第九話 夢路の果ての歌姫 その一
新しいお話の始まりです!今回もアシュリーとエミリアが中心です。よろしければ、楽しんでいってくださいませ!
太陽の日差しが段々と強く感じられるようになってきた初夏の昼下がり、少年アシュリーは補講の為、学校へと向かってその前を通る並木道を歩いていた。道沿いに並ぶのは青々と葉を茂らせたトチノキ。時折吹き抜ける風にゆらゆらとその葉を揺らしながら、夏の初めの、それらしい季節の気配を辺りに漂わせていた。更に、この頃は暑さも少し感じられるようになっており、木々の隙間から差し込む強い日差しが、少年アシュリーの額にじんわりと汗をにじませていっていた。そして、思わずといったよう手を目にかざし、その汗をぬぐってゆくアシュリー。すると、
ザザッ
不意に吹き抜ける風、暑さを忘れさせる一服の清涼剤。この風のおかげで今日は大分過ごしやすい日となっていた。少年アシュリーもその心地よさにホッとするような思いを抱いてゆくと、今こそとばかりに再びにじんでくる汗を、体を、吹く風に冷やしていって……。
ああ、もっと風、吹かないかな。
だが、何事も程々、この位が一番なのであった。そう、その風も度が過ぎると厄介なものとなり……。
ザザザッ
今度はかなり強い風。砂埃が舞い、髪も服もあおられ、少年アシュリーは思わず顔を背ける。すると……、
バサリ
その時、何かが顔に張り付いた。視界は遮られ、その感覚に一体何だと訝しく思いながら、少年アシュリーはそれをはがしてゆく。するとそれは……白い紙に五本の線。そう、五線譜であった。目に入る様々な音符からして何かの曲の楽譜らしいことが窺えるが……一体何故ここにと、少年アシュリーは辺りを見回してゆく。すると、視界に入ってくるのはそれほど多くはない往来する人の姿。そしてその中にいる一人の少女に、少年アシュリーの目は引き付けられた。そう、大道を挟んで向かい側の通りに、飛び散った紙を必死で拾っている一人の少女がいたのである。その様子から、どうやら彼女がこの楽譜の持ち主であるらしいが……。飛び散った楽譜、それはアシュリーが拾ったものと同じく、道の反対側にまで来ているものも多数あり、まだ吹き続けている風にもてあそばれ、ひらひらと宙に舞っていた。このままでは更に散乱していってしまいそうで、少年アシュリーは慌ててその楽譜を拾ってゆくと、それを持って少女の方へと近づいていった。そして、
「はい」
手渡す少年アシュリーに気がついて、少女は顔を上げる。濃い茶色の髪、少しふっくらした顔立ち、地味な感じではあるが、中々に愛らしい少女であった。落し物の楽譜から、どうやら彼女は魔法学校のお向かいにある音楽学校の生徒であるらしいことが分かったが……。いやその前に、彼女が身にまとう服、紺地に白襟のドレスというところからもそれを察することが出来た。そう、それはその学校の制服。魔法学校の男子生徒たちが密かにあこがれる、清楚な雰囲気をかもし出す……。そして、その制服効果もあってか、清純さを感じさせる微笑を少女は口元に浮かべると、
「ありがとう」
そう言って少年アシュリーの手から楽譜を受け取った。
※ ※ ※
そして時は現代に戻り、ご近所の町、フォーリックから魔法使いの屋敷へと向かういつもの道。
エミリアはそこを歩きながら、手に持つものをじっと見つめ、しきりに首をひねっていた。その持つものとは手紙。そう、買い物をしてくると言って屋敷を出てきたエミリア、ついでに町の郵便局にも寄ってきてこの手紙を受け取ったのだが……目を落とした先にあるとあるもの、それが気になって気になって仕方がなくなってしまったのだ。
それは、白い封筒に踊る流麗な文字。そして、そこには魔法使い宛を示す彼の名前が書かれており、更に裏には、なにより気になって仕方がなかった差出人の名が……、
クララ=カーディフ
女性……。
そう、これがエミリアが首をひねる理由だったのだ。
エミリアがこの屋敷に来てから、魔法使い宛に女性の手紙が来たことは一度もなかった。あくまでエミリアの知る限り、ではあるが。それゆえ思わず興味を引いてしまう、その差出人。仕事の依頼だろうか、それとも知人? 知人だとしたら一体どういう関係? と、エミリアの想像はあらぬ方向へと広がっていってしまうのであった。そうして、気になるその心を抑え切れず、頭を悩ませながらエミリアは屋敷に到着すると、
