第八話 ムシムシ狂騒曲 その八
あんの女ったらしは……相手がエミリアだとこうも態度が違うのか。
再び魔法使いの屋敷。場所はレヴィンに伝えた通りあれから書斎へと移しており、ふつふつと湧き上がってくる先程のやり取りに、魔法使いは憤然としながらそう心の中で毒づいていっていた。そして、何とか取り付けた約束を胸に、ひたすらレヴィンがやってくるのを魔法使いは待ってゆくが……。そう、早く来ないかと、彼の到着を。すると、
「!」
何かが結界に引っかかったような感触が、わずかではあるが魔法使いの体に伝わる。
ようやく来たかと魔法使いは身構えると、そのすぐ後フッとこの書斎に影が浮かび、次第にそれは人の形を取っていった。そうして現れたのは……そう、やはりレヴィンだった。
「はいはい、お呼びにしたがってやってきましたよ」
いかにもご機嫌な表情。恐らく、エミリアに会えることを心待ちにしての、このありありとした表情なのだろう。だが……期待に反して何の声も返ってこず、目に入ってくるのは魔法使いの姿だけ。それに不思議に思ってレヴィンは更に辺りを見回してゆくと……、
「あれっ、エミリアは?」
「夕飯の支度だ」
何ともつれない魔法使いの返事だった。それに期待度百パーセントだったレヴィンは思いっきり落胆して、一気に力が抜けたようがっくり肩を落とす。
「もう……エミリアの頼みだから来たのに……」
どうやら彼女をだしに使われたらしい、それを察してレヴィンは苦々しげにそう言うと、ふて腐れたように頬を膨らませる。
そう、エミリアに釣られてきたその結果……。
今レヴィンの前にあるのは、意地の悪い笑みを口元に浮かべる魔法使いの姿だった。魔法使いはまるで引っかかったおまえが悪いとでも言いたげな表情でレヴィンを見つめており、そして更に、
「素直にこっちにこないからだ」
確かにそうなのかもしれないが、レヴィンは納得いかなかった。騙されたのはこっちで、怒るべきなのもこっちなのに……。そして腑におちない気持ちでレヴィンは更に不機嫌を深めてゆくと、
「こっちは用事があったんだよ。それを置いてまでここにきたのに……」
すると、その言葉で気づいたよう、魔法使いはまじまじとレヴィンを見つめ、
「確かに……随分ときらびやかな衣装を着てるな」
場違いともいえるレヴィンの格好に、少し呆れながら魔法使いは言う。
「バークラム侯爵の舞踏会に呼ばれているんだ。おかげさまで遅刻だよ。で、何の用事なの」
騙されたこと、そして忙しいところを呼び出されたことに腹を立てて、少しつっけんどんにレヴィンは言う。
するとそれに魔法使いは頷き、
「実は今ノーランド中を騒がせているあのムシについてなんだが……」
「ああ、あれね。王宮でも四苦八苦しているよ。でも結界が張ってあるからか、街の被害ほどではないんだけど。いや、ムシにも適用した結界が張ってあるのに侵入してくるのが不思議なんだけどね」
それが何なのといった感じでレヴィンは魔法使いを見遣る。すると、
「あれは防御魔法を食い破る性質があるらしい。魔界の生物コウタクハガネムシだ」
それにレヴィンは「ふーんと」頷いてゆき、それから「ん?」となって、今聞いたそのことを反芻するような表情をする。そしてようやく、これは聞き捨てならないことを聞いたとでもいうよう、ことの重大を察してレヴィンは表情を変えてゆくと……そう、これは放ってはおけない大事なことであった。当然の如く、悪かった機嫌もどこかへ吹っ飛び、
「へぇ、随分詳しいね。昆虫学者も王立魔法研究所の魔法使いもお手上げのムシだってのに。でもなるほど、魔界のムシだから正体が分からなかったのか」
思わずといったよう感心するレヴィン。それを見て、魔法使いもコクリと頷くと、
「仕事でムシ退治を依頼されたものでね。とある筋から情報を得た訳だ」
その依頼理由とはチチちゃんの安眠の為、そして、とある筋の情報とは黒魔法使いの義兄。正直、これはとても言える事情じゃなかったので、更に、言った後の反応も怖かったので、できればそこは突っ込んで欲しくない魔法使いだったが……幸いなことに、レヴィンはそこに触れてはこず、
「ムシ退治? そりゃノーランドにとっては大歓迎の依頼だね」
