第九話 夢路の果ての歌姫 その二
えー、今回のお話、時々歌の歌詞が出てきます。ですが私、どうやら作詞の才能が無いようで、どうにもその部分がかなり寒く……。下記にも出てきます。やっぱり寒いです(汗)すみません!
そして、とうとうやってきた公演日。エミリア達は早速トランクに必要なものを詰めてゆくと、準備万端にして王都へと向かっていった。それはもうお馴染みとなってしまった道中、いつもの駅からのいつもの馬車。だが、明らかに違うことが一つあった。それは格好。歌劇の観賞と言うことで、持っている服から上等なものを選び、正装をしていったのである。まずエミリアは貴族であった時家から着てきたあのドレスを、そして魔法使いはブロウ氏宅のパーティーで着ていた魔法使いの正式な服装を。
それは、この小さな町の中ではちょっと目立ってしまう格好、そんな恰好で二人は馬車に乗り込み揺られ揺られてゆくと、大分辺りも暗くなってきた頃、ようやく王都に到着した。だが、王都に入りつつも駅まではまだ距離があったその道。取り敢えず、目的の地を待ってチラと外を見てみると、そこには相変わらずの薄暗闇があり……。そう、今日の営みは終わりを迎えつつあることを示していたが、歌劇はまだまだこれからだとでもいうかのように。なので、時間も丁度いいと、二人は到着した駅にて馬車を降りてゆくと、そのまま歌劇場、王都ダーレムで最も著名なイース・アビィ歌劇場へと向かっていった。
それは、エミリアにとって心躍る時。否が応でも湧き上がってくる期待を胸に、歩む足も軽やかになってゆくと、やがて見えてきたのは劇場の豪華なエントランスだった。そこを静々とくぐってゆく二人。そしてまず二人がしたことは、劇場内にあるクロークに荷物を預けること。そう、まさかあの大きなトランクを抱えて観劇する訳にはいかない、なので、マナーもあって、早速それをしてゆく二人なのであった。そうしてそれが終わり、チケットを手にようやく席へと行くと、そこは前から八列目のセンターという中々の良席。近すぎず遠すぎず、全体をバランスよく見るにはもってこいの席であった。
その幸運に思わず上機嫌になるエミリア。そして失礼しますと言って列に入ってゆくと、ようやく落ち着いた薄暗闇の席の中で、胸をわくわくさせながらその始まりの時を待つ。すると、やがてオーケストラピットの中から序曲が流れ始めてきて……。
上がる緞帳。そして、民衆達が歌い踊りながら春がやってきたことを祝ってゆく。それは中々に賑やかな場。そして皆さんざん呑んで歌って騒いだ後、やがて場面が変わり登場したのは……。
『古城の舞姫』
南の小国の王子フェルナンドは、狩をしに領地の外れの森までやってきていた。だが獲物を追っているうちに道に迷ってしまい、供の者ともはぐれてしまう。そして出口を求め、森の中を当てもなく彷徨っていると、やがて王子は古びた城へとたどり着いた。誰かいるのなら道を聞こうと中に入っていってみれば、そこには一人の美しい姫が。そこで温かいもてなしを受け、しばしの安らぎを得る王子。そしてその姫フェリーチェとも色々な言葉をかわしてゆくが……話していて分かったのは、彼女はこの城の主である魔物にとらわれているということ。そう、自由もなく、この城に閉じ込められ……。その身の上を不憫に思った王子は、彼女をこの状態から救うべくとある提案をする。それは、この古城から一緒に逃げ出すということ。それにフェリーチェ姫は驚き、悩むが、やがて躊躇いながらもその申し出を受けることを決意する。そして、皆が寝静まった真夜中、早速二人は魔物の目を盗み古城から抜け出してゆくが……。実は、密かにフェリーチェ姫にはある命が下されていたのだ。そう、すべて計画は魔物に見通されており、王子を殺せばこの裏切りも見逃してやろうと、姫は彼から言われていたのである。胸引き裂かれるその言葉、葛藤しながらも次第に王子に心惹かれてゆくフェリーチェ姫、やがて二人の心は通い合うが、その前には悲劇が迫り……。
そんな中、迎えられた王子の城にて開かれた宴の席、そこで舞姫の名の通り、姫はバレエも披露する。それをレティス=ハーヴェイは代役なしでこなし、その完成度の高さで皆を驚かせるのであった。だが勿論それだけではない、まるで薄幸の姫が抜け出てきたかのようなその容姿、天上にでもいるかのような儚げながらも澄み渡ったその歌声、それが観客を魅了し……。
そして、物語は終盤、王子への恋心と魔物の言葉との間で葛藤するフェリーチェ姫が、その苦悩を切々と歌い上げるシーンに入っていった。舞台の見所であり、最も有名ともいえるアリア、『神よ、この思いを』である。
夜の部屋、落ちる闇に握るのは
鈍い光を放つ鋼の刃
迷う心にちぢ乱れ
苦しみと共に涙を流す
右には愛、左には恐れ
引き裂いてゆくは非情なる悪魔
胸にあるただ一つの真実も
闇に呑まれてしまいそうなほどに
ひたすら重きこの鎖
いっそ断ち切れたらいいのに
すべてを断ち切り駆け出せたなら
きっと私は……
闇に染まりつつあるこの体
それでも神よ、私を導いてくれますか?