「お師匠様~、ただいま帰りました~!」
玄関の扉を開け、屋敷の中に入りそう声を上げる。
だが、返事は返ってこない。
「お師匠様~」
とりあえず居間を覗いてみるが、やはりいない。
ならばまた書斎かと、エミリアは階段を上がってその扉の前に立つと、
トントントン、
「エミリアです、ただいま帰りました」
そう言って扉を開けてゆく。
するとそこには、いつもの如く魔法使いが机の前に陣取っていて、その物音に面倒くさいような表情をして顔を上げていった。
「エミリアか……随分とゆっくりだったな」
「はい、買い物ついでに郵便局も行ってきたので」
そう言ってエミリアは買い物籠を下ろすと、手に持っていたあの郵便を魔法使いの方へ差し出した。そして、
「はい、お師匠様に郵便が届いてましたよ」
「郵便?」
「はい」
それに訝しいような表情をして魔法使いは郵便を受け取ると、差出人へと目を落とす。するとそれを見た途端、魔法使いの表情は曇ったものへと変わってゆき……。その反応に好奇心が沸いて、思わず魔法使いをじっと観察してしまうエミリア。すると、
「……何じっと見てるんだ」
エミリアの、その食い入るような視線に気がついて、魔法使いはそう不機嫌に言う。だが、それにエミリアはブンブンと首を振り、
「いえいえ、気になさらずに、どうぞどうぞ」
そう言いつつも目は封筒に釘付け、興味津々の眼差し。どう考えても気にしないではいられないエミリアの態度であった。正直、それは鬱陶しい以外の何物でもなかったが、不審な表情をしつつも魔法使いは再び封筒に目をやり、封を空け、中身を取り出していった。すると、そこから出てきたものとは、
「……」
一通の手紙のようなものと、二枚のチケットだった。それを何故か胡乱げな眼差しで見つめてゆく魔法使い。そして魔法使いはチケットの内容を確かめようとしたのだろう、更にそれを目に近づけてゆくと、じっとその文面を見つめていった。当然の如くエミリアもチケットの正体に興味がかきたてられ、魔法使いの後ろに回り、もっとよく見るべく身を乗り出してゆく。すると……、
古城の舞姫
フェリーチェ姫・レティス=ハーヴェイ
それにエミリアは目を見張った。そして見間違いじゃないかと、もう一度よく目を見開いてその文字を見た。だが、いやいや間違いじゃない。
「お、お師匠様……すごい、レティス=ハーヴェイの舞台チケットじゃないですか! 中々取れないので有名な、人気歌姫レティス=ハーヴェイの! それも彼女の出世作、『古城の舞姫』!」
「だな」
だが、そんなチケットを前にしてもどこか平然としている魔法使いであった。それにエミリアは信じられない思いがして、ガックリと肩を落とすと、
「だな、って、なんでそんなに落ち着いていられるんですか! 一般市民には中々手に入らないチケットですよ!! でも一体なんで……舞台関係のお知り合いですか? だからそんなに落ち着いているんですか!」
レティス=ハーヴェイの舞台。確かにそれは、伯爵令嬢であった頃には何度か観にいけていた舞台であった。だがそうでなくなった今、その舞台を観ることはもうないだろうと、チケットを目にすることもないだろうと、頭に浮かべることすらなくなっていたエミリアであった。なのに出会えたこの思いがけない出来事。それにエミリアはひたすら感激すると、魔法使いからチケットをぶんどって、まじまじともう一度その文面に目を走らせていった。そしてしみじみ本物を実感すると、湧きあがってきたとある気持ちにエミリアはこう自分自身に問いかける。そう、もしかして、もしかすると……と。
それからエミリアは、一人妄想の世界へと旅立っていった。そう、そんな彼女を横目にさっさと先へ進む魔法使いを置いて、夢のような世界へと。そして、うっとりするエミリアの隣で、まったくもって真剣に、無言のまま唯ひたすらに、魔法使いは入っていた手紙へと目を走らせてゆく。それは、しばしの間続き、やがて魔法使いは顔を上げると、
「感激するのもいいが、これは遊びじゃない、仕事だ」
仕事?