確かにこれが成功すれば、ノーランド中が大喝采の快挙だろう。だが……ほんとにそんなことができるのかと、レヴィンの方は疑問符のようだった。そう、その口調にも少し疑りの色を見え隠れさせていて……。そして、
「で、何か方法はあるの? こっちはムシに効く毒素を魔法でまいてみたりしてるんだけど、全く効き目がなくってね。あまり強いものを撒くと人間にも悪影響を及ぼす可能性があるから、むやみやたらにも出来ないし、ほとほと困り果ててるんだ」
するとそれに魔法使いは、
「退治……というより、調べている内にとある気がかりにぶち当たってね。それで頼みたいことがあるんだが……」
「気がかり?」
「そう。そのコウタクハガネムシは集団で集まると、モノの中を探知する能力があるらしい。ルシェフから南下してきた魔界のムシ、それを呼び出した者が、その能力を使って使役していると考えたら」
この言葉に、レヴィンは眉をひそめる。
「この件は、何かを意図を持って為された人為的なもの、っていうの?」
「そう。そしてこのムシはよーく耳を澄ましてみると、とある言葉を発していた」
「とある言葉?」
「ケメヲジュ……古文書、だ」
「……」
言葉をなくすレヴィン。そしてしばらくの時をおいて、
「も、もしかして、あの本のこと? あの本を探してこのムシ達はノーランドに放たれたと?」
「その可能性は高いと見ている」
それに顔をうつむけ、「これは……」と難しい表情で考え込むレヴィン。
「で、本は無事なの」
「とりあえず無事だが、ムシはこうしている間にも入ってくる。このままだといつか封印の魔法を破られる可能性もある」
そこでフンフンとレヴィンは頷き、
「なるほどね。そこで僕の力が必要って訳? 一体何なの、その頼みって」
「単純に言うと、偽の場所をムシに知らせて、退散させるということだ。本の場所さえ分かれば、ムシは引くはずだ。だが、本当の場所を教える訳にはいかない。なら、一時的に別の場所に移して、偽の場所をムシに教えて、退散した後、また本を元の場所に戻そうと考えてるんだが」
魔法使いの案、そこまで聞いてレヴィンは全てを理解したよう訳知りの顔をする。そして、
「ははん、その偽の場所を僕の所にって訳かい? 確かにいい考えかもしれないね」
「この国で一番守りの固い場所、それが王宮の金庫だ。その一番強固な守りの場所に本があると思わせれば、ルシェフもそうやすやすと手は出せまい」
あの黒魔法を使わずに済む為、なんとかひねり出して魔法使いが考え出した方法だった。上手くいくかは分からないが、そう悪い案ではないと魔法使いは思っていたが……だが期待に反して、レヴィンは困ったような顔をしていた。なぜなら、
「だけど……参ったな。王宮の金庫は僕も手続きなしでは入れない場所だ。何かを収めるとしたら、そのモノもチェックされる。本の存在を秘密のままにしておくとすると、ちょっと難しいかもしれない……」
せっかくの案であった。確かにそうであったのだが……世の中そう上手くはいかないもの。どうやら、この案の前には大きな問題が立ちはだかるようで、致命的ともいえるその問題に、どうしたものかと腕組みをしてレヴィンは表情を曇らせる。流れてゆくのは……沈黙。そしてその中に混じるのは、どこか沈鬱を含んだ重い空気。当然魔法使いも、レヴィンの話には落胆を隠せず、
「そうか……」
だが、どこか諦めきれぬ気持ちがあった。そう、ここで引くには何か勿体ないような気が。そして、どうにかしてこれを上手く利用できないかと、二人して頭を悩ませてゆくと……
「そうだな、僕の部屋の金庫はどうだろう。王宮の金庫ほど守りは強固じゃないけど、あの間諜だった家庭教師に本の隠し場所として教えていたのもその金庫だし、もしその情報がルシェフに渡っていたら、上手く辻褄も合うんじゃないか」
レヴィンのその言葉に、魔法使いはコクリと頷く。
「なるほど。それはいいかもしれないな」
そして二人は目と目を見合わせ、それで決まりということを確認しあうと、金庫のある地下室へと向かっていった。そこにあるのは、相も変わらずほのかに光る封印に守られた金庫。今はまだ流石にムシも少ししかくっていておらず、それを払って魔法使いは封印を解除してゆくと、中から本を取り出し、レヴィンにそれを手渡していった。そして、
「じゃあ、後は頼んだぞ」
「了解」