朽ちゆく心に、光の道を
救いを示す、希望への道を
神は私を導いてくれますか?
ふと見上げればそこは大空
小鳥達が飛び回る
その翼に夢を乗せ
私は未来に思いをはせる
だけど……
闇は許さぬ、羽ばたくことを
自由を手にし、微笑むことを
神よどうか許しを
この罪から、この身を切る痛みから
そしてどうか助けを
輝く未来へと進む道を
信じてもらうこと
それは叶わぬ望み
でもこれだけは分かって欲しい
ただ一つの真実
そう、あなたへの愛を
素晴らしい歌声であった。
声量、声質、技巧、は勿論のこと、何より観客達の心を動かしたのは情感を込めたその表現力であった。それはエミリアも例外ではなく、
「ううっ、ひっく、ひっく……お師匠様……ハンカチ貸してください……」
「……持ってきてないのか」
「……もうびしょ濡れなんです」
「……ったく」
その感動に、二枚目のハンカチに突入してゆくエミリアであった。
そして割れんばかりの拍手の中で公演は終わり、カーテンコールも終わると、
「うう、素晴らしいです、やっぱりレティス=ハーヴェイは凄いです!」
ひたすら感激に浸るエミリア。周囲も興奮冷めやらずといった感じで、この舞台がいかに好評かをその反応から察することができた。そしてその好評振り示すように、舞台が終わってしばらくしても、まだ帰りがたいようロビーでは大勢の人々がたむろしていた。エミリアもその群れの中で、同じ熱気を分け合っていたが、いつまでもそうして余韻に浸っている場合ではないのであった。そう、この後二人に待つものは仕事、なのだから。
いまだ落ち着かないエミリアの肩を、これ以上依頼人を待たせてはという思いで魔法使いは叩く。
そして、「行くぞ」という感じで振り返ったエミリアに魔法使いは手招きすると、すぐに先へと彼は歩き出した。それを見てようやく仕事を思い出すエミリア。そして、流石にこれじゃいかんと思ったのか、涙をふき、赤くはれた瞼をハンカチで必死に押さえると、急いでその後をついていった。そう、これからは気持ちを切り替えねばならないのだ。自分は妻、師匠の妻、そう必死で言い聞かせ。
そして二人は劇場の裏手へと回り、やがて楽屋口にやってきた。そこには出演者達の出待ちをする人々であふれていて、ロビーとはまた違った熱気が立ち込めていた。そう、それは……中々に近づき難い雰囲気。なので、
これを割って入るのか……。
思わずうんざりする二人。だが仕方ない、何とか人ごみをかき分けかき分けやがて二人は入り口に到達すると、係の者らしい扉口に立っている人物に声をかけていった。すると、どうやら魔法使い達のことはあらかじめ聞いていたらしい、名前と用件を伝えただけでその者は頷き、楽屋口の扉を開けてゆく。
そう、それは一つの扉。隔てるものはただそれだけなのに、中と外では全く世界が変わっていた。広がるは終演後の舞台裏。色々な人が行きかう、中々賑やかな風景。さすがに誰も彼もが忙しそうで、広くはないその空間を皆あちらこちらへと動き回っていた。そんな中をかいくぐり、係りの人に案内されるままその後ろをついてゆく二人。するとやがて、とある人物の名の札が下がる楽屋へと一行は到着した。その名とは、
レティス=ハーヴェイ
それを見てエミリアは目を見張った。依頼人は確かクララ=カーディフ、なので間違いじゃないかと思って。だが、魔法使いは何の疑いもないよう、案内人の「こちらです」の言葉にコクリと頷いている。そして更に、案内人がトントントンとノックをして、「お客様です」と言っても、平然とした顔をしていて……。
「ちょっと待ってて」
そんな声が扉の向こうから聞こえてくる。もしかしてこれはレティス=ハーヴェイの声なのかと、エミリアは大混乱に陥る。そして心の中でどうしようどうしよう焦っていると、少しの間のあと、
カチャリ、
静かに扉が開かれた。だが、中から出てきたのはレティス=ハーヴェイとは似ても似つかない地味な感じの女性で……。
そう、レティスとは別人。それをこの目で確かめて、やっぱし……とエミリアはホッとする。そう、やっぱし依頼人がレティス=ハーウェイの訳ないじゃない、と。だが、その判断はまだ早かった。すぐにその女性は扉を大きく開け、