無情に響くその言葉。
二枚入っている所からして、もしかして自分も観にいけるんじゃないかと期待を湧きに湧かせていたエミリアであった。これは魔法使いのお友達か何かからの招待で、師匠ともう一人誰かどうぞという意味でチケットを送ってきたんじゃないかと妄想……いや、想像して。だが……どうやらそうではないらしい。はっきりと魔法使いが言った言葉、そう、これは仕事と。そうなると自分は……それにエミリアは一気にガックリときて、
「そうですか……じゃあ私はお留守番ですね……うう、この舞台、一度観てみたいと思っていたのに」
だが、それに魔法使いはすぐには返事をしなかった。そう、違うとも言わなかったが、そうだという言葉も発しなかったのである。そして、魔法使いは沈黙のまま少し考えた風を見せると、やがて、
「いや……今回はお前も連れて行こう」
思わぬ言葉にエミリアはキョトンとする。そう、仕事に一緒にいく、それはつまり自分も舞台を観られるということなのかと、そう言葉の意味を解していいものかと悩んで。だが、チケットイコール仕事とするのなら、やはり結論は……そう思った途端、じわじわと感激がこみ上げてきて、喜びと共にエミリアはしかとそれを噛み締めてゆく。そして、やった! と声を上げようとしたその時、
「だが……いいか、この仕事中おまえは私の妻だ」
「は?」
思いがけない言葉だった。そう、魔法使いの口から出るとは絶対思わない、あまりにも意外な。それに感激もどこかへ飛んでしまったかのようになり、エミリアは面食らっていると、更に魔法使いは、
「私のことはあなた、と呼べ」
「あ……あな……た???」
思いがけないこと続きで、エミリアは目をぱちくりさせて呆然とする。だが、あなた……自分が師匠をそう呼んだ時の姿を想像して、その不気味さに思わず背筋に悪寒が走ってしまうエミリアだった。そして、冗談、冗談、きっと冗談! 目を逸らしたい現実に、エミリアは胸の中で何度もそう呟いてゆくと……。
明らかに冗談ではない、変わらぬ真剣な眼差しで魔法使いは……。
「そう、あなた、だ。しっかりそれらしく演技しろよ」
「???」
はっきり言って訳が分からなかった。どう考えてもありえないことであった。それにただただ目が点になるばかりのエミリア。なにせ、今まであれほど妻と勘違いされることを嫌がっていた彼であったのだから、そんな気持ちになってしまうのも当然といえば当然だろう。すると、それに彼女の胸の内を察してか、魔法使いは、
「おまえの嘘に乗ってやろうっていうんだ、ありがたく思え」
「で、でも……今更……」
腑に落ちないエミリアであった。恐らく仕事と関係あるのだろうが、いや、それ以外に考えられないのであるが、どうにも腑に落ちないのであった。だが、訳が分からないなら訳が分からないなりに自分を納得させ……そう、妻だろうが何だろうが、どんな仕事が待ち受けていようが、舞台が観られるならまぁいいかと、ある意味素直に、ある意味現金に、そう自分を納得させ、エミリアは魔法使いと共にゆくことにしたのであった。