまう。そうしてしばし待つと……恐らく手当てが終わったのだろう、やがて処置室から医師が出てきて、その口からレティスの状態が二人に告げられる。そう、彼女の体に大事はない、と。それで、ようやくといったようにホッと胸を撫で下ろすエミリアと魔法使い。


 そして、レティスはとりあえず入院ということになり、病院の一般病棟へと移されることになった。それに魔法使いとエミリアも付き添ってゆくと、やがてたどり着いたのは他にも入院患者のいる、六つのベッドのある大部屋であった。清潔感あふれる白で統一された、どこか殺風景でもある部屋。そこのベッドにレティスは看護師の手によって寝かせられると、ようやくといったようその眼差しに落ち着いた色を浮かべていった。看護師の方も一通りやることは終わったようで、息をつく緩んだ時がこの空間に流れてゆく。どうやら、とりあえずの危機は乗り越えたようだった。自分の役割も終わったようで、一難去った虚脱感に魔法使いは一気に肩の力を抜いてゆく。そして今一度ベッドの上のレティスの方へと目をやってゆくと、


 青白い顔、生気のない様子。まだ、地獄の淵から戻ってきた訳ではない……。


 確かに、自分の仕事は終わった。劇場に連絡したり入院の手続きをしたりと、細かい作業はまだあるが、とりあえず今ここでの仕事は。そう、後は医師や看護師に彼女を任せるばかり、であったが……だがこのままレティスを一人残すことに、魔法使いは何となく後ろ髪を引かれるような思いを抱いていた。できれば残って側に付き添ってやりたい気持ちもあったのだが、完全看護のこの病院、どうやらそうすることも許されないようで……。


 勿論それだけではない。皆が寝静まった真夜中の病院、そういうこともあってか、看護師は早いとこ魔法使い達にここから立ち去って欲しいようであった。どこか迷惑げな気持ちをちらちら覗かせながら、急かすよう看護師は二人に退出を促してくる。だが、まだ立ち去り難い気持ちが二人にはあった。せめてもう少しだけでもと思う二人だったが……周りのことを考えるならそれも仕方がないかと、渋々頷いて魔法使いとエミリアは了解を示す。そして……、


「じゃあ、私達はこれで行くが……」


 大丈夫かと、魔法使いはレティスに問いかける。すると、それに静かに頷くレティス。ならば今こそが去り時かと、それに納得して、魔法使い達はそこからゆっくり歩き出す。響く足音、遠ざかるレティス。だが扉をくぐったその時、魔法使いはやはりまだ気になって、もう一度とレティスを振り返ってゆく。すると……そこにあったのは、淡い笑みを浮かべながら魔法使い達を見送るレティスの姿。そう、どこか晴れやかで吹っ切れたような。


 それまで、どこか胸に不安がわだかまっていた魔法使いであった。この先を、彼女の意志だけに任せて大丈夫なのかという。


 だが、レティスは笑っていた。


 澄んだ瞳で笑っていた。


 ならばきっともう大丈夫だろうと、もう危機は脱したのだと、魔法使いは自分の心にそう言い聞かせる。そして、今度こそはと再び歩みを進めてゆく魔法使いであって……。


   ※ ※ ※


 それから日々は特に何かが起こる気配を見せる訳でもなく、ごくごく普通に過ぎ去っていった。そう、あの自殺未遂が新聞をにぎわせるということもなく、まるで初めから何も起こっていなかったかのように……。彼女について一般市民が知りえる情報は、ゴシップ紙によって軽く報じられた体調不良による休演ということだけ。劇場はあの件をどう処理するのかと思っていた魔法使いだったが、どうやらもみ消すか、上手く隠してゆくかして切り抜けようとしているらしいことがそこから窺えた。


 まぁ確かに、希代の歌姫が自殺未遂など、一般市民が知ったらきっと大騒ぎになるだろう。なので、それを避ける為に、こういった方法が用いられるというのも、まぁ、分からないではなかった。そして思う。今、レティスはどうしているのかを。そう、渦中を逃れ、あの病院でゆっくり傷を癒しているのだろうか、と。あの気持ちも落ち着いて、少しは前向きな心になっているのだろうか、と。そう、流れゆく、平和な時の中で……。すると、その平和、魔法使いの下にも皆と等しく訪れており……。そう、つい呑気な気分になってしまう程に。あの出来事も、つい忘れてしまいそうになる程に。だがやはり、気になる心にそのうち見舞いに行かねばと思っていると、そのまま日々に身を委ねる時が過ぎ……。

次でこのお話は終わりとなります。

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