「どうぞ、中へお入りください」
この声、先程の者とは明らかに違う。そして、指し示されたその中には……。
「やっぱりきてくれると思っていたわ。アシュリー」
プラチナブロンドの長い髪、大人の色気をかもし出しながらも愛らしさも漂う容貌、細身ながらもあるべきところはしっかりある、エミリアには羨ましいばかりのその体。メイクを落とし、舞台衣装ももう着てはいなかったが、紛う事なきあのレティス=ハーヴェイが、存在感たっぷりにそこにあったのだ。
「あ、あ、あ、あ、」
驚きまくりのエミリア。それも何とレティスは、知り合いのような気さくさで魔法使いに話しかけていたのだから。
「だ……だって、クララ=カーディフって……」
「あら、それは私の本名よ。一般にはレティス=ハーヴェイで知られているけど、可愛らしいお嬢さん」
なるほど、そう言う訳だったのかと、エミリアは何とか納得するが……稀代の歌姫が依頼主、その現実にエミリアは腰砕けになりそうになりながら、
「おし……いやいや、あなた、レティスさんが依頼人だなんて、そうならそうと言ってくださればよかったのに。それも、何だか親しげで。もしかしてお知り合いですか?」
そうだ、自分は依頼主を知ってこんなに動揺しているっていうのに、師匠ときたら、全く平然としているのだから。レティスの態度と考え合わせてみても、知り合いとしか思えなかった。
するとその通り、魔法使いはどこか忌々しいような表情で、
「ずっと昔の知り合いだ」
「そう、甘酸っぱい思い出のつまった少年、少女時代の……」
意味ありげなその言葉。だがそれに魔法使いはふざけるなとでも言いたげに、キッと鋭い眼差しをレティスに向けると、
「妻のエミリアだ」
何故か妻の部分を強調して、不意にエミリアの紹介をする。それは本当にあまりにも突然で、思い出した現実にエミリアは慌てて、
「は、はい! 妻のエミリアです!」
とりあえずにっこり笑ってそう言う。するとそれにレティスは、
「ああ、あなたがあの有名な」
と言って訳知り顔で微笑みを浮かべる。そう、どうやら彼女はあの噂のことも知っているらしい。そして、魔法使いもそれを否定せず、
「そう、あの噂のエミリアだ」
「でも……おししょ……っと、いえあなた、凄いですね、レティスさんとお知り合いだなんて。甘酸っぱい思い出のつまった少年、少女時代のお知り合いって……もしかして、実は二人にロマンスが、なんて……きゃ、いやん。でも素敵で……」
バコッ!
あまりの興奮に、妻ということをつい忘れてしまい、一人妄想の世界へと入ってしまうエミリア。それにとうとう我慢がならなくなったのか、思わずといったよう魔法使いの一撃がエミリアの後頭部を襲う。それでエミリアはようやくハッと我に帰ると、傍らには怒り心頭といった魔法使いの姿があり、
「は、こいつはな、純真な魔法少年の心を弄んだ、小悪魔女だ」
すると、それに聞き捨てならないというように、レティスが、
「あら、私だって純真な音楽少女だったわよ、酷い言い草ね」
「お前が言うと、世の中の純真な音楽少女が泣くぞ」
「そう言うあなただって、ちゃっかり誘いに乗ってきたじゃないの」
「あれは天災だ、竜巻だ、土石流だ、避け切れない災害だ。おまえが強引に押し切ってきたんだ!」
「ひっどーい、それがかつての美しい思い出に言う言葉?」
「美しいとか言うな、美しいとか!」
どちらとも辛口な言葉の応酬、思いもかけないそんな光景を目にして、エミリアは唯々唖然とするばかりであった。そう、美しさというより、爽やかさというより、何となく男と女の情念のようなものをその言葉から感じて。キラキラと輝くカリスマ歌姫の印象が、エミリアの頭からガラガラと崩れてゆくような気がして……。まぁ、彼女も人間、美しいばかりではないということなのだろう。そう、完ぺきな人間なんて、いやしない、と。それは、この魔法使いにも負けない口からも分かるもので……。この、中々に凄い勢いの口からも。なので、思わず感心するかのような気持ちでエミリアはまじまじそれに魅入ってゆくと、
この二人の過去とは、一体?
ついそんなことを思っていってしまうのであった。