第八話 ムシムシ狂騒曲 その十二
それから魔法使いは気をもみながらしばしの時を待った。
なんてったって命令はできない、あれからオオクロマダラバチの女王は現れなくなってしまったという、非常に困った状況なのだから。できることといえば唯待つことだけ、他に何もできないという、本当に困った状況なのだから……。そう、そわそわして気をもむ、そんな気持ちになってしまうのも、まぁ、当然といえば当然といったところだろう。それは、非常にもどかしい時、そのもどかしい時の中で、だがなんとか働き続けているハチに希望をつなぎながら、ひたすら待って待って待ち続けてゆく魔法使いであり……そうして、あの時から三日後、
『アシュリー! アシュリー!』
またレヴィンから念が送られてきた。新聞で以外、王都の様子をうかがい知ることが出来なかった魔法使いにとって、それは情報を得る願ってもいない機会であった。なので、どこか期待感をにじませた様子で勢いよく、
『レヴィンか、良かった。こっちも連絡取りたいと思ってたところだったんだ』
『だと思った。期待に添う報告だよ。そう、ムシが引き始めた!』
『やったか!』
『ああ、まずコウタクハガネムシが北のほうへと引き始めて、その後しばらくしてあのハチが引き始めた。王都の最新情報だ。この調子でいけば、もうしばらくすれば王都のムシはいなくなるんじゃないかな』
その言葉に、魔法使いははやる心を抑えて窓辺へより、そこから空を見上げた。確かにオオクロマダラバチが戻ってきている。それも皆凄まじい勢いで、それも皆同じ場所へと向かって、更に皆一直線に。どうやらハチ達は、魔界の入り口である、あの空間へと入っていっているようであった。更に更によく見てみると、飛び立っているハチももういないようで……。
『こっちもそれを確認した。ハチが魔界へと戻っていっている』
『最初は何事かと思ったけど、この方法、どうやら成功したみたいだね』
『そのようだな』
嬉しそうに報告してくるレヴィン。それに魔法使いも声を弾ませながら、喜びを隠しきれないようそう言葉を返す。
『でもよかった、これでぐっすり眠れるってもんだよ。ここしばらくは気が気じゃなかったからね。ところで……』
『ん?』
『今暇かな?』
レヴィンの突然の問いかけだった。その問いに魔法使いは何だと首を傾げながら、
『まあ、暇といえば暇だが……』
『なんかひと段落つきそうだしね。これから本を返しに行きたいんだけど、いいかい?』
ああ、そういえばそれがあったと魔法使いは頷く。
『ああ、大丈夫だ』
『じゃあちょっと準備してくるから、少し待っていて』
魔法使いにそう伝えると、とりあえず報告はそれで済んだのか、そこでレヴィンの念は途切れた。
途端にシンとなる一人の部屋。それは本当に何もない沈黙の時で、その時に魔法使いは一件の終息をしみじみと感じる。そして、どうやら何とかなりそうな気配に、魔法使いはようやくといったようホッとして肩の力を抜いてゆくと……。書斎の椅子に腰掛け、レヴィンが来るまでは少し時間があるだろうと、連日の疲れを取るべく静かに目を瞑っていった。安堵と共に脳裏に蘇るのは、途中のあのひやひやした出来事。エミリアに水を捨てられた、あの……。
だが、何とか跳ね除けはしたものの、あれ以上あのオオクロマダラバチの女王にかかわっていたらどうなっていたか分かったもんじゃなかったから、結果的にエミリアのあれはあれで良かったのかもしれない。いや、もしかすると思わぬ助けになっていたのかもしれず……。
過るその時の情景に、ついつい魔法使いの口元に苦笑いが浮かぶ。すると、
『おい、アシュリー!』
またもや念が魔法使いの頭に響いてきた。千客万来、忙しいことだとその声に耳を澄ましてみると、それは聞き覚えのある声だった。そう、義兄のグレンである。
『なんだ、おまえか』
『おまえとはなんだ、おまえとは、お義兄さんと呼びなさい。お義兄さんと』
『黒魔法使いのお義兄さん、一体何の用でしょう?』
すっとぼけてそう言う魔法使いに、グレンはフッと鼻で笑った。
『そう言うおまえも俺の仲間入りか? 優等生がやってくれたじゃないか、ん? ムシが引いていっているぞ』
『ふん、私に不可能という文字はないのだ。だが……できればもう黒魔法には二度とかかわりたくないがな』
事を成し遂げたことを自慢げに、そして黒魔法には辟易といった様子でそう言ってゆく魔法使い。すると、
『ほほう、悪魔のささやきを体験したか? 心が揺さぶられたか? だとすると、おまえもちっとは人間らしい心があるってことだな、え、ダーレム魔法大学主席の大先生よ』
グレンの口からそんな言葉が放たれる。だがそれは、どうにも人をおちょくっているようにしか感じられないもので……。それに面白くない気分になって魔法使いはむっとすると、
『おまえに言われたくない』
ってか、おまえは全く動じないのか、黒魔法を使って。大体大方の人間は、黒魔法に手を出してもこの取りこまれる感覚を味わって、恐れに手を引いていくものなのに。
そう、取り込まれてもいなのに、自ら進んで黒魔法に手を出してゆくというのが何とも魔法使いには信じられないのであった。正直、人格を疑うというか、行動を疑うというか、なんというか、そんな感じであり、先程の物言いとも相まって、魔法使いは思わず邪険な態度をしてゆくと……、
『これを機会にこっちの研究にきてみるってのはどうだ? それも中々面白いもんだぞ~』
グレンはめげず、またもやおちょくるような態度でそんなことを言ってくる。それに、魔法使いはもう相手にしていられないといった感じで、不機嫌を更に深めてゆくと、
『(なんかむかつくから無視)』
するとグレンは、
『おらおら、何か答えろ。義兄さんだぞ!』
腹立たしさ倍増のその言葉、こうなったらもう何が何でもという感じで、魔法使いは、
『(無視、無視)』
『おーい、聞こえてるのか~』
『(つーん)』
無視しても、懲りずにああだこうだちょっかいを出してくるグレン。それに魔法使いはいささかうんざりするが、グレンは相変わらず、
『ほら返事をしろ~』
いい加減鬱陶しくなってきた魔法使いであった。念を切ってしまいたい思いにもとらわれるが、とりあえずそれは我慢して、ひたすら無視をし続ける。そして、早くレヴィンは来ないものかと珍しくそんなことを思いながら、心に耳栓をしてひたすら彼を待ち焦がれてゆく魔法使いなのであった。
次回で第八話は終わりになります。