第八話 ムシムシ狂騒曲 その二
「なんだか随分ときれいに片付いたのう。まるで別世界だ」
屋敷の中に入ってまず町長が発した言葉、それがこれであった。どうやら町長はかつての無残な屋敷内も知っているらしく、見違えてしまったこの様相にひたすら感心するかのようそんな言葉をもらしてきて……。そして驚きも露に、玄関ホール、廊下と、物珍しげにキョロキョロと辺りを見回してゆく町長。それに、魔法使いは何となく居心地の悪い思いをしながら、
「まあ……こっちにも色々あったという訳です」
このいきさつをとても一から説明する気にはなれず、どこか面倒くさいような様子で、そう適当に相槌を打ってゆく。そして、相変わらずキョロキョロしている町長を居間へと案内してゆくと、その中で待っていたのは、
「おや」
思いがけないものを目にしたよう、町長はそんな声を上げる。
そう、そこにはくりくり巻き毛の愛らしい少女、言わずもがなエミリアが立っていたのだ。
「はじめまして、町長さん。エミリアといいます」
初顔合わせに、早速にこにこしながら自己紹介をするエミリア。するとそれに町長は目を見開き、「ほう」と言って全てが納得いったように頷いた。
「いや可愛いお嬢さんだ。なるほど、結婚しおったんだね。どうりできれいさっぱりと思ったら。一声わしに声をかけてくれればよかったのに、水臭いのう」
もう何度出会ってきただろうという誤解。ここでもか……という思いに魔法使いは頭を抱えたくなるが、取りあえずそれは我慢して、半ば諦めたかのようなため息を一つつくと、
「妻じゃありません、弟子ですよ」
「弟子? 随分と可愛らしい弟子だが……」
「可愛かろうが可愛くなかろうが弟子は弟子です。それ以上でもそれ以下でもありません。それよりもまあ、座ってください」
「弟子ねぇ……」
まだ納得がいかないような表情をしながら、魔法使いの言葉によっこらせと椅子に腰を落ち着ける町長。そして、ハンカチでパタパタと自らをあおぎながら、
「いや、ここも暑いね。外よりも暑いんじゃないか」
「窓をあけるとムシがはいってきますからね、なので全部締め切っているんですよ」
それに町長は「なるほど」と頷き、
「だからか。いや、この森の中なら大丈夫だと思っておったんだが、ここでもやっぱり気奴は来るのかい」
「都心ほどではありませんがね。で、依頼したいこととは?」
すぐに話を切り替え、早くしろオーラを全開にしながら、そうせっついてくる魔法使い。すると、それに町長はそうそうと身を乗り出し、
「この……」
机の上をもぞもぞと動くムシ。それを発見して町長はパシッとムシを叩くと、
「三十八匹目!」
すかさずエミリアが声を上げる。それに町長は何だというようにエミリアを見上げると、
「今日退治したムシの数です。はい、喉渇いてませんか? お水どうぞ」
そう言って、エミリアは水の入ったコップを町長に渡す。
「いや、ありがとう。気が利くね」
町長はありがたくそれをいただいて、ぐびぐび一気に飲み干していった。そして、はぁ、と一息ついてコップを卓上に置くと、
「そう、このムシのことで依頼したいことがあるのだ」
なるほどと、魔法使いは頷く。
「で、具体的な内容は?」
それに町長はいかにも悲しげに目を伏せ、深くため息をついてゆく。そして、
「この……にっくきムシどもを、退治してほしいのじゃ」
その言葉に、魔法使いは目をパチパチさせた。そして聞き間違いかと、もう一度頭の中で言葉を反芻してみる。だが……いやいや、聞き間違いじゃない。それを確かに確認すると、魔法使いは引きつった笑顔を浮かべ、
「いま、ノーランド中で悲鳴を上げているこの出来事を、解決しろと? 国中の学者が頭を悩ませているこの件を、町外れに住む一介のこの魔法使いが、解決しろと?」
「そうじゃ」
「何故あんたが私に依頼してくるんです。いや、何故私がやらねばならない。私に救世主にでもなれと、言うんですか」
「何も国を救えとは言わん! せめて我が町だけでも、いや、チチちゃんだけでも助けて欲しい!」
切ない目で、真摯に訴えてくる町長。それを見て魔法使いは、
「う……」
蘇る嫌な記憶に魔法使いは思わずうめき声を上げる。
チチちゃん。そう、それは……。
「チチちゃん? 誰ですか、それ?」
疑問の声を上げるエミリア。するとそれに魔法使いは、
「町長が飼っているバカ犬だ」
「バカ犬とはなんだ、バカ犬とは。我が家のかけがえのない愛息だよ」
バカ犬に憤然とし、その後愛息チチちゃんを思ってか、うっとりとして町長はそう言う。
そう、実は魔法使いは以前にも町長からの仕事の依頼を受けていたのだった。それは、チチちゃんが脱走したから探し出してくれ、とのこと。そういうことがあって町長と顔見知りだった訳だが、その時魔法使いはえらい目にあったのだ。それは……そう、くだらないと思いながらも、生活の為とその依頼を受けていった魔法使い、早速魔法を駆使し、探しに探してゆくと……。やがて、ようやくその犬を見つけることに成功する。そして、何とか捕まえようとこれ以上はないほどの優しい声を出して、魔法使いは呼んでいったのだが……。
チチちゃんおいで。ほらほら、餌だよ。
警戒してうなり声をあげるその犬の前に、魔法使いは干し肉をちらつかせる。そう、食いもので釣って犬を呼び寄せる為に。徐々に近づいてくるその犬。肉への距離もどんどん縮まってゆき……この様子だと、捕獲も間近かなようにも思われた。そう、意外と楽にいけそうだ、と。だがその時……犬はなんと餌でなく、魔法使いに食らいついていったのだった。吠え、噛みつき、獰猛な様相もそのままに、魔法使いへと向かって……。そう、中型ぐらいのそう大きな犬でもないのに、勇壮にも。それは魔法使いも予想だにしていなかった展開で、動揺して思わず食べ物を落っことしてしまう。すると、今こそとばかりに犬はその餌をくわえて……そう、思いっきり遁走していってしまって……。相手は依頼主の犬、勿論無体なことは出来ない。なので、それから魔法使いは魔法も使わず必死で追っかけ、この手で犬を捕らえると、吠える暴れる引っかく噛みつくをどうにか抑え、依頼主へと引き渡していったのだった。だが……。
フフフフ
その時の情景を思い出して、魔法使いは乾いた笑いを胸の中で漏らす。
あの時の生傷の多さといったら……。
そしてやはりまたのこの依頼、魔法使いは頭が痛くなるのを感じると、
「だが、何故ムシを退治することがあのバカ犬を救うことになるんです」
するとそれに町長は、「聞いてくれ!」とどれほどの悲しい出来事があったのかとでもいうような悲愴な表情で魔法使いを見遣ると、
「あのムシが出るようになってから、チチちゃんはよく眠ることができないんじゃ。どこにいてもあのムシが忍び寄ってくる。胴に、足に、耳に、目に、鼻に、チチちゃんの体中をはいずりまわる。チチちゃんはデリケートだから、気になって気になって眠っていられんようなのじゃ。そんなチチちゃんをみてると、何とも哀れでね……」
そう言って、汗をぬぐったハンカチで、今度は涙をぬぐう町長。聞くも涙、語るも涙と言った感じだ。
それに、片頬を引きつらせながら魔法使いは笑う。
一匹のバカ犬のために、このノーランドの災厄を救えと言うのか、この親父は!
「……またあんたの親ばかぶりが始まったという訳ですな。失礼ですが……」
今回は絶対断ってやる。絶対、絶対断ってやる!
揺るぎない決意の下、魔法使いは断りの言葉を言おうとする……とその時、
「あんたもこの状況には憂いを感じておるだろ。誰かがやらねばならん。それが君だ!」
そう言って町長は魔法使いの手をぎゅっと握ってくる。そして、
「あんたの手腕は前回の仕事で立証済みだ。君ならきっとできる。是非お願いしたい」
手腕って……犬を探し出しただけで一体何が分かるってんだ。
何となく断りのタイミングを外されたような気がして、魔法使いは困惑して言葉を詰まらせる。そして何とか助けをと、それを求めてエミリアに目をやる、が……、
「お師匠様、豆スープは嫌です」
依頼を受けろと無言の圧力が、にっこりとした微笑と共にかかってくる。
それに、思わずがっくりと肩を落とす魔法使い。
そうだ、その問題があったのだ。確かに最大の危機は脱したが、我が家の台所事情はまだ十分潤っているとはいいがたく……。
状況が状況と、流石の魔法使いもこれには悩む。そう、感情を取るべきか、現実を取るべきか、と。だがやはり……背に腹は変えられない、悩んだ末、とうとう魔法使いは観念すると、
「……分かりました。とりあえずチチちゃんに安眠をという条件でいいですね」
「おお、受けてくれるのか! 勿論だ、それでいいよ」
「かしこまりました。では早速依頼に取り掛かりたいと思います」
そう言って、魔法使いはその依頼を受けることにしていったのだった。